似て非なる建築~東京駅と熊本地裁~
先週は東京出張があり、その後、熊本への出張がありました。
東京も熊本も新幹線で向かいました。その2箇所への出張の際に、「東京駅の庁舎と熊本地裁は似ている。」と感じたので調べてみました。
まず、東京駅の庁舎ですが、以下のような外観です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%A7%85
次に、熊本地裁です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80#%E9%96%A2%E9%80%A3%E9%A0%85%E7%9B%AE
いずれも赤レンガ造りの趣のある建物ですよね。偶然、東京と熊本を行ったり来たりしたので似ているなと気が付きました。
そこで、少し調べてみたのですが、実際には以下のように、その特徴に違いがあることが分かりました。
まず東京駅については、クイーン・アン様式という18世紀前期のイギリスにてアン女王の時代に流行した様式に影響を受けているそうなのです。
他方で熊本地裁は、赤レンガ造りのドイツルネサンス風の建物とのことです。
そのため、素人目線で似ていると感じたものの、実際にはイギリスの様式、ドイツの様式ということで大きな違いがあるようです。
そう言われてみれば、、、違うような、、、
と、一人で一応納得しておきました。
私が「似ている」と感じたのは「古くて赤レンガで出来ている」との特徴からなのでしょう。
やはり物事の本質をもっと見極める力や知識が必要だと改めて感じました。
行き着く先は蕎麦屋の天丼
出会い、再会、そして別れ
一日のうちにあれもこれもと詰め込むタイプです。
ここ最近もできることを一日のうちにとことん詰め込みながら生活し、仕事をしています。
そのため、一日のうちに色んなことが起きますが、昨日は一日のうちに「出会い、再会、別れ」という三つの出来事がありました。
まず一つ目の「出会い」ですが、同業者同士の集まりの中で、私と志を同じくする方に新たに出会うことが出来ました。実際には私自身は大分前からその方を一方的に知っていたのですが、実際にお会いしたことはありませんでした。
そうした中、とある集まりの中で不意にお見かけしたのでこちらから声をかけさせていただきました。
色々とお話しをさせてもらうことができ、実は共通の知人が多数いることなども分かり、本当に「良い出会い」となりました。
次の、「再会」ですが、本当に久しぶりの知り合いとの再会がありました。この間、いろいろな理由で知人との連絡が滞っていましたが、今年はこれを止めて新たな出会いもそうですし、旧知の関係を温め直そうと思っています。
さて、最後の「別れ」です。
別れというと本当に悲しく、寂しい気持ちになります。今回の分かれも私にとってはまさに悲しみで溢れる出来事でした。
しかし、冷静に考えてみると人の一生はまさに別れ無くしてあり得ないものです。
生まれたその瞬間から最後に生を終えるまで、人は別れを通じて成長し、別れを通じて前に進むように思います。
なので気持ちを切り替えて今回の別れは次の出会いに繋がると信じ、前に進むことにしました。
その意味では上記の出会いと再会は、最後の別れがあったからこそなのかもしれないと、そう考えることにしました。
祝いのポンデリング
高くても頼みたい
物価高騰がひどいここ最近ですが、そんな中でも高くても売れる商品、高くても予約が取れないお店、高くても受けたいサービスが多々あります。
このような高価格商品等は、価格は高いがその品質の良さ等から他に代え難いがために、高価格であっても商売やサービスとして十分に成り立っている訳です。
たとえばお寿司やウナギなど価格は高いですが、食べて納得、高い値段を払った価値があると多くの人が納得します。
ハイブランドのバッグや財布、時計なども同様です。ただ単にバッグが欲しいなら数千円、数万円で買えますが、ハイブランドになれば数十万円~というのが当然です。
時計などはそれこそ価格は青天井で、数百万円なんて「高い」うちに入らないのか?と思ってしまうような価格帯の時計(数千万円から億を超えるもの)が現実に存在します。
時計なんて、「時間を知るだけ」と言ってしまえば今やスマホで十分ですが、このような超高価な時計を購入する人からすればそんなの野暮というものです。
結局、高価格であってもそこに希少性や高付加価値があるのであれば、必ずその商品やサービスは顧客の心を掴んで離さないのです。その結果、市場の中で当該高付加価値商品は不動の地位を揺るぎないものとし、いつまでもその魅力を発信し続けることでしょう。
私の仕事は弁護士であり、当然、高い費用を頂戴します。
そうした中、「高いけど相談して良かった。」「高いけど依頼して納得の結論になった。」「ぜひまたお願いしたい。」「知人に紹介したい。」と思っていただけるよう高付加価値なサービス提供を常に意識しています。
目標を立てるのは誰か?
常に公私ともに自分なりの「目標」を立てています。
プライベートでの目標のひとつは「体型、体重、体脂肪率の維持等」です。
これはもう長年続けている継続的な「目標」で、自分で設定した数値に沿って達成を目指しています。
スマホにログもとっているので過去のログを見返して今現在との違いの確認も可能です。
体重や体脂肪率については数値目標を立てていますが、単に体重を絞るとか、体脂肪率を落とすということばかりではなく、「今の自分にとって適正な数値」を目標に置くことが通常です。
プライベートでの目標は他にもありますが、仕事上でも当然、目標設定をしています。
これも当然、いくつかの目標がありますが、何はともあれ経営者なので経営上の目標設定がいくつもあります。
今年は以前のブログでも書きましたが、年末年始に色々と分析をしたこともあり、とりわけ具体的な目標設定が多いです。
そうした中、6月で半期が終わるのでそろそろ上半期での目標達成状況を確認し、達成が可能かどうかを月末には確定させる予定です。
現状、多くの目標値のうち、大半をクリアーできそう(ただし、結構ギリギリなものも多い)なことが分かり、少し胸をなでおろしているところです。
最後まで気を抜くことなく、かつ下半期もまた達成できるように頑張ろうと思っています。
さて、こうした「目標」ですが、改めて考えてみると、いずれも自分で設定するしかないことに気が付きました。きっと一般的にも何らかの目標を立てて頑張っている方々や会社などは自分で、自分たちで目標を立ててその達成、実現に向けて努力されていることと思います。
言い換えると、「目標設定を他人に委ねる」とか「他人に設定された目標達成に向けて頑張っている」という話はあまりないように思うのです。
やはり目標というのは自分で立てて、自分で達成することに意味があるのでしょう。その意味では目標を立てるという作業自体が自己分析の始まりであり、自分が成りたい姿や達成したい夢について見つめ直す作業なのだと思います。
そして、自分で立てた目標だからこそ、最後まで頑張れるし、達成できれば嬉しいのだと思います。
なので私は常に次の目標を考えながら、自分自身のことや、なりたい姿、ありたい自分を模索しています。
窓側か、通路側か~新幹線の座席の好み~
大分出張が増えてきました。最近は特に新幹線での移動が多いです。
予め指定席をとっておきますが、私の指定席は常に「通路側」です。
これは飛行機の際にも同じです。公共交通機関に乗る際にはほぼ間違いなく、通路側を選択します。
なぜか?
①トイレなど自由に行き来できる。
→体が大きいので窓側に座ると、出入りの際に通路側の方に多大なるお邪魔、ご迷惑をおかけするので。
②窓側だと頭がぶつかる
→座っている際にという意味ではありません。乗り降りの際に、頭上の荷物置き場に頭がぶつかりそうになるので好きではないのです。
③閉塞感が苦手
→窓側はどうしても閉塞感を感じます。やはり体が大きいからでしょうか。通路側の解放感が好きです。
さて、窓側族と通路側族、一体どちらが多いのでしょうか?いつも新幹線を予約する際に空き座席状況をアプリで見る限り、どうやら窓側族の方が多いようです。なぜなら、通路側の方が空いていることが多いからです。
そのため、通路側族の私にとっては嬉しい限りです。窓側族の中には、止む無く通路側を選択せざるを得ないパターンもあるでしょうけど、私にとってそういうパターン(通路側を選択したいけど空いていないので窓側を選ばざるを得ない)はまずありません。
なので、通路側族で本当に良かったです。
さて、今日のこの話題ですが、実は「真ん中族」という存在があることにも注目が必要です。
あえて3人掛けの席の真ん中を選ぶ、好むというパターンです。
全体からすると多くはないが、たとえば新幹線であれば実は真ん中の席は他の座席よりも多少幅が広いこと、通路側のように自分の真横をやたらと人が通ることもないこと、かと言って窓側のような閉塞感も少ないことからこれを好む族もいるようなのです。
このような窓側族、通路側族、真ん中族のいずれか、三者三様のこだわりでその人の性格などが分かると思います。
基準はどこか?~陰キャか陽キャか、線引きの問題~
特定の個人のキャラクターを「陰キャラ」「陽キャラ」と分類することがあります。
陰キャラとは要するに「陰を感じさせるキャラクター」とか「性格的に暗い部分のある人」ということでしょうか。
陽キャラとは要するにこの逆で、「陽気なキャラクター」とか「明るい人」ということでしょうか。
そんなキャラ分類ですが、いったい自分がどちらなのかについては「主観と客観のギャップ」があるようです。
というのも、私が「陽キャラ」と思っていた方に、「〇〇さんは陽キャラだよね」と話しかけたところ、その陽キャラのはずの〇〇さんは「私は陰キャラです」と(明るく)言い放つのです。
「え!明らかに陽キャラだよ!」とお伝えしたところ、「オタクだし、外に出ないし」などと言うのです。
どうやらインドア派のことを陰キャラと思っていたようです。
なので、インドア派かどうかと陰キャラかどうかは違うこと、キャンプのようなアウトドア好きにも陰キャラは結構いること(芸能人の「ヒロシ」さんとか)をお伝えし、どうにか陽キャラであることの「自覚」を持ってもらいました。
(何で私が陽キャラの説得をしないと?)
と良く分からない気持ちになりましたが、周囲にいた他の「陽キャラ」のはずの方々も「私は陰キャラだ」と宣言をするので、次々と私が説得を続けました。
上記のように〇〇さんは「インドア派かアウトドア派か」と陰キャラ、陽キャラを混同していましたし、他にも「家でゴロゴロするのが好き=陰キャラ」とか「陽キャラは要するにパーティーピーポー(略してパリピ)のことだ」と言い張る者もいて、収拾がつかなくなりました。
結果、気が付いたら何が陽キャラで何が陰キャラかもわからなくなり、みんなで笑い転げて終わりました。
なので、結果、私が周囲に対して行った陽キャラ認定はいずれも正しかったはずです。
それにしても、何をもって陰キャラ、陽キャラと考えるかは難しいですが、「あなたって陽キャラだよね」と話しかけたところ、明るく返事をする人はやはり陽キャラなのだと思います。
上記の〇〇さんも「(笑いながら)私は陰キャラです」と言い張りましたし、他の方も「(嬉しそうに)家でゴロゴロするのが好きだから陰キャラです」と豪語していたので、やはり陽キャラの人は基本、返答が明るい(回答の中身が合っているかはともかく)という共通点があるように思いました。