自分に何ができるのか?
「自分になにができるのか?」
毎日のように自問自答しながら仕事に取り組んでいます。
弁護士として、自分の得意分野はなにか?相談者、依頼者のみなさまにどんなサービスを提供できているのか?もしくはなにができていないのか?
ひょっとして自分行っていることなど大したことでもなんでもないのではないのか?より一層の努力が必要なのではないか?
そう考えながら、まずは自分にできることを精いっぱい取り組むことだ思っています。諦めずに、精いっぱいの努力をすることでより良い結果が実現できると信じています。
今日も、最後まであきらめずに、依頼者の方の権利実現のため必死で動いています。
期待し過ぎない生き方
期待していたことが実現しないと、がっかりします。何とも言えない喪失感があります。
「今夜はトンカツよ!」とお母さんに言われて期待していたのに、何かの事情で野菜炒めに変更になったときのがっかりと言ったらありません。
期待したトンカツの期待値を100として、実際に出た野菜炒めを60とすると、40だけ損した気分になるからです。
最初から野菜炒めと言われていたらこの40の喪失感を味わうことなく済んだのに、といったところです。
結婚もきっと同じで、「幸せにするから!」と言われ、期待値100で結婚したが、結婚後、いろいろな事情で期待値を下回る結婚生活となり、100→90→70→40→0みたいな感じでどんどん下がっていったりするのだと思います。
途中で挽回できることがあれば良いのでしょうけど、なかなかそうとばかりもいきません。
そして、もともとの期待値100が、ある一定ライン以下になると、「離婚してください!」となるのだと思います。
結婚は我慢の連続だ、とも言われますが、まさにその通りかもしれません。
でも、本当は、「トンカツよ!」と言ったお母さんにも、「幸せにするから!」と言った配偶者にも責任があります。期待させることを言った以上は、その期待を裏切ってはいけません。きちんと約束を守るべきなのです。
ただ、そうはいってもお母さんも、配偶者もただの人間です。時には言ったことを実現できないこともあるのでしょう。そうなると今度は期待させる言葉を聞いた側の自己防衛(?)も重要になってきます。
「母さんのことだからどうせお肉を買うのを忘れてメニューが変更になるかもしれない。」とか、「この人は甘い言葉ばかりでどこまで信用していいかわからないけど、そこそこ幸せにしてくれればいいや。」という程度に受け止めておけばよいのです。
そうすれば、そもそもトンカツに対する期待値は70くらいに、結婚に対する期待値も80くらいにとどまり、野菜炒めとの差も、現実の結婚生活との差も大して気にならなくなります。それほど大きな喪失感にならないからです。
ところでこんな偉そうなことを書いている私ですが、昨日は期待していたことが2つも実現せず、喪失感一杯で帰宅したものです。帰りの車中で、「期待し過ぎると人間辛い」そう考えました。
なので、日ごろから何事に対しても「期待し過ぎない」方が健康的な生活を送れるかもしれません。
労働審判の良さ
久しぶりに労働審判を申し立てしていました。
労働審判は、労働事件について、通常の訴訟と異なり、申立後3回以内の期日にて紛争を解決することを目指す制度です。
通常の訴訟だと解決まで1年~かかることも珍しくないところ、それでは労働者のためにならないこと、企業としても労使紛争を早期に解決したいとの意向を実現するためのものです。
その醍醐味は「短期集中決戦!」といったところでしょうか。
申立ての準備、相手方の反論に対する再反論、審判の期日での攻防や駆け引きなど、短期間でめまぐるしく状況が動き、準備し、悩み、そして前に進むための決断を迫られます。
どちらかというと集中的にピンポイントで作業を進め、相手の弱みに付け込んで有利な駆け引きに持ち込むのが得意な私には向いている制度だと感じています。
これまでも「こんな案件が労働審判で解決するとは思えない。」と申立後に裁判所から難色を示された案件でも、有利な解決を得たことが何度かあります。
労働審判で解決すると、短期間で身分が安定するので労働者にとっての実益はとても大きいです。なので、労働トラブルが起きた際には労働審判での解決を常に視野に入れています。
紺違い
秋になってきたので、秋冬のスーツを着よう!
と思い、紺色のパンツを履きました。
もろもろの用意を済ませた後、バタバタしながら紺色のジャケットを急いで来て自宅を出ました。
しかし、午後になって、着てきたジャケットの様子がおかしい、、というか履いているパンツと柄が違う、、、
と気が付きました。
慌てて出てきたので、夏物の紺のジャケットだったのです。何とも言えない恥ずかし気持ちになり、今日はこの後、ジャケット無しで過ごすか、それとも素知らぬ顔で微妙に柄の異なるパンツ+ジャケットで押し通すか、迷っているところです。
10辛の思い出
事務所前のココイチ(カレー屋さん)によく行くのですが、今日、本当に久しぶりに辛さを「1辛」にしてみました。ずっと「ふつう」で注文していたのですが、なんだかシャキッと目が覚めないので目覚まし代わりにと思ったのです。
ところが、食べてみてビックリ!
久しぶりの「1辛」は本当に目の覚める辛さでした。
「こんなに辛かったっけ?」と、汗をかきながら食べました。
ところで何年も前には飲んだ帰り、深夜に仲間みんなでココイチの「10辛」を食べたことがあります。
久しぶりに今日「1辛」を食べたことでその時の苦しいほど辛かった思い出がよみがえりました。胃の中が辛さの刺激にやられ、ジンジンとし、自分の胃のカタチがわかるのです。
そんなことを思い出しながら、ふとメニューを見てみると「6辛以上は過去に5辛を完食しないと注文できません。」と書いてありました。
食べる人の健康に配慮してくれているんですね。。。
次回は「普通」に戻します。それにしても辛さに弱くなったのでしょうか。
こういう物が欲しかった
日々生活する中で、「こういう物が欲しいんだけど、どこかに売っていないか?」と思うことがあります。
最近はずっと、ネクタイハンガーが欲しかったのですが、やっと「これだ!」と思う物を見つけました。
これまでは無数のネクタイを、ひとつのフックに無造作に重ねてかけていたのですが、それがどうもイヤだったんです(シワになるし、下の方のネクタイを取りにくい)。
でも、ネクタイハンガーってどれもこれもプラスチック製やスチール製の味気ない物が多くて買う気になれなかったんです。
今回はたまたま、「ウッドロア」というアメリカのメーカー製の物を雑誌で見つけてすぐ気に入りました。
今まで見てきた物との違いは、何といってもレッドシダーという木製であることと、ネクタイだけでなく、ベルトもかけられるフックが付いていることです。
ネクタイも一本ずつかけられるようになっていて、シワにならないし、選びやすいです。値段も5,000円以下で、今後生涯使えることを思えば決して高くはない。
雑誌で見た瞬間「そうそう!これこれ!こういうのが欲しかったんだ!」と思いました。自宅に帰り、即注文し、昨日届きました。ちょうど、クールビズも終わり、ネクタイを付ける時期なので良かったです。
ちなみに、レッドシダーって結構人気の木材です。住宅の外壁に使ったりもする雨に強い素材です。少し赤みがかかっていて味があるのです。
そんな点も気に入って、とてもよい買い物ができました。
今回買った商品が気になった方は「ウッドロア タイ&ベルトハンガー」で検索してみてください。普通のハンガーも扱っています。これも素敵です。
減らない被害
かれこれ出会い系サイト被害を始めとしたサクラサイト被害の案件に取り組むようになって数年が経ちます(おそらく4,5年くらい?)。
全国的にも取り組んでいる弁護士が増え、消費生活センターも熱心に対応してくれていることもあり、徐々に相談件数も減ってきたかな?と感じていましたが、どうやら実態はそうではないようです。
先日実施した無料電話相談会でも予想以上の相談件数がありましたし、ここ数日、うちの事務所への相談も増加傾向にあります。
加えて最近ではアマゾンギフトを使って決済させることで被害回復を困難にする手口が急増しています。
このような状況を見ると、むしろ被害の実態事態は深刻で、どこに相談したらよいか困っているケースが多いように感じます。
ネット、スマホがこれだけ普及し、今後もこの普及率が下がることはないだろうことを踏まえると今後もしっかりと取り組むことが重要だと再認識しています。
長く使っているモノ
自分の持ち物で「これは長く使ってるな!」というモノがありませんか?
パッと思い浮かぶのは、グレゴリーのウエストバッグとカエルのハサミです。
バッグは大学生のころに買ったので約18年使っていると思います。丈夫だし、たくさん入るのでこの間、いろいろなところにこのバッグで出かけました。
海外にバックパック旅行した時も持って行き、貴重品やら食料品やら着替えやらを入れるのに重宝しました。
どんなに過酷な扱いをしてもまったく壊れておりません。
ハサミは幼稚園のころから使っています。もはや30年以上ということですね。
ハサミの接合部分がカエルのカタチになっていて、カエルのシールが貼ってあったのですが、シールはさすがにはがれてしまっています。
でもハサミとしては現役で、自宅に複数あるハサミのうち、今でも「自分のハサミはコレ」という気持ちです。
どちらもこの先いつまで使えるかわかりませんが、人生を共にしてきた道具を見ると、その時々の過去の自分を思い出すから不思議です。
靴と足
仕事はスーツなので革靴を履きます。
革靴っていろいろありますが、足に合わないものを選ぶと最悪です。
指やかかとがすぐ痛くなります。あんまり靴底の質が悪いと足の裏まで痛くなります。
スニーカーだと多少合わなくても素材がソフトなので多少ごまかせますが、革靴はそうはいきません。
なので、革靴はいつもしっかりとしたもの、きちんと自分の足に合うものを探し、試し履きし、買うようにしています。
いくら見た目が良くて気に入ったとしても履いた感触が合わないものは絶対買いません。
靴と足、きちんと合うものを選ぶことがとても大切です。多少値段が張っても、きちんと合う靴を選ぶことの方が結局は長く履けて靴も傷まないし、足も楽なので経済的です。
足に合わない靴を無理に履くことは足にとっても靴にとっても不幸です。
弁護士選びも靴選びと同じです。合わない弁護士に無理にお願いしても、依頼者にとっても弁護士にとっても不幸な結果を生みます。
自分の型を知り、それに合う弁護士を探す。とても大切なことだと思います。
自分に合った弁護士を選べた時には、その後の長い将来に渡り、いろいろな意味で長く信用して相談できることでしょう。
優柔不断な人が即決した時
普段即決即断の自分ですが、時に迷うこともあります。
反対に、普段は優柔不断でなかなか物事を決められない人が、時に即決即断することがあります。
普段は、即決即断の私は、優柔不断な人に、物事を決める道筋を示し、決断を促すことが多いのですが、私が迷った時に限って優柔不断な人にアドバイスを求めると、なぜか即決即断の回答が来ることがあります。
そういう時には優柔不断な人の即決即断を信用することとしています。
”普段迷ってばかりいる人が迷わずに決めた以上はきっとその選択は正しいはずだ”
と思うのです。特にこれといった理由はないのですが、そう感じます。
今回も散々迷った選択について、最終的には優柔不断な人の即決即断を採用することとしました。
人は自分の足りない部分を他人に支えてもらっているのかなー、なんて感じたりもします。