弁護士による現地調査とその成果
先日、久しぶりに事件処理の関係で「現地調査」に赴きました。
大寒波の来る中、遠方まで出かけました。しかも初めて訪れる地だったので、
「現地調査にはるばる来てみたものの、よい調査結果にならなかったらどうしよう?」
と半分不安な気持ちでした。
何とか現地に辿り着き、場所の特定までは出来ました。
しかし、肝心の調査対象者には落ち合えず、その所在や手掛かりも見当たりません。
そのままでは「空振り」となってしまうと雪が舞う中、焦る気持ちで調査を続けました。
行き当たりばったりで通りすがりの人々に声を掛けましたが、「そんな人物は知らん。」とけんもほろろ。
焦りが募る中、調査対象のお隣さんにお声がけをしたところ、解決に向けての良い手掛かりを得ることができました。
その手掛かりを踏まえ、近隣の調査を続けたところ、どうやら当初の調査対象物件はこちらの思い違いであり、手掛かりに基づき新たに調査した物件が目的の物件と判明したのです。
おかげ様で遠路はるばるまで赴いた調査は奏功し、寒さで凍えた体を少し休ませてから帰路に着くことができました。
弁護士たるもの、時にはこのような「体当たり」の仕事もこなせないといけません。調査の際には、あらゆる手掛かりをフル活用し、事件解決に向けて突き進みます。
(この度の調査へご協力下さった皆様にこの場を借りて感謝申し上げます。)
スーツの防寒レベル
昨日から大寒波到来でとてもとても!寒いです。気温も低いし、風も強いし、今年一番の寒さを感じつつ働いています。
寒くなると、毎朝、その日に着ていく服装(スーツ)をどうするかしっかりと考えます。
今自分の持っているスーツを、➀防寒レベルの高いもの、②中くらいのもの、③そこまででもないものと大体3つのグレードに分けているのですが、当然、昨日や今日のような天気においては➀を選択します。
その上で今朝は、スーツの下にさらに長袖長ズボンのヒートテックを着ました。ここまでするのは滅多にないことなので、いかに今日という日が寒いかがよく分かります。
ちなみに、➀のスーツは、生地が厚手で起毛のもの、②は起毛だけど厚さはそこそこのもの、③は起毛タイプでないものといった違いがあります。
最近では、このような生地が厚手のものや、起毛タイプのもの自体の取扱いが減っていると、スーツ屋さんで聞いたこともあります。温暖化や年間を通して着回しが効くようにとのことで厚手のものは減っているようなのです。
しかし、私としては、スーツにもやっぱり季節感があって然るべきと思っていますし、そもそも③のようなスーツだと今日のような寒さは危険だと思います。
今日はそんなことを考え、この後、寒い寒い中、外に出向いていく案件に出発します。
「できないこと」を知ることの大切さ
ひとにはそれぞれ個性や得意不得意があり、ひとによって「できること」と「できないこと」の違いがある。
誰でもこのこと自体は「その通りだ」と思うことでしょう。
しかし、実際には我が子に対して「できるはず」とあれこれ求め過ぎたり、会社の部下に「なんでできないんだ!」と叱責してみたりということがままあります。
私は、学校の教育においては、「自分にできること」を知るだけでなく、「自分にはできないこと」「自分が苦手なこと」を知ることがとても大切だと考えています。
集団生活を送る中で、自分にはできないことを知ることが、その後の自分の人生の歩み方を考える上でとても大切なことだと思うのです。
なので、親にしても教師にしても、「なんでできないんだ!」などとできないことを責めるのではなく、むしろ「できないこと」に気が付けた点を重視し、「できること」に目を向けるようにするべきだと思います。
19世紀のイギリスの作家、医師であるサミュエル・スマイルズという方も
「私たちは成功からよりも、失敗からより多くの知恵を学びます。私たちはしばしばできないことを見つけることによって、できることを発見します。間違いを犯さない人はおそらく、決して新しいことを発見することはないでしょう。」
と述べています。
私は、この言葉も踏まえ、今年一年で、「自分にできないこと」を見つけて行こうと思っています。
*前提として、「できないこと」というのは、努力、工夫を重ねても自分には成し遂げえないということを意味します。それゆえ、努力、工夫もせずに「できませーん」というやり方は絶対にダメです!
今年の目標
さて、2021年になりました。
毎年、新年にはその年の目標を設定しています。
今年も例年通り目標を設定しました。同時に昨年の目標を振り返り、達成できたことできなかったことを思い返しています。
そうした作業を繰り返すことで少しずつでも前に進めると考えています。いつになっても、いつまでたっても自分は成長できる!と信じて今年も前向きに頑張ろうと思います。
ところで具体的な今年の目標自体はここに書いたりはしないものの、どれもこれも簡単には実現しそうにはありません。特にコロナが収束していない状況もあり、その意味でも今年一年間でどれだけの前進が実現できるか、本当にわくわくします。
それでは今年も一年、どうぞよろしくお願いいたします。
振り返り、また前を向く
今日で今年の営業も終了です。
多くの方が今年のことを振り返り、「大変だった」との感想を漏らしていることと思います。
私もこの点、まったく同じ気持ちです。
コロナもそうですが、公私ともに本当にいろいろありました。来年にはきっとこの多くの困難を少しでもより良い状態にもっていけるよう、さらに努力を重ねて行きたいと思います。
今年一年を振り返り、来年はまた前を向いて新しい年を有意義に過ごしたいと思います。
それではみなさま、どうか良い年をお迎えください。
刑の執行と刑の消滅~教師のわいせつ犯罪と資格再取得の可否~
ほとんど知られていないと思いますが、刑事犯罪を犯したことで刑事罰を受けた場合でも刑の執行が終了した後、相当期間が経過すると「刑の言い渡しは効力を失う」とされています。
このことの意味は、過去の有罪判決言渡しの効力は「将来に向かって消滅する」ことを意味します。
過去に有罪判決を受けたことは事実であっても、執行終了後、それなりの期間が経過したにもかかわらず、いつまでも「前科」に拘束されるのではなく、新たな人生を切り開く機会を確保するためのものともいえます。
特定の資格(医師や弁護士、教師、公務員、取締役など多数)においては、前科があると資格制限に該当し、当該資格を喪失したり取得できないこととなっているため、刑の消滅の規定を設けることで再度の資格取得を認めるものです。
最近では、教員によるわいせつ犯罪により失職した場合、免許の再取得自体を禁止する改正の意見が出ていましたが、本日の文部科学大臣の会見では、これを断念することになったとされています。
その理由として、わいせつ犯罪よりも重罪(殺人罪等)であったとしても、執行終了から10年で刑が消滅するのであり、そうすると殺人罪で服役して出所後10年経過すればいろいろな資格の再取得が可能なのに、教員のわいせつ犯罪のみ、永久に再取得を認めないというのはバランスを欠くためとされています。
たしかに、過去にわいせつ犯罪で教員資格を失ったとしても、一生、免許の再取得の機会を奪うことは行きすぎなのかもしれません。
ただ、教師によるわいせつ犯罪が後を絶たないことは事実であり、これはこれで法律や行政上のいろいろな対策が必要なことも明らかだと思います。
木村花さん、侮辱容疑での送検について
フジテレビのリアリティー番組「テラスハウス」に出演していた女子プロレスラーの木村花さん(当時22)がインターネット上で中傷され自殺したとみられる問題で、警視庁捜査1課は近く、ツイッターで木村さんを中傷したとして、大阪府箕面市の20代の男を侮辱容疑で書類送検する方針を固めた。捜査関係者の話で16日分かった。
占いサイト、鑑定サイトを通じた消費者詐欺被害について~占い、鑑定などを謳いつつも、実態のない占い、鑑定しか行わないサイトにご注意~
占いサイト、鑑定サイトが流行っています。多数のサイトが存在し、多くの利用者に占いや鑑定を提供しています。
そのような占いサイト、鑑定サイトのうち一部、違法な方法で集客、集金をして事業を展開しているものがあります。
具体的には、「占い」や「鑑定」と称して何らこれに相当するサービスを提供せず、やたらと根拠不明なメッセージのやりとりや、意味の不明瞭な言葉の送信を求めることでメッセージの回数を増やし、利用料を徴収し続けるというものです。
本当の意味での「占い」「鑑定」であればそれに応じた費用が生じることはまったく問題がありません。
しかし、中には、上記のように、やたらとメッセージのやりとりばかりを続けさせ、これを途中で止めようとすると、「運気が悪くなる」とか「あと少しで最高の金運達成になる」などというメッセージを送って来て、やりとりを続けさせようとするのです。
こうした手口は以前から横行していましたが、利用者の方はサイトを信じ切っていたり、「あと少しだけだから」という気持ちで利用を続けてしまうケースも多くあります。
しかし、最終的には手持ちのお金をすべて失い、カード決済の多額の請求が残るだけです。早期に利用を止めて、返金のために弁護士へのご相談をお勧めします。
なお、当事務所は、岡山出会い系等被害対策弁護団に加入しており、占いサイトも含めたサイト詐欺被害に注力しています。
https://www.deaikei-okayama-bengoshi.com/
「怪しい」と少しでも思ったらまずはご相談をお勧めします。
離婚に至る法律上のハードルの高さと、現実的な離婚成立までの経緯について~法律上の離婚原因はなくても、離婚することの可否について~
先日のブログでは、法律上の離婚原因が容易には認められないことを書きました。
そうなると、「離婚原因が認められず、私はこんなに苦しんでいるのに離婚できないのか?」と悩みを深めてしまう方もいるかもしれません。
この点、注意が必要なのは、法律上の離婚原因が存在しなくても、協議離婚、調停離婚、裁判上の和解による離婚の方法で実際に離婚をすることは十分可能ということです。
裁判上の離婚原因が厳しい要件を課しているのは、先日のブログでも書いたように「夫婦、親子関係に重大な影響を与える判断であるから」です。このような重要な影響を与える以上、裁判所は簡単にはこれを認めないこととなっているのです。
他方で、婚姻自体が当事者間の合意で成り立っていることの裏返しで、協議離婚を典型に、これを解消する合意たる離婚も、当事者間で取りまとめることが可能です。調停においても、裁判上の和解においても合意さえまとまれば離婚は可能なのです。
そして、実際問題、裁判所の判決によって離婚に至るケースは全体からするとごくわずかで、ほとんどのケースは協議離婚などで離婚に至っています。
当然、法律上の離婚原因がないケースでも合意によって離婚に至ることが多々ありますので、仮に法律上の離婚原因が認められずとも、離婚に向けて協議を重ねたり、調停を申し立てたり、場合によって離婚裁判に踏み切ることも決して無駄ではありません。
当事務所でも、多くの離婚案件を扱ってきましたが、裁判所による判決で離婚に至るケースはほんとうに限られています。ほとんどのケースでは、判決に至らず、お互いの合意により、納得の条件で解決しているのが実情です。
ですので、離婚原因がないからといって、離婚を躊躇する必要はありません。
結局、どのような場合なら離婚が認められるのか〜裁判上の離婚原因について〜
離婚の案件をこれまで多数対応してきました。
ご相談の中で多いのは、具体的にどのようなケースであれば離婚ができるのか、自分の置かれた状況からは離婚が認められるのかというものです。
世間的には、色々な情報が溢れていて、中には「別居して◯年経つと離婚が認められるんですよね?」などと聞かれることもあります。
しかし問題はそう簡単ではありません。というのも、離婚とは、これまで築き上げてきた婚姻生活、家族関係、身分関係を終了させるものであり、夫婦や親子の関係に重大な影響をもたらすからです。
そのため、お互いの意思で離婚ができた場合(協議離婚)は別として、離婚するかどうかやその条件で揉めていると、一方の意思のみで離婚にはなりません。
離婚調停を経ても話がまとまらないようだといよいよ離婚裁判になります。そして、離婚裁判の場合、法律上の離婚原因があれば離婚が認められます。その場合の離婚原因は次の通りです。
- 1 配偶者に不貞な行為があったとき。
- 2 配偶者から悪意で遺棄されたとき。
- 3 配偶者の生死が三年以上明らかでないとき。
- 4 配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき。
- 5 その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。
上記に照らすと、離婚原因で分かりやすく典型的なものは不倫です。それ以外についてはあまり分かりやすくないですし、特に2から4は一般化もし難いと思います。残る5については、事情に応じて色々と解釈の余地があり、多くの事案では5に基づき離婚裁判が展開されています。
そして、5の事例に相当するのではないかとのことで、「性格の不一致」や「別居」が当たるのではないかと聞かれることがあります。
まず、性格の不一致は、これだけでは離婚原因になりません。なぜなら婚姻の時点で相手の性格は分かっていることですし、そもそも夫婦の性格が異なるのはある意味当然のことだからです。なので、性格の不一致で離婚が認められるのはその不一致の程度が著しく、日常生活を送ることすら支障が生じるようなケースに限られます。
次に別居ですが、確かにこれは離婚原因となります。別居=夫婦としての実態がないということだからです。問題は、その期間や中身です。婚姻期間全体に照らしてどの程度の別居期間に至っているかという割合の観点と、別居自体の長さという絶対的な期間とで検討が必要です。
例えば、30年の婚姻期間がある夫婦で、関係が悪化して1年程別居したとしても離婚原因とは認め難いと思います。他方で、婚姻してまだ2年であるものの、すでに別居して1年になるようなら離婚事由となりやすいです。
別居の中身も重要です。単なる単身赴任はいわゆる離婚の意味での別居とはなりません。また、生活場所が別でも、頻繁に連絡をしていたり、一緒に出かけたりしているようでもダメです。
このように、夫婦の一方が離婚を強く望んでも、裁判所は容易には離婚を認めません。それは上記の通り、夫婦関係、家族関係を重視する点にあると言えます。加えて、夫婦というものは、基本的には人生を供に歩むパートナーであり、人生には苦楽があるのが当然であるから、長い目で見て、ちょっと関係が悪くなったからというだけで離婚を認めるのは相当でないからです。
極端に言うと、婚姻の際に「辛い時も、悩める時も相手を愛することを誓いますか。」との神父さんの言葉に対して「誓います」と答えたことの真意が問われているとも言えます。