調停制度のメリットとデメリット
先日は示談交渉のメリットとデメリットについて書きました。
そうなると今度は調停や訴訟制度のメリットとデメリットも知りたいとなるでしょうから今日はまず調停制度のメリットとデメリットについて説明します。
まずメリットですが、調停制度の最大の特徴は、裁判所の調停委員が間に入り、非公開の場で当事者の主張を互いに聴取し、その橋渡しをしてくれるという点にあります。
直接相手方とやりとりをしなくて済む事、裁判所の調停員として中立公平な立場で冷静かつ親身に関与してくれることから離婚や遺産など家族親族関係の問題解決にふさわしいと言えます。
また、調停の場合、当事者間の言い分や要望が相互にかけ離れていたとしても、裁判所、調停委員が間に入り、公平妥当な結論を示した上で解決に向けての話を進めることが出来る点も大きなメリットです。
離婚にしろ遺産分割にしろ、感情的な対立などから、お互いの歩みよりが難しかったり、お互いの法律知識や理解の差から歩みよりが難しかったりすることがありますが、調停であれば間に裁判所が入ることでこれらの問題を解消することができるのです。
他にも、訴訟による解決になじみにくい事案(証拠が十分にないとか人間関係などを考慮して裁判にはしたくない事案など)においても調停制度による解決のメリットがあります。
他方でデメリットとしては、解決までにそれなりの時間や期間がかかることです。上記のとおり調停制度は当事者の言い分などを丁寧に聴取してくれるのでそのための時間が必要です。
また、離婚や遺産の問題は協議すべき事柄も多く、かつ人間関係が泥沼化していることも少なくないのでそのためにも多くの時間を要します。離婚の案件では半年~1年ないしそれ以上かかることもざらです。
さらに、調停委員の方にも様々なタイプがいるため、相性が合わないとか、進め方や話し方が気に入らないといったことも不満として時にお聞きするところです。
以上がおおまかな調停制度のメリットとデメリットです。弁護士はこのような調停制度の特徴を踏まえて、依頼者の方にとって最大限有利な条件を勝ち取れるように調停手続きに臨むようになります。
木村花さんの件での賠償命令について
2021年5月19日付けで東京地裁は木村花さんに対する誹謗中傷を行った被告に対し、約129万円の判決を言い渡したと報じられています。これが木村さんの件での初の損害賠償を認める民事での判決とのことです。
ネット上での誹謗中傷に対しては、権利救済のために非常に困難なハードルが多いことで法改正やネット教育の充実などが議論されてきました。
今回も、昨年5月23日に木村さんが亡くなった後、
➀6月にツイッター社に対するIPアドレスの開示を求める仮処分を申し立て、
②その決定を踏まえて今度はプロバイダーに対する発信者情報の開示を求め、
③プロバイダーから11月に開示を受けたものの、契約者と発信者が別人だったとのことからその後の調査を続け、
④やっと特定できた発信者に対して今年1月に本件訴訟を提起でき、
⑤昨日判決に至った
とのことです。
ほぼ1年を要して民事上の判決まで至った訳ですが、報道によればどうやら当該発信者は上記裁判に欠席したままだったとのことなので、判決が仮に確定したとしても、賠償額を任意で受けられるか定かでありません。なので、今後は判決が確定すれば、被告に対する差し押さえを検討しないとなりません。
本当の意味での解決はまだもう少し先になるのでしょう。
加えて、判決での認容額のうち慰謝料部分は50万円であり、これがこの度の賠償額として十分なのかも議論が必要です。現在の裁判例の慰謝料相場はおよそ低額に過ぎるとの声も多分にあり、本当の意味でネット上の被害が無くなるためにはネット教育、法改正、裁判所における慰謝料相場の改変など多面的な改善が必要だと思います。
示談交渉による解決のメリットとデメリット
弁護士として事件の依頼を受ける際、訴訟や調停などといったいわゆる「法的手続き」ではない「示談交渉」による受任形態があります。
示談交渉という言葉自体は、今や多くの人が知っている言葉でもあり、相談者の方も「示談でお願いします」と、受任形態を希望されることがあります。
示談交渉は訴訟と異なり、穏便に解決する、スピーディーに解決するといったイメージがあるようです。他方で訴訟については、大事、大変、長くかかるといったイメージが強いようです。
このようなイメージの違いもあり、示談での解決を希望する方が多いのだと思います。
たしかに示談交渉についての上記イメージはいくらかはその通りですが、他方で示談交渉においては訴訟の場合と異なる大きなデメリットがあります。
それは、示談交渉は当事者間でのやりとりないし交渉の結果、条件がまとまれば交渉が成立するが、まとまらなければ何らの結論も得られないという点です。そのため、示談交渉の場合、たとえいくら相手方の言い分や条件が不当であり、そのことを一生懸命こちらが指摘しても、相手方が折れてこない限りはまとまらないのです。
他方で訴訟の場合には間に裁判所が入ることから、当事者間の主張立証を踏まえ、最終的には裁判所が言い分に対する結論を出してくれます。相手方による主張が不当なものであればハッキリとこれを判断してくれます。
そのため、示談交渉での解決を念頭に置く場合、相手方がこちらの要求をあれこれ飲んでくれればラッキーですが、そうでない場合にはこちらもそれなりの譲歩もしくは相当の妥協をしない限りまとまりません。
なので、弁護士としてはいくら示談交渉が穏便でスピーディーだとしても、相手方との折り合いがつきそうにないケースでは示談交渉での解決をお勧めしません。
それでも示談交渉をお受けすると、あれこれ交渉を試みたものの結局は折り合いがつかず、やむなく訴訟に移行することとなります。これでは結果的に時間も費用も余計にかかるばかりです。
なので、示談交渉にはメリットもありますが、そのデメリットも小さくないことをしっかりと認識した上で解決のための方法選択をして欲しいと思います。
不貞慰謝料に対する加害者側の責任の軽重について
(慰謝料の請求方法について)
不貞慰謝料は、不貞行為を行った当事者2名に対して請求が可能です。
被害者をA、その配偶者たる加害者をB、不貞相手をCとした場合、BとCとの責任は共同不法行為による不真正連帯債務と扱われます。このことの意味は、Aとしては被った精神的苦痛についてBだけに全額を請求しても良いし、BとCに連帯して全額を請求しても良いし、Cだけに全額を請求しても良いということです。
その結果、次のような請求方法が考えられます。
【ケース➀】
AがBとCに同時に請求する(たとえばAがB,Cに合わせて200万円を請求する。)。
→このような請求方法になるのは、離婚した場合や離婚が目前に迫っている場合が多いです。
【ケース②】
AがCにだけ請求する(たとえばAがCに200万円を請求するがBには請求しない。)。
→ケース➀と異なり、離婚をしない場合にはこのような請求になることが多いです。
【ケース③】
AがBにだけ請求する(たとえばAがBに200万円を請求するがCには請求しない。)。
→理屈上はあり得なくないですが、あまり多くない類型です。
(BとCの責任の軽重について)
以上のように複数の請求方法がありますが、BとCとが連帯責任として扱われる関係で、果たしてその責任の軽重について違いがないのかが問題となることがあります。
具体的には、上記ケース➀の場合に、BとCとで認容される金額に違いはあるのか、ケース②の場合に、Cに請求できる金額はケース③でBに請求する場合と比較して減額されるのか、という形で問題となります。
また、ケース➀で、CがAに支払った慰謝料について、Bにも負担を求めた場合に、支払った慰謝料の何割を求めることができるのかという場合(ケース④といいます)にも問題となります。
【考え方➀】
上記の問題について、BとCとは共同不法行為による不真正連帯債務を負う立場にあるから、AがBないしCに請求できる金額に違いはないとする立場です。
この考え方に従うと、上記ケース➀ないし③のいずれの場合でもBとCはAに同じ金額を支払えとの結果となります(たとえばケース②の場合、CはAに200万円を支払えとなる。)。
ただし、ケース④において、BとCとがお互いの責任割合を踏まえた求償の場面では、BとCのいずれの責任が大きいかを検討、判断し、負担割合を決めることとなります(その結果、BとCの責任割合が6:4となればBは120万円、Cは80万円を負担することとなり、差額を回収できる。)。
【考え方②】
不貞行為の当事者のうち主たる責任はBにあることから、特段の事情の無い限り、Bの責任を大きいものとみる立場です。
この考え方に従うと、上記ケース➀、②ではCが支払うべき金額はBが支払うべきそれよりも減額されることとなりえます(たとえばケース③では、BはAに200万円を支払えとなるような事例でもケース②においては、CはAに180万円を支払えとなるに留まる。)。
そのため、とりわけケース②の場合には、Aにとっては、考え方➀の場合よりも損をすることとなります。
現在、BとCの責任の軽重に関する最高裁の判例はなく、かつ地裁では判断が分かれる傾向にあります。他方で東京高裁では考え方②を採用したものがありますが、必ずしもこれが一番有力な考え方とも言い切れない状況だと言えます。
したがって、不貞慰謝料の請求に際しては、これらの問題点を考慮の上で解決に向けて進める必要があります。
混乱
ここ最近、世の中が非常に混乱しているように感じます。
オリンピックの開催の是非を巡って選手自体に対して向けられた言葉、ワクチン接種の予約のために早朝から病院に並ばざるを得ない高齢者、「人流」なる言葉で扱われる個人の移動、具体的スケジュールの見えない収束へのプラン。
どれもこれも新型コロナウイルスが原因ですが、その原因に対して効果的対策が打てていないことは明白です。
繰り返される「自粛要請」「休業要請」「徹底した対策」で解決しようとすることはもはや限界を超えています。
それゆえ、人が人としてあるべき冷静さを保てず、混乱しているとしか思えません。
この混乱の中、少なくとも他人を傷つける言動だけはしないようにと意識を強めています。
変な夢~津山でスケート~
変な夢を見ました。
津山でスケートをする夢です。スケートリンクにたくさん人が集まっていて、みなこぞってスケートに興じていました。
なぜか、リンクの中央に座り込みをしたり、寝転んだりしたりする人々がたくさんいて、リンクの周りしか滑れませんでした。
物凄い密で、物凄い熱気の中で、私もスケートをしました。
でも、何度もコケそうになり、本当に変な夢でした。
現地に赴き得られるもの
みなさま、今年のGWはいかがお過ごしになりましたでしょうか。
私は、今年のGWには普段できないことや普段行けない場所に行くことが出来てとても充実な時間を過ごせました。
とりわけ、仕事に大いに役に立ちそうな情報を得ることが出来たのが大きな収穫です。
やはりせっかくのGWには普段経験できないことをするのが一番だと感じます。
いろいろと制約が多い日々ではありますが、その中でも出来る限り様々な経験を積んでいきたいと強く思います。
職業選択について
家裁の待合室で順番待ちの際、置いてあった書籍が気になり、開いてみました。村上龍さんの「新13歳のハローワーク」という書籍です。
初版は2003年で、置いてあったのは2010年の新版の方でした。
ベストセラーになったこともまったく知らなかったのですが、内容がとても面白かったので自分用にも購入してしまいました。
特に面白かったのは、はしがき。
村上さんが、職業選択について思いを綴っています。
自分に向いていることを職業にするべきであり、それが見つかるのはだいたい28歳前後。それまで、13歳から数えると15年という十分な時間があるからその時間を有効に使って自分にとって向いている職業を選んで欲しい。
とのことです。
ご自身も28歳のころに、作家として生きていく決意が出来たとあります。
また、ご自身は、作家という仕事が「好きか」と聞かれると「そうではない。ただ、向いているとは思う。作家として長時間、長期間文章を書き続けたり、調べたりすることはまったく苦にならない。」とのことです。
とても興味深い言葉です。
一般的には、好きなことを職業に出来たら幸運だと言われたりしますが、村上さんは好きかどうかではなく、「向いているかどうか」で考えています。
その「向いている」仕事をいかにして見つけることができるか、出会えるかが非常に大切なことだということです。
私も弁護士という仕事をしていますが、向いているかどうかで言われると、「向いている」とは思います。好きかどうかでいうと、確かにどう答えようか考えます。
なるほど、職業選択の在り方について深く考え直しました。
結局、あるべき職業選択の流れは、
➀自分に向いているかどうか(かつ好きであればなお良い)
②その職業をこなすだけの能力があるかどうか(どんなに向いている仕事でも、どんなに好きな仕事でも能力が不足すれば職業としては成り立たない)
③生活するに十分な収入(もしくは自分が望むくらいの収入)となるかどうか
が大切ですね。
③を最初に考えてしまうと長続きしなかったり、仕事に対する不満ばかりが出るかもしれません。
やはり、➀において、ふさわしい職業を選択できていれば、その人にとって長い目でみて充実した人生になると思います。きっと、➀において、自分に向いている職業を見つけた人は、その職業に就くことを目指してきっと努力することでしょう。
そうすればおのずと、②の能力についてもついてくることでしょう。
私自身は、中学生のころに弁護士を志すようになりました。不条理が嫌いだったからです。ある意味で➀を満たしています。その後、必死で勉強をしました。受験勉強は約10年です。毎日10時間以上、歩いている時も電車に乗る時も、お風呂でもトイレでも勉強をしました。やはり、(勉強は大変でしたし、楽ではありませんでしたが)向いていたのだと思います。
その結果、何とか②能力が備わって、弁護士になることができました。
職業選択というのはとても奥が深いと感じます。
慣れないパソコン上の電卓
最近、電卓を止めて、パソコン上の電卓を使うようにしました。
↑ちょっと分かりにくいですが、いわゆる物理的な電卓を止めて、パソコン内のアプリで使う計算機を使うようにしたということです。
物理電卓を使わないようにしたのは、何でもパソコンやタブレットで出来ることはそちらに移行することを検討しており、物理電卓についてもその方法で全く問題がないと分かったためです。
ただ、まだ慣れていないため、何か計算をしようとした際、デスク上の(もうしまっており、存在しないが)物理電卓を探してしまいます。
でも、いったんパソコンの電卓になれれば、きっと将来的には物理電卓を使うこともほとんどなくなってくることでしょう。すでに、スマホで電卓を使うのは当たり前ですし、昨年購入したiPadでもアプリの電卓で本当に便利なものがありました。
なのでこの度、パソコンでも電卓を使う癖をつければもはや物理電卓は完全に無用の長物になることでしょう。
きっと、ずっと先の将来には、物理電卓もまたそろばんと同じように、「昔使われていた計算のための道具」として懐かしまれたりすることでしょう(ただし、そろばんは今でも計算能力を高めるために非常に有益な道具であり、全国多くのそろばん教室の存在がこれを物語っていますね。そうなると物理電卓もまた、きっと、その有用な面を活かした活用が残ることでしょう。)。
気の利く「予測変換」
毎日使うパソコンでの文書作成。
とても便利ですが、時に「予測変換」で予想だにしない変換候補が上がります。
今朝は、一生懸命、依頼者の方への連絡文書を作っていました。
「これでいかがでしょうか?」
という文章を入力しようとしたところ、変換候補に、
「これでいいのだ」
「これでいいのだ!」
と立て続けに上がりました。
うーん。明らかに天才バカボンです。
マイクロソフトさん。このような予測変換が需要が多いということでしょうか?それとも、私の頭の中を予測して、このような予測を候補に上げてくださったのでしょうか。。。
とても不思議です。