たとえ自分ひとりになっても正しいことは正しいと言い続けられる仕事
弁護士になった動機のひとつに、たとえ自分が最後の一人になったとしても、正しいことは正しいと言い続けることができる、そしてそれを正しいと最終的に世間に認めさせることができるから、と説明することがあります。
弁護士の仕事は多数決ではありません。多数派の横暴や、権力者、大企業、国などの強者から一方的に弱い立場に追い込まれ、孤立させられた人の人権を護ることができるのが弁護士の仕事です。
その意味では少数者の人権保障のための仕事という側面があります。
もちろん、国や大企業につく弁護士もいます。それは別に間違いではありませんが、私の考えでは、弁護士の仕事の醍醐味は、たとえ自分ひとりしかいなくても、正しいものは正しいと言い続け、それを立証することでその依頼者の正義権利を実現できることにあると思っています。
多数派に立ち、多数派の意見に賛同し、それを正しい、と言うことはある意味で容易です。しかし、多くの人が批判する中で少数派の意見を正しい、と言い続けることはとても困難を伴います。
けれど、その困難を乗り越えてこそ本当の正義があると思っています。
今後も、困難に負けず、正しいことは正しい、と言い続けようと思います。
今日、私が日ごろから、「正しいことは正しいということのできない社会はおかしい」と訴えていたことを記憶してくださっていた方の話を受け、このブログを書きました。
綾さんの祝賀会から、マリンライナーで帰る車中にて。
瀬戸大橋のように雄大に
最近車で瀬戸大橋を渡ることが多いです。
瀬戸大橋は、岡山と香川を結ぶ大きな橋ですが、当事務所の名称の由来にもさせてもらっています。
瀬戸大橋は、雄大で、地域と人を結ぶ、そういう存在です。
車で渡っているととても景色がきれいで感動します。運転しているのでゆっくり見ることはできませんが、瀬戸大橋から見る景色は日本のどこにもないとても素晴らしいものです。
風が強い日は車はかなり揺れます。気を付ける必要がありますが、橋自体はびくともしません。
しっかりと人や車を移動させる役目を果たします。
風の強い日に車で瀬戸大橋を渡っていると、弁護士として自分も、この瀬戸大橋のようにたとえどんな困難な事件で逆風が吹こうともびくともしない強い気持ちで依頼者を守れるようになりたい、そうありたいと思うのです。