誠意
早目のお昼をとろうと、お店に入ろうとしたら、ドアが開きませんでした。
「午前11時から」と書いてあったので腕時計を見ると、午前10時58分でした。
まだ準備中かと思い、車に戻ろうとしたら、
「失礼しました!どうぞ!」と店員さんが招いてくれました。
「よかった。」と思い入ると、
「広い席をどうぞ。」と一人ですが、テーブルに案内してくれました。
注文し、料理を待っていたらテーブルには「子どもは汚す天才、私たちはキレイにするプロ。どうぞお気軽に!」という母親向けの張り紙や、「薄味ご希望でしたらご遠慮なく!」とシニア向けの張り紙がありました。
なかなか配慮の行き届いたお店だな~、と感心すると同時に、社会がみなこうなればいいのに!と思いました。
弱者、少数者に優しい会社は、多数派にも優しさをもって接する事でしょう。
これは社会も同じで、弱者、少数者を大切にする社会は、多数派もまた大切にされる社会だと思います(ちなみに「会社」と「社会」は漢字が裏表ですね。面白いものです。)。
開店同時の11時に来店した私もまた、ある意味では少数者でしたが、優しい出迎えを受け、とてもいい気持で食事ができました。
誠意を持って接してもらいとてもいい経験となりました。
信念
信念を持って生きること、仕事をすることを心がけています。
時と場合によって言っていること、やっていることがちぐはぐなのは嫌なのです。
自分で決めたこと、信じる価値感に従って生きて行きたいと思います。
しかし、いわゆる「大人の世界」では、必ずしも皆が皆、信念に基づいて行動している訳ではなさそうです。
「ウソはいけない。」とか「ルールは守りなさい。」と子どもには教えますが、大人が守っていないことの方が多いようにすら感じます。
戦争に反対の意思をツイッターで投稿していた元芸能人の方が、今度は自民党から選挙に出馬すると報道されたのを見て、私は頭の中が「???」となりました。
「つい先日は戦争反対をつぶやいていたのにどうして?」
信念を貫くことというのはそこまで難しいことなのでしょうか?それとも、この方の「戦争反対」は、気軽な気持ちで「つぶやいた」だけであり、「信念」にはほど遠いものだったのでしょうか。
しかし、政治の世界では自分の発した言葉に全責任を負うべきです。本人は気軽なつぶやきだったとしても、そこには責任が伴います。
それは、政治家たる者は国民の代表者として信念に基づいて発言し、行動すべきだからでしょう。このことは政治家を目指す立場の人であれば当然に強く意識すべきことだと思います。
親や身近な大人が子どもに範を示さなくてはならないように、政治家やその候補者は国民に同じくそれを示さなくていけないと思います。
さて、今週は安保法制違憲訴訟おかやまの会の結成記者会見や、9条の会での学習会の講師などがあります。きちんと私の「信念」を示したいと思います。