ふりかえる
年末の今日、この一年の自分の目標を振り返ってみました。
当然のことながら(?)目標達成に至っておらず、、、
いつくかの目標を立てましたが、達成できたものがございません。
言い訳になりますが、そもそもの目標設定が高すぎると思いました。
目標があれば人は成長するとの信念のもと、高い目標を立てましたが、どうにも高過ぎました。
でも、来年も引き続きやはり高い目標を立てるでしょう。
なぜなら、高い目標であっても、「実現できる」と信じて動き続ければきっと叶うから!
なので来年も「決して諦めない呉裕麻」を貫きます!
あと2週間!
年末です!
もうあと2週間です!
忙しい!!!
でもまだまだやることはたくさんある!
そうです。最後まで駆け抜けます!
がんばります!
もっと寒かった?
おそらく。今日は今年度の冬一番の寒さだと思います(体感値)。
やっと寒くなったので余計に寒く感じますが、たしか去年はもっとずっと寒かったと思います(記憶)。
でも、体感値も記憶もいかにも曖昧で、「去年はもっと寒かったよね?」なんて会話をしても、多くの人は「うーん。そうでしたっけ?今日が一番寒いと思う!」なんて調子です。
いやいや、私の記憶では昨年度の冬は大寒波に次ぐ大寒波だったと思うのですが、、、
実際、余りの寒さに冬布団を慌てて買い替えた(グレードアップ)記憶があります。
結局、人の記憶なんて頼りになりません。何か具体的な形に残るモノとくっつけないと何でもかんでも記憶は薄れます。
しかも人の記憶は基本的に辛いことを忘れる方向に作用しますから余計です。
なので繰り返し言いますが、「去年の方がもっともっと寒かった!」
ついでに、「今年の夏は猛暑だった!」
とお伝えしておきます。
OSとソフト
最近、とある学校の先生の
「子育ての役割分担については、家庭内で子どもの心や体の健康、人間性を作って欲しい。学校では、それを前提に、個別教科などを教えるのが目的である。ここをはき違えて、家庭で個別の科目の学習に力を入れて、心身の健康や人間性を育てることをしない家庭がある。それどころか、学校にこれらを求める親もいる。しかしそれは教育の役割を見誤ったものであり、大いに問題がある。」
という趣旨の論考を読みました。
非常に納得しました。
論考では引き続き
「このことをパソコンに例えると、家庭教育は、パソコンのOSのバージョンアップに相当し、学校教育はパソコンのソフトやアプリのバージョンアップに相当する。いくらすぐれたソフトやアプリがあっても、土台となるOSが使い物にならないようであれば、そのソフトやアプリもまったく役に立たない。」
とありました。
うーん。鋭いし分かりやすい。
たしかにいくら勉強ばかりを詰め込んでも、子ども自身がそれを受け入れる状態になっていないと意味がありません。
とかく子どもの教育については詰め込み主義が問題となっていますが、そもそも何のために教育をするのか、その教育の意図はどこにあるのか、再考が必要だと思います。
社会に出てからも、人間としての基本(コミュニケーション能力、社会性、常識、思いやりなど)がしっかり出来ている人は、その後も会社で多くのこと(↑で言うところのソフトやアプリに相当する)を吸収し、どんどん伸びていくことでしょう。
他方で、人間としての基本がなっていなければ、社会ではそもそも大切な役回りやポジションを任されることはありません。なので、いくらスキルがあっても結局は発揮できないこともあるでしょう。
そうすると、長い目で見ると、子どものころからしっかりとした基本教育を家庭で受けていれば、大人になってからも次々に新しい挑戦をし、どんどんと成長ができるものと思います。
自分にしかできないこと
あなたは「自分にしかできないこと」はいくつありますか?
ここでいう自分にしかできないこととは、決して、「世界で私にしかできないこと」ではありません。
そうではなくて、より身近に
・自分の家族の中で
・現在の職場の中で
・仲間内の中で
自分にしかできないこと
を意味します。
そういう規模で考えると、自分にしかできないことって案外たくさんあります。
・ちょっとした家電の修理はお父さんにしかできない
・おいしいお弁当はお母さんにしかできない
・職場での電話応対はAさんが得意
・仲間内では、Bさんがムードメーカー
などなど。
そういう意味で自分にしかできないことってとても大切です。
そして、一人一人が、その場その場における「自分にしかできないこと」を突き詰めて、最大化すると、その組織はとても活躍できると思います。
ある意味、これって憲法にうたう「個人の尊重」です。
一人一人が自分の個性を発揮して、自分にしかできないことを最大化するとみんなが幸せになる。
とても素敵なことだと思います。
そうして一人一人が活躍できると、やっぱり何事においても力を発揮できるのです。
だから、私自身も常に「自分にしかできないこと」を探し、できるだけそこに注力するように意識しています。
一人一人が自分にしかできないことを見つけ、輝ける世の中が一番だと思います。
人前で話す時のコツ
仕事柄、人前で話をすることが多々あります。
裁判所でもそうですし、法律相談も当然そうです。
裁判の報告集会ないし記者会見の時には多くの聴衆や記者の前で話します。
その他、学習会や講演会に講師として呼ばれて大勢の前で話をすることもあります。
特に、講師として話をする時には
①大きな声で話す。
②短い言葉で話す。
③簡単な言葉で話す。
④姿勢は正して、目線を合わせて話す。
⑤服装はできるだけパリッとしたものを選ぶ。
⑥自分のことを冒頭で紹介する。
だいたいこんなところです。
以外と大切なのは、④~⑥です。ここをしっかりと整えておくことでその後の話をどれだけ聞いてもらえるかが大いに変わります。
人に話を聞いてもらうためにもいろいろと工夫がいります。
せっかく聞いてもらうための時間を作って頂いているのですから、しっかりと聞いてもらった方がお互いのためでもあります。
役に立つ
子ども向けアニメの「きかんしゃトーマス」を見ていると、出てくる機関車たちの働きぶりについて「役に立つ」もしくは「役に立たない」という評価をされるシーンが良くあります。
あまり、日本のアニメでこういうシーンを見たことはないので、以前から気になっていました。
そんな中、ある日、子ども向けの教育本を読んでいたところ、「日本では『人の迷惑をかけないように』という教育がされるが、それでは子どもは人の目を気にするばかりになって萎縮する。それよりはむしろ、『人の役に立つ人間になりなさい』という教育が、子どもの自信につながり、意欲向上にもなる。」とありました。
これを読んで、冒頭の「きかんしゃトーマス」のシーンについて納得ができました。
要するに、少なくともイギリスでは、子どもに対して「人の役に立つように」との教育が施されており、それがアニメにも反映されているのだと思うのです。
そして、「人の役に立たないこと=よくないこと」なので、「きかんしゃトーマス」の中でも、「お前は役に立たない奴だ」と注意されて、ションボリするシーンがあるのでしょう。
対して、日本のアニメでは、いたずらばかりして周囲に迷惑をかける主人公をしかりつける母親、というシーンがままありますが、これもまた日本における教育方針の表れなのだと感じました。
たかがアニメと思わず、注意深く見てみると、国柄の違いが学べて非常に有益です。勉強になりました。
みんな日帰り。
早朝の便で県外に出張に行きました。
まだ暗く、目もスッキリ覚めない中、多くの人が搭乗していました。
その日は日帰りの予定だったので、日中の予定を済ませ、最終便に搭乗しました。
すると、行きの便に近くに座っていた方数名が、やはり帰りの便でも近くに搭乗していることに気が付きました。
これを見て、正直言って、日帰り出張(早朝出発、最終便帰宅)は疲れますが、「自分だけでないのだ」と痛感しました。
無事に岡山に到着し、疲れはしましたが、また明日も頑張ろう!と思えました。
旅は過程か、結果か
旅に出ると気持ちが解放され、非常にリフレッシュになります。
でも、あんまり遠い行先だと、行く前から長い移動時間が気になったりします。
かといって、せっかくリフレッシュのために旅に出るのですから、あんまり近いと盛り上がりませんし、あまり解放された感じにもなりません。
そう考えると、旅の道中は、決して単なる「移動」という意味だけでなく、私たちが
日常→非日常
にエスケープするための必要な作業なのだと思います。
時間に追われる日々の生活を離れ、ゆっくり時間をかけて旅に出ることが人にとっての最高の贅沢なのだと思います。
なので、このような過程を抜きにして、瞬時に目的地に着くことが出来ても(たとえば、超高速旅客機の実現や、どこでもドアのような装置など)、旅の楽しみは半減どころでない減少となると思います。
つい先日は、警察署から逃亡したまま自転車旅行をしていた被疑者がいました。
これはまさに、「時間をかけて日常(勾留中という身分)を脱し、非日常(自転車旅行者)という解放感」を満喫していたケースです。
当然、許されたことではありませんが、「犯人の逃走」というと、「偽名パスポートで飛行機で海外に高飛び」と思いがちですが、彼の中では「それでは日常からの解放感は薄い」とでも感じたのでしょうか。
時間をかけて非日常を満喫するという作戦に出ていたのでした。
とはいえ、非日常の解放感を味わうことは、日常を頑張っているからこそ許されるものだと思います。みなさんにも、頑張っている日常から解放されるために、ゆっくりと旅に出ることをお勧めします。
やっぱり欲しい。
人の欲は難しいですね。欲があるから頑張れる。欲があるから不正に走る。
しかも人の欲には際限がなく、通常一般の人からはるかかけ離れた次元の欲を持つ人も多くいる(カルロスゴーンさんを念頭に置いています。)。
大小問わず日々の生活は人の欲と離れて考えようもありません。
つまらないことかもしれませんが、コンビニでお弁当と温かいスープを買おうと思ったのです。
お弁当は焼き肉弁当にしたので、スープの方は単純に「野菜だけのスープ」が欲しかったのです。
でも、いくらさがしても、お肉入りのものしかありません。
ここからは勝手な推測ですが、
これらのスープのターゲットは、「野菜を中心にしつつも、お肉も食べたい」という方々なのでしょう。
今回その意味では私はターゲット外だったようです。
やむなくスープは止めて、サラダにしました。
それでもサラダの中にも「野菜+お肉」のものも多かったですね。
きっと、「ヘルシーにしつつも、お肉も欲しい」という多くの方の欲にかなった品ぞろえなのでしょう。
どんな仕事をするにしても、人の欲を離れての成功はないように感じました。
(カルロスゴーンさんは、物凄く欲が強かったために日産再建を成功させたと言えますが、その自らの欲が自らを滅ぼしたと言えそうです。)