自民党の憲法改正草案を叩き台にしてはイケナイ理由
自民党は、平成24年4月に「日本国憲法改正草案」を発表しています。
この草案が発表されてから、すでに4年が経ちますが、最近では自民党の議員は
「自民党の改正草案はあくまで議論の叩き台であり、憲法審査会において国民の意見も踏まえつつ、自由に議論していけばよい。議論のためには野党からもぜひ対案を出して頂きたい。」
と述べるようになっています。
一見すると、①自民党は自身の改正草案にさほどこだわりがないかのごとくであり、また、②対案を出さない野党は意固地で国民や国のことを考えない悪いヤツかのごとく言い分です。
しかし、そもそもこの自民党の改正草案は憲法改正の「叩き台」にするにはあまりにも内容がお粗末かつ危険です。
というも、改正草案は、国民の自由を過度に規制し、国民の多数が改正を要望していない9条の改正を内容とし、国家に強大な権力を集中させるものであり、近代憲法の基本をすべて覆すものだからです。
こんなお粗末かつ危険な「叩き台」などいくら叩いたところでろくな物に仕上がりません。
このようなお粗末かつ危険な改正草案になったのは、憲法の基本のキすら知らず、知ろうともせずに作ったのですからある意味当然かもしれません。
料理に例えると、和食のイロハもまったく知らずに、自分の好きな食材だけ買ってきてむちゃくちゃに料理をし、「さあこれをベースにもっと美味しく仕上げてみなさい。」と要求するようなものです。
こんなことをされてはどんなに腕のよい料理人でもお手上げです。
だから、繰り返し言いますが、
「自民党の憲法改正草案は、今後の憲法改正の議論の叩き台にしてはいけません。」
野党が対案を出さないことが悪いことのような指摘については、そもそも憲法改正の要否の議論をすっ飛ばすからこうなるのです。
議論の順序としては、
①現行憲法の改正の要否の議論
②必要だとして、どの規定をどう変えるのかの議論
となります。
自民党は、①の議論をすっ飛ばし、②について議論するのでもはや誤導も甚だしいです。野党が対案を出さないのはそもそも①の点で、「改正必要なし」と考えているからです。このことは、国民の世論調査でも明らかで、改正必要なしが多数を占めています。
安倍首相は、この度の選挙でも「アベノミクスでいくのか、否か」と勝手に議論の土台設定をし、二者択一を国民に迫りましたがこのような手法はヒトラーの大衆扇動の手法に同じです。ヒトラーは、「悪いのはユダヤ人である。」と決め付け、それに伸るか反るかを国民に選択させたのです。
このような時期だからこそ、国民にとって大切な憲法の問題を立ち止まってよく考える必要があると思います。
「できない」から「がんばる」
人は、「できない」からこそ「がんばって」できるようになる。
そういう側面があると思います。
なんでも最初から「できる」のもいいけれど、「できない」という過程を乗り越えていく、その努力が人を成長させるのだと思います。
サッカーの本田選手ですら、「自分は下手クソだと思う。だから失敗した理由を徹底的に考えて、次はうまくいくよう工夫する。」と言っています。
傍目には、天才で、最初からサッカーがうまかったように見えてしまいますが、そうではないと本人は自覚しているのです。
だから、「できない」ことは何にも悪いことではありません。問題なのは、「できない」といってすぐにあきらめることであり、大切なのは「できるようになるまで努力すること」です。
私も「できない」ことだらけですが、諦めずに頑張ろうと思うようにしています。
「分かりやすさ」の大切さ
法律相談でも、日々の自分の考えでも、事務所の相談料でも、なんでもそうですが、「分かりやすさ」を心がけています。
複雑な問題を、複雑な料金体系を、日々の自分の考えを、いかに分かりやすく伝えるか、表現するかを意識して工夫するのです。
いくら自分が正しい知識を持っていても、それが相手に伝わらなければ意味がありません。
たまに講演の依頼を受けますが、その時にも「分かりやすさ」をとにかく心がけます。その結果、感想で「分かりやすかった」と頂いた時には本当に嬉しいものです。
世の中、政治でも経済でも、お笑いでもドラマでも、どんな分野でも「分かりやすさ」は大切だと思います。
でも、その「分かりやすさ」の背景には、しっかりとした理念、価値観、法律の知識があることが前提です。
政治についても同じで、「分かりやすい」スローガンやキャッチコピーだけでなく、それを支える本当の政治理念や価値観が本当は一番重要です。
表面的な分かりやすさに加え、中身についてもしっかりと追及できる弁護士を目指します。
むちゃくちゃ漕ぐ
自転車を猛烈な勢いで漕いでいる少年に遭遇しました。
もう、「全速力」を絵に描いたような漕ぎ方でした。余りにも勢いが凄すぎて、自転車も体も、右に左に大きく揺れていて、なんだかかえって無駄が多いように見えます。
隣を並走しているお友達らしき女の子は、普通に漕いでいたので、やはりこの少年の漕ぎ方は明らかに無駄です。
坂道に差し掛かっても勢いは変わりません。少年の漕ぐ勢いは落ちないのです。
きっと青春が彼を駆り立てるのでしょう。自転車を猛烈に漕ぐことで、無駄とはわかっていても何か、彼の中で消化するものがあるのだと思います。
少年の持て余したエネルギーを感じつつ、私は車でスーッと横を通り過ぎました。
自分にもこういう少年時代があったなーと思い、懐かしい気持ちでした。
オレはブラック
「ブラック〇〇」という言葉があります。
ブラック企業、ブラックジョーク、ブラックサンダー(チョコレート菓子)、ブラックの綿棒やブラックのティッシュペーパー、ブラックラーメンなどなど。
ブラック、黒というのは悪い、ダーティなイメージでとらえられがちです。
そのイメージに沿うようにして使う場合は「ブラック企業」のような使われ方です。
逆に、ブラックと銘打ちながら実は別にダーティでもなんでもないのが黒い綿棒やティシューなどです。これらはむしろ汚いものをキレイにするための用品であり、ダーティどころかクリーンな品物です。
クリーンと言えば白、ホワイトが多いところ、あえて黒を選び消費者にインパクトを与える作戦ですね。
さらに面白いと感じたのは、↑のブラックサンダーです。
これは黒いチョコレート菓子で流行っていますが、なんと先日、「白いブラックサンダー」なるものを見つけました。ホワイトチョコで作ったブラックサンダーなのです。ブラックサンダーだけどホワイト。黒いイメージのブラックサンダーの逆張りをした商品です。
話題作りに持ってこいですね。売れそうです。
他には、弁護士業界でもブラック弁護士、ブラック事務所などという言葉が使われ出しており、これはこれで困ったものです。依頼者を食い物にする悪しき事務所ですから黒というダーティさそのものの事務所なので。
ところで私はコーヒーをいつもブラックで飲みます。コーヒーの黒はダーティでもなんでもなく、炒ったコーヒー豆から抽出された色そのものです。
今朝はよくいく喫茶店でコーヒーを頼んだら、ミルクを付けず、ブラックで出してくれました。
「ブラックでよろしかったですね?」
そうです。覚えてくれたようです。
ブラックコーヒーで朝からクリーンな気持ちになりました。「ブラック」という言葉にも色々な意味がありますね。
働かない働きアリ
よく働くことの代名詞、「働きアリ」ですが、研究によると、その働きアリの中には常に一定割合で「働かないアリ」がいるそうです。
働きアリなのにどうして?
と思いますが、どうしてもそうらしいです。
でも、その「働かない働きアリ」ですが、ずっと働かないかというとそうではないようです。
一生懸命働いていた働きアリが疲れて休憩したり、人手(アリだけど)が足りなくなると、働かない働きアリも働き出すようなのです。
へー。
そして、疲れた働きアリは働かない働きアリが働いている間、休憩をとるようです。
へー。
そうすることで組織全体の適正が保たれているのですね。すなわち、働く働きアリが働いている間、一定割合で働かない働きアリがいることで、組織全体の体力の均衡を保ち、働き過ぎた働きアリが休憩している間、いままで働かなかった働きアリが働き出し、それによって組織としては常にだれかが働く状態を保てるのです。
うーん。すでに相当、働くとか働かないとかたくさん打ったな。。。
続き。
人間の世界でも、会社とかで「働かない人」っていると思います。でも、いざという時、急にフットワーク軽くなるパターンがあると思います。
これって、↑の働かない働きアリと同じパターンですね。
すなわち、働かない働きアリが組織維持に重要なのと同様、会社でも働かない人もある程度、大切だったりするんです。
さて、そうすると自分が普段から働く働きアリタイプか、普段は働かない働きアリタイプかよく見極めた方がいいかもしれません。
ちなみに私は間違いなく普段は働かない働きアリタイプです。
でも、その意味は、「組織ではまったく働かないが、一人になれば(自分でやるしかないので)めっちゃ働く」とご理解ください。
人は、活躍する場を与えられると頑張ったりするものです。
お金持ちになりたい!
誰もみな「お金持ちになりたい。」
そう思っていることでしょう。
私も、そう思っている一人です。
そう、お金持ちになりたいんです!
もはや、いったいどれくらいからが「お金持ち」なのかもわかりませんが、「お金持ち」という響きに憧れます。
で、最近はお金持ちを目指し、していることがあります。
それは、、、、
「お金持ちの(行動の)マネをする。」ということです。
お金持ちの行動をマネすればいつか、ひょっとして、何かのきっかけでお金持ちになれるかもしれない?
そう勝手に信じています。
具体的には、日経新聞を読むようになりました。
「きっとお金持ちは日経新聞を読んでいるハズ!」
勝手な思い込みですが、、、
それでも、日経新聞を読んでいると色々なことに気が付かされます。
例えば、掲載されている広告がいずれも高級であること。
マンション、車、時計、その他。なんでもかんでも他紙には掲載されていないような商品が掲載されています。(かといってどれもこれも私には手が届きませんが。)
他にも、企業の業績や、世界での動向など詳細に記事になっており、非常に勉強になります。
日経以外には、たまに「プレジデント」を買って読むようになりました。
これは言わずもがないろんな社長(=お金持ちに違いない)が出てくるので、非常に勉強になります。
昨日読んだプレジデントでは、ある社長が「本や雑誌はたくさん読む。30ページ読んで面白くなければ捨てればよい。私は面白いと思って完読した本もすぐ捨てるがね。本や雑誌はさして高いものではないから。」という記事がありました。
ふむふむ。お金持ちはたくさん本や雑誌を読むのか~(マネしよう)。それですぐに捨ててしまうのか~(もったいないなー)。本や雑誌は高くもなんともないのか~(安くもないけど!)。
と大変な衝撃を受けました。私なんて、その「プレジデント」すら「買おうか買うまいか」じっくり立ち読みしてから決めたのに。。。
やはりお金持ちへの道のりはまだ遠いようです。
ちなみにその時買った「プレジデント」は、端から端まで読みつくしてから捨てました。
一歩、お金持ちに近づいた気がしました。
朝型生活
長いこともう朝型生活が続いています。
夜は9時から10時ころには寝ています。
朝は早くて5時、遅くても6時半に起きます。
早寝早起きで快適です。
早目に起きると一日がとても有意義です。午前中にはその日のタスクを集中的にこなし、昼食をとると午後はプラスαの仕事に力を割けます。
そのため、以前よりも一日にこなせる仕事量が倍増したようにすら感じます。
次の日に仕事を残すこともありませんし、ほぼ毎日、仕事し尽くして帰宅します。
前日のやり残しが(ほぼ)ない状態でまた翌日を迎えるので、その日はまた新しいことにチャレンジできます。
この調子で朝型生活を続け、毎日新しいことにチャレンジし続けたいと思います。
豪雨時々晴れ
今年の梅雨は、ザーッと降りますね。
昨夜も、目が覚めるくらいの大雨でした。
ところが朝になるとすっかり止んでいて、日中は真夏のような日差しです。
梅雨というとなんだか「ジメジメシトシト」というイメージですが、そんなイメージももはや過去のことなのでしょうか。
なぜこのタイミング?~三菱自動車の補償について~
6月17日に三菱自動車は、今回不正の発覚した軽自動車4車種につき、一台10万円の補償を発表しました。
その内訳は以下のとおりとのことです。
1 燃料代の差額
2 今後の車検時等に想定される税差額
3 ご迷惑をおかけしたお詫び
この報道を受けて、先の見通しが立ったとして前向きに評価する方も多いようです。
しかし私はむしろ「???」な気持ちです。
というのも、まずそもそも国交省による燃費再測定の結果がまだ公表されていないからです。
次に、上記補償の内訳に、車両時価額が減少した点について何ら含まれていない点も疑問です。
さらに、一律10万円とし、一応の誠意を見せているかのごとくですが、燃料代の差額だけで通常3万円程度の差は出そうとの見通しですから、お詫び代として本当に充分なのかも疑問です。
むしろ今回の報道は、三菱自動車側が、早期の事態収束のために急いで結論を出したものと思います。ちょうど今月24日には株主総会もありますので、どうしてもそれまでに補償の見通しを公表する必要があったのでしょう。
そして、車両代金の差額については、上記補償と引き換えに放棄することとなるでしょうから、消費者に対しても二者択一を迫るもので、本当に今回のような不祥事を起こした企業の責任の取り方として正しいのか、慎重に判断すべきと思います。