「センスがいい」ということの意味
日頃何気なく
「センスがいいね」
という表現を使います。
あまりにも浸透し過ぎた表現のため、これを日本語ではどう表現すればよいのか、考えてしまいました。
そもそもの「センス」という言葉自体は、「感じる」とか「感じ方」とかいう意味合いです。さらに発展させると「物事の微妙な違いを感じ取ること」などと説明されることもあります。
要するに、細かい物事を感じ分けることと言えそうです。
ちょっとした違いに気が付き、発見し、その良しあしを判断する力があるということですね。
いつの時代でも、どんな分野でも「センスが良い人」というのは、こうした物事の微妙な違いに気が付ける能力があるということだと思います。そして、こうした能力は、日ごろから様々な出来事や物事、いろいろな人たちの考え方や捉え方を注意深く観察し、分析することで培われると思います。
なので、優れた芸術家も、科学者も、音楽家も、こうした違いを発見する能力に長けており、なおかつその能力を生涯に渡り活かし、発展させ続けたのだと思います。
ちなみに、弁護士の場合には、法律の条文の違いに気づき、理解する能力が「センス」といえます。
しかし、これだけでは不十分で、やはり、人の心や気持ち、心境の微妙な変化に気が付けるようになることが重要です。
結局、いくらこれからAIの時代になっても、この「人の微妙な気持ちの違い」を理解する「センス」は人間でないと敵わないものと、そう思っています。
最後になりますが、「センスがいい」は日本語ならば「感性が優れている」という感じでしょうか。
でも、「君の今日の服は感性が優れているね」と言われるよりも「君の今日の服はセンスがいいね!」の方がピンとくるのが不思議ですね。