子育てに失敗した
「子育てに失敗した」と、言うことがありますが、これっていったい、どういうことでしょうか。
親が、一生懸命子育てをしたが、子どもが悪さばかりして困る、というケースで使うことが多いような気がします。
でも、そもそも子育てに「成功」とか「失敗」とかってあるんでしょうか?
子育てに「成功」「失敗」があると考えるのは、前提として親の力で子どものことをどうにでもコントロールできる、成長させることができる、という考えがあるように思います。
また、子どものやったことの責任は親にある、という考えも背景にあるように思います。
しかし、子どもって小さいながらに一人ひとり個性があって、自我があって行動するものです。
その子どものことをすべて把握してコントロールできる、いかにでもできる、と考えること自体、間違いのように思います。
きっと、親が子どもに影響を与えることができるのはその子どもの人格形成のうち、一部であって、決してすべてではないと思うのです。当然、どの程度の影響を与えることができるか、受けるかはそれぞれの親子によって異なるでしょうけど、すべてを完全に親が決めることなどは絶対に無理だと思います。
なので、何か子どもが悪さをしたとしても、そのことすべてが親の責任ではないでしょうし、ましてや「親の子育てが失敗したからだ」などと他人に非難されるのもおかしな話だと思います。
もちろん、だからといって親が子どもに何も教育しなくてよい、ということではありません。
あくまで親が子どもにできることは限られているし、だからこそ子どもがしたことをすべて親の責任にするのはおかしい、と言いたいのです。
ところでなぜこんなことを書くかと言うと、先日の佐世保での女児殺害事件の加害者とされる女児の父親が自殺したからです。
どうしてこの父親は自殺しなければならなかったのでしょうか。子育てに失敗したからその責任をとったのでしょうか。
マスコミは過剰に「父親の責任」を言い、「子育ての失敗」を言わなかったでしょうか。
殺人事件自体、非情なことですが、その結果、さらに自殺者が出たことに異常なものを感じます。
「子育てに失敗」なんて誰が決めたのでしょうか。