名代「かっぱ」を知ってるか
倉敷の商店街の中に「かっぱ」というトンカツ屋さんがあります。
人気店なので知っている人も多いと思います。
岡山ならではのデミグラスソースがトンカツにたっぷりかかっていて美味しいのです。
岡山のデミかつのソースはお店にもよりますが、どちらかというと濃いのが多いように思いますが、かっぱのソースは全然濃くないです。
昨日は久しぶりにかっぱのトンカツが食べたくなって、午前の調停が11時20分ころに終わったので行ってみることにしました。
裁判所から歩いて向かい、着いたのが11時35分くらいでした。まぁ、12時前だし座れるだろう、と思いきや、すでに満席+待ちが2名!
さすがかっぱ。あなどれません。
せっかく来たので待ちました。
すると次から次に待ちのお客さんが増えて行き、あっというまに待ちが計10人超!
さすがかっぱ。まだ12時前です。
しばらく待って座ると、ほどなくトンカツが出てきました。普通のトンカツ定食はボリュームがすごいので、いつも「ミニ」のトンカツ定食を頼みます。
大男なくせに「ミニ」なんて!と言ってはいけません。ここの「ミニ」は普通のトンカツ屋さんのロースかつと同じくらいのサイズなのですから。
さすがかっぱです。ボリューム満点なのです。
待ったかいあり、やっぱり美味しいトンカツでした。ソースもいいですね。カツにたっぷり絡めてきれいにいただきました。
観光客もたくさん来ていたようで、さすが、「名代かっぱ」でした。
子育てに失敗した
「子育てに失敗した」と、言うことがありますが、これっていったい、どういうことでしょうか。
親が、一生懸命子育てをしたが、子どもが悪さばかりして困る、というケースで使うことが多いような気がします。
でも、そもそも子育てに「成功」とか「失敗」とかってあるんでしょうか?
子育てに「成功」「失敗」があると考えるのは、前提として親の力で子どものことをどうにでもコントロールできる、成長させることができる、という考えがあるように思います。
また、子どものやったことの責任は親にある、という考えも背景にあるように思います。
しかし、子どもって小さいながらに一人ひとり個性があって、自我があって行動するものです。
その子どものことをすべて把握してコントロールできる、いかにでもできる、と考えること自体、間違いのように思います。
きっと、親が子どもに影響を与えることができるのはその子どもの人格形成のうち、一部であって、決してすべてではないと思うのです。当然、どの程度の影響を与えることができるか、受けるかはそれぞれの親子によって異なるでしょうけど、すべてを完全に親が決めることなどは絶対に無理だと思います。
なので、何か子どもが悪さをしたとしても、そのことすべてが親の責任ではないでしょうし、ましてや「親の子育てが失敗したからだ」などと他人に非難されるのもおかしな話だと思います。
もちろん、だからといって親が子どもに何も教育しなくてよい、ということではありません。
あくまで親が子どもにできることは限られているし、だからこそ子どもがしたことをすべて親の責任にするのはおかしい、と言いたいのです。
ところでなぜこんなことを書くかと言うと、先日の佐世保での女児殺害事件の加害者とされる女児の父親が自殺したからです。
どうしてこの父親は自殺しなければならなかったのでしょうか。子育てに失敗したからその責任をとったのでしょうか。
マスコミは過剰に「父親の責任」を言い、「子育ての失敗」を言わなかったでしょうか。
殺人事件自体、非情なことですが、その結果、さらに自殺者が出たことに異常なものを感じます。
「子育てに失敗」なんて誰が決めたのでしょうか。
コメダ珈琲店
今朝は、コメダ珈琲店に来ました。
岡山に初出店してからだいぶ経ちましたが初めて来ることができました。
ゆったりした雰囲気で、コーヒーを飲めて、新聞も読めて、いい時間を過ごせました。
駐車場も多いので今度から仕事の合間の時間調整などに使おうと思います。
ちなみに朝はドリンクを頼むとゆで卵とトーストが無料で付くそうです。朝食は済ませて来たので頼みませんでしたが、お得ですね。名古屋方式?ですね。
味噌カツサンドも、今度ぜひ試してみたいと思いました。
8.6
今日は8.6です。
さて、いったい何の数字でしょうか?
ヒント→単位は㎏です。
正解は→「今日の仕事カバンの重さ」です。
なかなか重たいですね。でも、これくらいの重さになることは結構よくあります。
中身はもちろん、事件の記録(書類が大半)です。
重たいカバンは依頼の重みでもあります。
朝、カバンの重さを測ってみて改めて職責の重さを感じました。
ご近所付き合い
ある日、事務所の近くにある某会社の社長が、偶然、事務所の看板を見かけ、
「名前が気に入った。」
とのことでいきなり電話をくれました。
それで、
「会社に遊びに来い」
と言われたので顔を出したのですが、
さらに
「一緒に飲みに行こう。」
と誘われたので行きました。
これがたしか今年の5月ころのことです。
まったく面識もない弁護士にいきなり電話し、しかもすぐさま飲みに連れて行ってくれた面白い社長でした。
その後、しばらく連絡はなかったのですが、先日、また電話をもらい、やはり
「飲みに行こう。」
と言われたので行きました。
「近所だから。」とか「事務所の名前がいい。」とかいう理由だけで声を掛けてくれ、懐の深さを感じます。
お蔭で行ったことのないおいしい料理屋さんに行け、美味しいものを食べさせてもらいました。また、いろいろな人とも知り合うことができ、有意義な時間でした。
自分も将来は、こういったご近所付き合いのできるような大きな人間になりたいと思います。
架空請求のメールが来た
迷惑メールはブロックの設定にしているので、普段ほとんど来ないのですが、今日、久しぶりに携帯に迷惑メールというか架空請求のメールが届きました。
あからさまな架空請求だったので弁護士魂に火がついてさっそくワクワクしながら書いてあった番号に架電してみました。
そして、相手が電話に出るまでの間に、悪徳業者をどうやって懲らしめようかあれこれ知恵を絞ってみました。
たとえば、まったくの素人のフリをしてみようか?とか、最初から弁護士であること告ておどりゃすどりゃ、弁護士にこんなメール送るなんて根性あるな!と怒鳴りつけようか、とかとか。
しかし、せっかく楽しみにしていたのに、何度かけても出てくれません。
他の被害者からの電話対応に忙しいのでしょうか?
ちょっと残念な気持ちです。
ところでみなさんは、いちいち架請求のメールがなんて無視してくださいね!時に騙されて何十万円も支払う方がいるのもやはり事実です。何千万も払った被害者もいます。
払ってからでは遅いです。まずは無視!しつこいようだったり、普段だったら弁護士にご相談ください。
弁護士と子ども
弁護士の仕事って、大人を相手にするばかりと思っていませんか?
実は子どもが依頼者、相手方、という形で子どもと関与する機会が結構多いです。
離婚の争いになれば子どもの親権をどうするかが問題になり、子どもが事故の被害に遭った場合の賠償請求、子ども同士のケンカ、いじめ、家出など結構いろんな事案で子どもと関与します。
で、時には子どもが被疑者としてされている時に弁護人、付添人として仕事をすることもあるのです。
このように、弁護士と子どもって結構密接です。
私は、子どもがすごく好きなのでそういう仕事も当然、好きです。
子ども相手の仕事は大人相手の仕事と違って、その子どもの将来に大きな影響を与えられるという面白味、醍醐味があります。
事件自体が勝った負けた、という以上に、事件の途中にいろいろな形で子どもに接することで子どもの将来をプラスにもマイナスにも変えられる、という要素があるのです。
なので、責任もとても大きいですが、非常にやりがいがあります。
先日は、子どものことを大切に思う親御さんから依頼を受けていたとある事件が完全に有利な形で決着しました。親御さんにとっても子ども本人にとっても価値ある決着だったと思います。
そして私自身、お金には代えられない満足を受けることができました。とても嬉しかったです。
このような意味で、弁護士と子どもって密接です。だから子どもの事件は止められません。
事件解決
今日、とある事件が完全に解決しました。
この事件は、私が独立し、このHPを立ち上げて一番最初にHP経由で受任した件でした。
約1年かかりましたが、依頼者の方のご意向に完全に沿う形での結果になったものと思います。
最後、多少疲れたようでしたが、結果にご安心されたのか、安堵の表情でした。
「看板に偽りあり」ならぬ「HPに偽りあり」とならぬよう、これからも頑張ります。