弁護士の仕事は、勝った負けたが付き物です。多くの弁護士は、日々、勝つか負けるかを意識しながら活動しています。
当初の見立てのとおり、勝つこともあれば、予想外に負けることもあります。
その原因にはいろいろあります。
主張立証が功を奏さなかったとか、不利な証拠が顕出されたとか、はたまた裁判官の判断が偏っていたとか。
いずれにしても、負けたということは越えるべき壁を越えられなかった結果に他なりません。
弁護士として悔しい気持ちで一杯になります。
また、越えられなかった壁は結局、どこにあったのか、どうすれば越えられたのかも考え直します。
自分自身なのか、相手方なのか、裁判所なのか。
その上で不服申し立てに出て、納得のいかない結論を覆すよう最善を尽くします。
裁判に限らず、世の中には壁を越えることのできた勝者と、越えることのできなかった敗者がいます。スポーツ競技でもそうですし、あらゆる受験もそうです。
個人的にはボルダリングを趣味としていますが、自分自身で楽しむ限りでも、自分の中で「今日はこの課題を登ることができたが、あの課題はできず悔しい。」という気持ちになったりします。
スポーツでも何でも人は常に目の前に立ちはだかる壁を乗り越える努力と工夫をします。その壁は決してひとつとは限りません。また、あちこちに、次々と現れることもあります。
そして、最終的にはそれらの壁をすべて乗り越えた人が勝者です。
ひとつでも乗り越えることが出来なかったり、逃げたりした人は敗者です。
その意味では、勝者になるにはまずは逃げないことだと思います。その上で乗り越えるべき壁を一つ一つ乗り越えることしかありません。
それでも乗り越えることのできない壁はきっとあります。そのことを自覚した時の悔しさは一生忘れることはできないと思いますが、勝負の世界はそういうものです。
厳しいようですが、乗り越えるべき壁を乗り越えた者のみが唯一、勝者となるのです。
(最近の池江選手の活躍ぶりを見て、勝負の世界について改めて考え直してみました。
彼女は病気という大きな壁に打ち勝ち、その上で競泳に復帰し、大会で素晴らしい結果を納めました。敗者となった選手からすれば、「池江選手」という壁を越えることが出来なかったと言えます。
池江選手という壁は、「自分自身にはない才能」なのでしょうか。
スポーツにおいては、単に体格や筋力によって勝敗が決まるのではなく、運動神経やセンスによって結論に違いが出ます。きっと池江選手にはこれらが相当優れているのでしょう。)