才能の作られ方
人はそれぞれがそれぞれの才能を持っています。
その才能は、生まれ持ってきた「素質」を前提に、その素質を伸ばすことのできる「環境」と、素質を伸ばす努力を続ける「集中力=継続する力」によっていくらでも可変します。
なので、人の才能を伸ばそうと思ったら、まずもってどの分野の「素質」があるかを見極めます。素質のないことについて、いくら「環境」を整えて「続けさせて」も絶対に伸びません。本人からすれば苦痛なだけです。
次に、その人がその分野を集中して突き詰め続けられる「集中力」の有無や程度を見極めます。いくらか「素質」が見込める分野であっても、本人が興味関心を持たず、「続けられない」ならやはり成長はありません。
最後に、「素質」と「集中力」が見込める分野について、適切な「環境」を整えてあげます。環境がなければ、どんなに得意な分野でもそもそも取り組みようがないし、どうせなら、より良い環境の方が良く伸びるからです。
特に指摘したいことは、世の中のトップクラスで活躍する人々は、分野を問わず誰でも「異常なまでの集中力=継続する力」を持っている点です。
スポーツ選手であれば、幼いころから長時間のトレーニングをこなしていますが、これを続けられること自体、物凄い集中力です。
画家であれば、一日中、絵を描き続けてもへっちゃらです。
発明家や研究者も同じです。成果が出るかどうかは別にして、毎日長時間、何年にも渡り研究を続けます。有名なエジソンも、ファーブルも一日中発明や研究に取り組んだに違いありません。
最近ブームの将棋でもそうですよね。一流棋士は一日中、棋譜を眺め、分析し続けます。
「継続は力なり」とか「好きこそものの上手なれ」と言いますが、これらはいずれも、「素質や環境はともかくとして、継続する集中力があればこそ、成長や成果が期待できる」ことを意味していると思います。
たしかに「素質」が高いに越したことはありませんが、それよりも何よりも、「自分はこれだったら夢中になっていつまでも取り組むことができる!」という分野を見つけることの方が重要だと思うのです。
その意味では、たとえば自分の子どもにあれこれ習い事をさせてみて、夢中になることを見極めてあげると良いと思います(逆に言うと子どもが夢中にならない習い事は意味がなく、単なる親の自己満足に過ぎない)。
ちなみに、私は、過去を振り返みると、迷路遊び(画用紙に延々と迷路を描き続ける)、レゴ、ファミコン、将棋、落語(の本を読む)、バイク、クラブ音楽、ボルダリング、車などなら延々と続けられてきたと思います。これらのことであれば飽きることなくいつでも、いつまでも、続けられてきました。そして、司法試験もそうです。10年かかりましたが、毎日、延々と勉強し続けてきて今があります。
反対に、サッカー(中学で断念)、ダンス(高校で流行ったので自分もやったがすぐ断念)、スノーボード(これも同級生と行ったし、ボードも買ったがいまはまったく)、ダイビング(ライセンスをとったきり)などいくつもいくつも続かなかったものがあります。
でも、いろいろ試したことによって、自分の適否が分かるので、これはこれで良かったのではないでしょうか。
いずれにしても、今後は、弁護士として延々と弁護士としての仕事を続ける気がしています。