期待していたことが実現しないと、がっかりします。何とも言えない喪失感があります。
「今夜はトンカツよ!」とお母さんに言われて期待していたのに、何かの事情で野菜炒めに変更になったときのがっかりと言ったらありません。
期待したトンカツの期待値を100として、実際に出た野菜炒めを60とすると、40だけ損した気分になるからです。
最初から野菜炒めと言われていたらこの40の喪失感を味わうことなく済んだのに、といったところです。
結婚もきっと同じで、「幸せにするから!」と言われ、期待値100で結婚したが、結婚後、いろいろな事情で期待値を下回る結婚生活となり、100→90→70→40→0みたいな感じでどんどん下がっていったりするのだと思います。
途中で挽回できることがあれば良いのでしょうけど、なかなかそうとばかりもいきません。
そして、もともとの期待値100が、ある一定ライン以下になると、「離婚してください!」となるのだと思います。
結婚は我慢の連続だ、とも言われますが、まさにその通りかもしれません。
でも、本当は、「トンカツよ!」と言ったお母さんにも、「幸せにするから!」と言った配偶者にも責任があります。期待させることを言った以上は、その期待を裏切ってはいけません。きちんと約束を守るべきなのです。
ただ、そうはいってもお母さんも、配偶者もただの人間です。時には言ったことを実現できないこともあるのでしょう。そうなると今度は期待させる言葉を聞いた側の自己防衛(?)も重要になってきます。
「母さんのことだからどうせお肉を買うのを忘れてメニューが変更になるかもしれない。」とか、「この人は甘い言葉ばかりでどこまで信用していいかわからないけど、そこそこ幸せにしてくれればいいや。」という程度に受け止めておけばよいのです。
そうすれば、そもそもトンカツに対する期待値は70くらいに、結婚に対する期待値も80くらいにとどまり、野菜炒めとの差も、現実の結婚生活との差も大して気にならなくなります。それほど大きな喪失感にならないからです。
ところでこんな偉そうなことを書いている私ですが、昨日は期待していたことが2つも実現せず、喪失感一杯で帰宅したものです。帰りの車中で、「期待し過ぎると人間辛い」そう考えました。
なので、日ごろから何事に対しても「期待し過ぎない」方が健康的な生活を送れるかもしれません。