涙のワケ
悲しいと涙が出る。
どうしてでしょうか。
科学的なことは分からないけど、きっと、「涙で目の前の現実を見えなくするため」だと思います。
人は誰でも辛い思い、悲しい思いをしながら生きています。
一度や二度に限らず、悲しみのために涙を流す生き物です。
そんな時、目の前の辛い現実、悲しい気持ちからそっと、少しの間だけ逃れられるよう、涙が出る。
自分なりにそう考えています。
だから、泣きたい時には泣けば良い。きっとまた涙は止まり、また人生は続いていくから。
入院拒否に対する刑事罰制定の問題点~感染症法の改正について~
新型コロナウイルスの蔓延防止策の一環として、入院拒否に対する刑事罰を制定する感染症法改正案が審議されています。
かかる改正案については、日弁連を始め多くの法律家団体から反対の声が上がっています。私も同じく反対の意見を持つ者として、改正案がなぜ問題なのかを示しておこうと思います。
第1に、刑事罰制定の必要性を裏付ける「立法事実」があるのかという問題です。
立法事実とは要するに、法律制定を基礎づける具体的な事実が社会内に生じているのかということであり、このような事実があるからこそ、法律を制定したり、改正したりするのだという事実的根拠となるものです。
本件では、入院虚偽の事例がどの程度存在し、それがどの程度、新型コロナウイルスの蔓延に悪影響を及ぼしているのかが必ずしも十分に検証されていないように思います。
しかも、入院拒否があったとしてもその人なりの事情があるのではないかという点の検討も不十分のようです。
にもかかわらず、刑事罰の制定を行うことは前提を欠くものであり、その進め方に慎重さを欠くと思います。
第2に、入院拒否という立法事実が仮に存在したとして、刑事罰が蔓延防止にどの程度効果を持つかという点の検証が不十分です。
刑事罰を課す以上、これにより入院拒否の事例が減少し、蔓延防止につながることが期待されなければなりません。
しかし、入院拒否には様々な事情があり、実際にはホテル療養や自宅待機などがあり得ることからすると、入院拒否がすなわち新型コロナウイルスの蔓延につながるとの因果関係も明らかとは言えません。
やはりこの点についてもしっかりとした検証が不可欠だと思います。
第3に、そもそも感染症法は、その前文で「我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である。」と定めています。
感染症法は、過去の感染症に対する国の施策が患者や家族に対する多大な人権侵害をもたらしてきたことを前提にしているにもかかわらず、入院拒否に対する罰則を設ければ、かかる理念に反すると言わざるを得ません。
具体的には、そもそも新型コロナウイルスに罹患した患者は、病気そのもので苦しみ、世間からの冷たい目で苦しんでいるのであり、そのような状態の患者に刑事罰をもって入院を強制することは、まさに国が新型コロナウイルスの患者に対する差別を許容し、助長するようなものと言わざるを得ません。
その意味で、入院拒否に対する刑事罰は感染症法の基本的理念と相いれないと思います。
以上のように、感染症法の改正により新型コロナウイルスの患者の入院拒否に対する刑事罰の制定には反対です。
行うべきは、患者がいつでもすぐに入院できる環境の整備、自宅療養などでも十分に治療対応を受けられる環境の整備、患者に対する言われなく誹謗中傷を無くすことにあり、それらが十分に行われていない状況で刑事罰を設けることは抜本的な解決にならないと考えます。