たとえ自分ひとりになっても正しいことは正しいと言い続けられる仕事
2013/11/29 22:27
執筆:oh
弁護士になった動機のひとつに、たとえ自分が最後の一人になったとしても、正しいことは正しいと言い続けることができる、そしてそれを正しいと最終的に世間に認めさせることができるから、と説明することがあります。
弁護士の仕事は多数決ではありません。多数派の横暴や、権力者、大企業、国などの強者から一方的に弱い立場に追い込まれ、孤立させられた人の人権を護ることができるのが弁護士の仕事です。
その意味では少数者の人権保障のための仕事という側面があります。
もちろん、国や大企業につく弁護士もいます。それは別に間違いではありませんが、私の考えでは、弁護士の仕事の醍醐味は、たとえ自分ひとりしかいなくても、正しいものは正しいと言い続け、それを立証することでその依頼者の正義権利を実現できることにあると思っています。
多数派に立ち、多数派の意見に賛同し、それを正しい、と言うことはある意味で容易です。しかし、多くの人が批判する中で少数派の意見を正しい、と言い続けることはとても困難を伴います。
けれど、その困難を乗り越えてこそ本当の正義があると思っています。
今後も、困難に負けず、正しいことは正しい、と言い続けようと思います。
今日、私が日ごろから、「正しいことは正しいということのできない社会はおかしい」と訴えていたことを記憶してくださっていた方の話を受け、このブログを書きました。
綾さんの祝賀会から、マリンライナーで帰る車中にて。
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