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ブログ-ワタシをミカタに

ミス

2016/3/11 6:23  執筆:oh

人は誰でもミスをすると思います。

そういうミスをした際の対応にはいくつかのパターンがあります。

 

1 ミスしたことを素直に認め、謝る

2 ミスしたことを覆い隠す

3 ミスしたことを認めない

4 ミスしたことを開き直る

 

人は誰でもプライドがあるので、時に素直になれず、1以外の対応に出てしまいます。

 

でも、2~4の対応に出たところで、ミスがなくなる訳でもないですし、ミスをごまかし続けることもできません。

 

ミスをしたことは仕方がないので、やはりミスをしたら素直に認め、ミスの穴埋めをし、次に活かすことが一番だと思います。

 

そうすれば周囲もきっと、許してくれるハズです。これは大人にも、子どもにも共通すると思います。子どものころにミスをごまかしていた人は、大人になってもそのクセが抜けないかもしれません。

 

当然私もミスをします。そんな時、1の対応をとれるよう、日ごろからの意識が大切だと思っています。

また、周りがミスをした時も、その人を許せる広い心を持ちたいと思っています。

誠意

2016/3/7 12:55  執筆:oh

早目のお昼をとろうと、お店に入ろうとしたら、ドアが開きませんでした。

「午前11時から」と書いてあったので腕時計を見ると、午前10時58分でした。

 

まだ準備中かと思い、車に戻ろうとしたら、

「失礼しました!どうぞ!」と店員さんが招いてくれました。

 

「よかった。」と思い入ると、

「広い席をどうぞ。」と一人ですが、テーブルに案内してくれました。

 

注文し、料理を待っていたらテーブルには「子どもは汚す天才、私たちはキレイにするプロ。どうぞお気軽に!」という母親向けの張り紙や、「薄味ご希望でしたらご遠慮なく!」とシニア向けの張り紙がありました。

 

なかなか配慮の行き届いたお店だな~、と感心すると同時に、社会がみなこうなればいいのに!と思いました。

 

弱者、少数者に優しい会社は、多数派にも優しさをもって接する事でしょう。

これは社会も同じで、弱者、少数者を大切にする社会は、多数派もまた大切にされる社会だと思います(ちなみに「会社」と「社会」は漢字が裏表ですね。面白いものです。)。

 

開店同時の11時に来店した私もまた、ある意味では少数者でしたが、優しい出迎えを受け、とてもいい気持で食事ができました。

誠意を持って接してもらいとてもいい経験となりました。

 

 

信念

2016/3/7 9:08  執筆:oh

信念を持って生きること、仕事をすることを心がけています。

時と場合によって言っていること、やっていることがちぐはぐなのは嫌なのです。

自分で決めたこと、信じる価値感に従って生きて行きたいと思います。

 

しかし、いわゆる「大人の世界」では、必ずしも皆が皆、信念に基づいて行動している訳ではなさそうです。

「ウソはいけない。」とか「ルールは守りなさい。」と子どもには教えますが、大人が守っていないことの方が多いようにすら感じます。

 

戦争に反対の意思をツイッターで投稿していた元芸能人の方が、今度は自民党から選挙に出馬すると報道されたのを見て、私は頭の中が「???」となりました。

「つい先日は戦争反対をつぶやいていたのにどうして?」

 

信念を貫くことというのはそこまで難しいことなのでしょうか?それとも、この方の「戦争反対」は、気軽な気持ちで「つぶやいた」だけであり、「信念」にはほど遠いものだったのでしょうか。

 

しかし、政治の世界では自分の発した言葉に全責任を負うべきです。本人は気軽なつぶやきだったとしても、そこには責任が伴います。

それは、政治家たる者は国民の代表者として信念に基づいて発言し、行動すべきだからでしょう。このことは政治家を目指す立場の人であれば当然に強く意識すべきことだと思います。

 

親や身近な大人が子どもに範を示さなくてはならないように、政治家やその候補者は国民に同じくそれを示さなくていけないと思います。

 

さて、今週は安保法制違憲訴訟おかやまの会の結成記者会見や、9条の会での学習会の講師などがあります。きちんと私の「信念」を示したいと思います。

 

人はなぜ争うのか

2016/3/3 14:01  執筆:oh

人はなぜ争うのか。

その理由は大きく3つに分けられると思います。

 

1 自分の(侵害された)権利を守る(回復する)ため

2 自分の欲求や欲望を満たすため

3 相手を攻撃するため

 

1の理由の場合には、まさに権利実現のため全力を持って争うことが重要です。

ドイツの法学者イェーリングは自らの権利を侵害された場合には、何があろうと全力をかけ、全財産を持ってしてでも戦い、その権利を守らなければ人として生きるに値しないという趣旨を述べています。

他人から侵害された自己の権利は、何があっても、費用がかかろうとも、手間がかかろうともその回復に全力を尽くすべきなのです。

 

2は、過去の侵略戦争、植民地政策に顕著といえますが、自分の権利うんぬんと無関係に他者を支配し、自分の欲求を実現する場合です。

このような意味での争いごとはもはや許されるべきでないことは誰が見ても明らかなはずです。

しかし、世界では時に自己の理念や価値観から紛争が繰り広げられています。

 

3は、2とも少し異なり、相手に対する不満を「攻撃」することで相手を貶めようとする場合です。相手を貶めることである意味では自分の欲求を満たしているのかもしれず、その意味では2と少し共通します。

しかし、相手を攻撃するのみでは結局何も得られる訳ではなく、もはや攻撃すること自体が自己目的化している場合です。

 

現代社会においても、この2や3を理由とした争いごとが絶えず、このような意味での紛争のない、平和な世界が訪れる日が来るのかと思い悩む毎日です。

 

タフであること

2016/3/1 6:49  執筆:oh

心身ともにタフであることを常日頃心がけています。

自分に代わりはいないから、です。

自分が倒れてしまっては、周囲からの期待に応えられません。

 

なので、倒れる前に休息をとること、仕事やタスクを抱え込み過ぎないこと、時にはリフレッシュをとることを意識しています。

 

目の前の仕事に追われるあまり、体調管理がおろそかになれば結局仕事は滞留し、かえって周囲に迷惑をかけてしまいます。

 

日々、無数にやるべきことはあり、やるべきことが無くなることもない中でバランスを取りながら進めています。

 

そんな中で、とにかく一番大切なことは「タフであること」だと思っています。

弁護士は争いごとが好きなのか?

2016/2/24 10:52  執筆:oh

弁護士の仕事は朝から晩まで、年がら年中、争いごとを扱います。

 

離婚、親権、養育費、不倫、交通事故、解雇、パワハラ、セクハラ、借金、破産、契約違反、貸金、相続、医療過誤、詐欺、強盗、殺人、、、

 

ありとあらゆる仕事が「争いごと」で成り立っています。

 

では、弁護士がこのような争いごとが「好き」なのか?と聞かれたら私は「ノー」と答えます。

 

むしろ、争いごとが嫌いだからこそ、争いごとの解決のため日々奮闘するのです。

本当に好きなのは、争いごとのない、平和、平凡な生活です。

 

そして、争いごとを憲法、法律、判例、論理、条理を用いて解決の糸口を探すのが弁護士の仕事だと思っています。

 

少しでも平和な生活、争いごとのない世の中になればと思っているのです。

生きる喜び

2016/2/22 16:49  執筆:oh

日々生活をしていると、嫌な出来事やふと

「何が楽しくて生きるのか?」

と考える時があります。

 

でも、よくよく考えると自分の命というのは本当に希少で、偶然の積み重ねによって成り立っています。

そうすると、「何が楽しくて生きるのか?」と考える以前に、「生きることそれ自体が喜びなのだ」と考えざるを得ません。

 

身近に人の生き死にを経験するとこれはより顕著です。

 

アンパンマンの主題歌の歌詞に「生きる喜び」とありますが、まさにやなせたかしさんは「生きること自体が尊いものであり、喜びそのものなのだ」と歌っているのだと思います。

 

毎日毎日大変なことが多く、必ずしもいいことばかりではありませんが、そんな時には自分が生きていることそれ自体のありがたさや、産み育ててくれた親のことを考えてみるといいのかもしれません。

花金

2016/2/19 14:56  執筆:oh

今日は金曜日です。

そうです。「花金」です。

 

「花金」なんて言葉、もはや若い世代では通用しないのかと思いましたが、そうではないようです。

 

20代の方に「今日は花金だね!」と言ったら

嬉しそうに「そうですね!花金ですね!」と答えてくれました。

 

よかった。通じて。

 

今時、使う言葉で年代、年齢がばれてしまいます。

最近知ったのは、今時の子どもは「鬼ごっこ」のことを「オニゴ」と省略して言うようです。

へー。

 

時代と共に言葉も生きています。

 

 

 

 

 

裁判所に何を着ていくか?

2016/2/17 11:49  執筆:oh

「あしたなに着て生きていく?」

というアパレルメーカーのキャッチコピーがあります。

 

服選びにワクワクしている女性の心理をうまく表現していると思います。

 

他方

「明日は裁判所に出廷しなくてはいけない。」

そんな方も実は服選びに迷っています。

 

うちの事務所の検索キーワード上位にいつも

「裁判所 服装」「裁判 スーツ」

などが上がります。

 

HPのQ&Aのコーナーに裁判所に何を着ていくかの説明が書いてあるためヒットするようです。

 

「明日は裁判所で証言台に立たないといけない。憂鬱だな。そもそも裁判所なんて初めてだし、ましてや証言するなんて緊張するし。。。しかも服装はどうすればいいんだ、、、」

 

そのような当事者、関係者の方々の気持ち、よく分かります。

 

冒頭のキャッチコピーのようにウキウキワクワクではなく、鬱々ドヨドヨといったところでしょうか。

 

ただ、裁判所に着ていく服装まで気が回っているのであれば、きっと裁判もうまくいくことでしょう。裁判は何よりもひとつひとつ、丁寧に対応することで道が開けていくものです。

また、裁判所には必ずしもスーツでなくても、「落ち着いた服装」であれば十分です。

 

準備万端、裁判を向かえ、終わったら、次の日には好きな服を着て気晴らしをしてください。

 

 

民法と女性

2016/2/15 4:50  執筆:oh

昨年末に再婚禁止期間、夫婦同氏制の最高裁判決が出ました。

再婚禁止期間は一部違憲、夫婦同氏制は合憲、との判断でした。

 

再婚禁止期間を一部違憲とした理由は、父性推定の重複は再婚禁止の期間を100日とすれば避けられる以上、これを越える6カ月の再婚禁止は長すぎるというものです。

 

夫婦同氏制を合憲とした理由は、民法上は決して女性に男性の氏を名乗ることを強制しているものではなく、いずれの氏を名乗るかは夫婦になる者の自由な選択によるからというものです。

 

私は、再婚禁止期間についてもそもそも0日でよいと考えており、かつそれで何ら問題はないと思っていますし、夫婦同氏制については完全に廃止し、夫婦で同一の氏を名乗るかどうか(別氏のままもしくは一つの氏にする)、名乗るとしてどの氏を名乗るか(夫、妻もしくは新しい氏を選択して名乗る)は完全に自由な選択制にすべきと思います。

 

なぜならそれこそが一番の「自由」であり、憲法の保障する価値観そのものだからです。

 

具体的には「暴力夫と別居して何年もなるが、夫が離婚に応じてくれない。再出発の新しいパートナーを見つけたが、離婚調停や離婚訴訟の後、やっと離婚できてから6カ月も待つ必要があるのはおかしい。」として苦しんでいるケースや、

婚姻に際して96%は夫の氏が選択されているという現状(仮に夫の氏を選択した後、将来離婚すると氏を元に戻すこととなる女性にとっては様々な社会的不利益があります。)を考えると、今の民法の在り方には疑問を感じます。

 

さて、これらと別に、民法では男性は18歳から、女性は16歳から結婚できるとされています。

 

これは何か差別ではないのか?とふと思いました。

 

ちょっと調べてみると外務省のHPには、「婚姻は社会の基礎的単位を構成する行為なので未熟な者にこれを認めるべきではないところ、男性と女性には肉体的・精神的側面において婚姻に適する年齢に達するのに差があるからだ。」と説明してありました。

う~ん。

なんかはぐらかされた気分です。

要するに「オトコはカラダもココロも未熟なので、ケッコンは18から。オンナはもっと早熟だから16からOKよ。」ということです。

 

本当にそうなのでしょうか?

私は、婚姻年齢の差違の根底には、「女性は出産に適した年齢になったら早く結婚して出産に備えるべきだ。勉強を続けるとか、社会に進出するとか考えなくていいから、年上の男性と早く結婚して家に居なさい。」という発想があるものと思っています。

 

さて、いずれにしても今の民法の規定の中には、男性と女性に関し、異なる取扱いをしている規定があります。再婚禁止期間については一部違憲判決が出たので改正されることとなります。

しかし、その他の規定について、将来的にどうなっていくかは社会のみなさんの価値観や考え方によって決まることです。

私は、将来、民法の規定においても女性の権利が男性と等しく認められるような世の中が一番望ましいと思います。

 

再婚禁止期間や氏、婚姻年齢について、みなさんはどのようにお考えでしょうか。

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