教育投資とは?
義務教育の無償化、幼児教育の無償化、果ては私立中学や、大学の無償化など、あらゆる教育の範疇で無償化が議論されている昨今です。
教育が無償化されること自体は、教育を受ける主体である子にとって良いことですが、子に対して教育を施したり、教育資金を負担する親にとってはそもそも教育とはどのような意味を持つのでしょうか?
この点、子に対する親の教育費の負担を「教育投資」と表現することがあります。
子に教育資金を投入することで、将来、子が出世するなどし、子自身や親にとって経済的その他のメリットないし見返りがあるというものです。
教育資金を投入する親からすると、「多額の教育費を負担する以上は元をとりたい!」という心理が働き、「投資元本を回収したい!」となるのでしょう。
このような親の心理自体はわからなくはありませんが、子はあくまで一人の個人ですし、単なる物や、金を生む機械でもありません。一人一人の個性があるのであり、教育資源を投入したといって、親が期待した通りの結果になったり、効果が保証されるものでもありません。
なので、教育を「投資」と考えることは私は否定的に捉えています。教育資源を投入しても、その子がどう育つか、将来になって、投入した教育資源が回収できるか否かも分からない。そう考えるべきだと思うのです。
このような観点が抜け落ちて、教育資源の投入=投資=元を取りたい!とまっしぐらになると、期待通りにならない子に対する虐待などの問題につながります。
そもそも、教育投資、という言葉にあるように投資だと考えたとしても、投資というものがそもそも「得をするかもしれないし、損をするかもしれない」という前提で成り立っています。
しかし、いつの間にか「金をかけた以上、損をしたくない」という個人の「欲」ばかりが先行する世の中になっているように思います。
もう少し、余裕を持って、「投資」をしなくてはなりません。物事は何でも自分の思うようには進みません。