最近、とある学校の先生の
「子育ての役割分担については、家庭内で子どもの心や体の健康、人間性を作って欲しい。学校では、それを前提に、個別教科などを教えるのが目的である。ここをはき違えて、家庭で個別の科目の学習に力を入れて、心身の健康や人間性を育てることをしない家庭がある。それどころか、学校にこれらを求める親もいる。しかしそれは教育の役割を見誤ったものであり、大いに問題がある。」
という趣旨の論考を読みました。
非常に納得しました。
論考では引き続き
「このことをパソコンに例えると、家庭教育は、パソコンのOSのバージョンアップに相当し、学校教育はパソコンのソフトやアプリのバージョンアップに相当する。いくらすぐれたソフトやアプリがあっても、土台となるOSが使い物にならないようであれば、そのソフトやアプリもまったく役に立たない。」
とありました。
うーん。鋭いし分かりやすい。
たしかにいくら勉強ばかりを詰め込んでも、子ども自身がそれを受け入れる状態になっていないと意味がありません。
とかく子どもの教育については詰め込み主義が問題となっていますが、そもそも何のために教育をするのか、その教育の意図はどこにあるのか、再考が必要だと思います。
社会に出てからも、人間としての基本(コミュニケーション能力、社会性、常識、思いやりなど)がしっかり出来ている人は、その後も会社で多くのこと(↑で言うところのソフトやアプリに相当する)を吸収し、どんどん伸びていくことでしょう。
他方で、人間としての基本がなっていなければ、社会ではそもそも大切な役回りやポジションを任されることはありません。なので、いくらスキルがあっても結局は発揮できないこともあるでしょう。
そうすると、長い目で見ると、子どものころからしっかりとした基本教育を家庭で受けていれば、大人になってからも次々に新しい挑戦をし、どんどんと成長ができるものと思います。