人は、自分と他人との相関関係で生きています。
これは生まれてから死ぬまで、ずっと続きます。
赤ちゃんはそれこそ、自分が生きるために必死で周囲(他人)に「自分」をアピールします。赤ちゃんの時はそれこそ、「自分」がすべてです。
少し大きくなると、親、友達、保育園や幼稚園の先生などという他人と自分の関係やバランスを意識するようになります。時には自分を強く押し出したり、他人の気持ちを汲んで我慢したり。
思春期には、「自分が何か」で大いに悩みます。他人との違いや他人にどう見られているかでコンプレックスを感じたりもします。そうして「自分」を確立します。
そのうち大人になると、今度は上司や同僚、部下、取引先や見知らぬ多くの他人を気にして過ごします。
場合によっては、他人を気にし過ぎて自分を見失います。
余りにも他人を気にし過ぎると疲れます。でも、自分を出すのも疲れるようです。
例えば、お店の列に割り込んだ人に注意をするのに躊躇する人が多いようです。本当は、ルール違反をしている他人を注意したい自分がいるが、当該他人に注意すること、反発されることを気にして控えてしまうのでしょう。
他にも、会社の飲み会などで、自分はもうそろそろ帰りたいけど、まだ終わる気配もないので我慢して付き合ったりもそうです。
でも、こういう形で自分を我慢するのは、自分を擬制にしているだけです。今の時代、そこまでして自分を擬制にすべきでしょうか?もっと一人ひとりが自分の気持ちや考えを素直に周囲に伝え、一人ひとりが充実した日々を過ごした方がきっと良い社会だと思います。
ちょっとしたことかもしれませんが、もっと一人ひとりが自分を大切にする、できる社会になったら良いと思います。
当然のことですが、私は決して、「一人ひとりがワガママを言えばよい」と言っている訳ではありません。
一人ひとりがきちんと自分の考えを他人に伝え、それが尊重されるべきということです。そうしないことには個性も尊重されませんし、少数者の意見も同調圧力の中で埋もれてしまうということです。