【ブログ - ワタシをミカタに】 不貞慰謝料に対する加害者側の責任の軽重について
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不貞慰謝料に対する加害者側の責任の軽重について

2021-5-13 14:52

(慰謝料の請求方法について)

不貞慰謝料は、不貞行為を行った当事者2名に対して請求が可能です。

 

被害者をA、その配偶者たる加害者をB、不貞相手をCとした場合、BとCとの責任は共同不法行為による不真正連帯債務と扱われます。このことの意味は、Aとしては被った精神的苦痛についてBだけに全額を請求しても良いし、BとCに連帯して全額を請求しても良いし、Cだけに全額を請求しても良いということです。

 

その結果、次のような請求方法が考えられます。

 

【ケース➀】

AがBとCに同時に請求する(たとえばAがB,Cに合わせて200万円を請求する。)。

→このような請求方法になるのは、離婚した場合や離婚が目前に迫っている場合が多いです。

 

【ケース②】

AがCにだけ請求する(たとえばAがCに200万円を請求するがBには請求しない。)。

→ケース➀と異なり、離婚をしない場合にはこのような請求になることが多いです。

 

【ケース③】

AがBにだけ請求する(たとえばAがBに200万円を請求するがCには請求しない。)。

→理屈上はあり得なくないですが、あまり多くない類型です。

 

 

(BとCの責任の軽重について)

以上のように複数の請求方法がありますが、BとCとが連帯責任として扱われる関係で、果たしてその責任の軽重について違いがないのかが問題となることがあります。

 

具体的には、上記ケース➀の場合に、BとCとで認容される金額に違いはあるのか、ケース②の場合に、Cに請求できる金額はケース③でBに請求する場合と比較して減額されるのか、という形で問題となります。

 

また、ケース➀で、CがAに支払った慰謝料について、Bにも負担を求めた場合に、支払った慰謝料の何割を求めることができるのかという場合(ケース④といいます)にも問題となります。

 

【考え方➀】

上記の問題について、BとCとは共同不法行為による不真正連帯債務を負う立場にあるから、AがBないしCに請求できる金額に違いはないとする立場です。

 

この考え方に従うと、上記ケース➀ないし③のいずれの場合でもBとCはAに同じ金額を支払えとの結果となります(たとえばケース②の場合、CはAに200万円を支払えとなる。)。

 

ただし、ケース④において、BとCとがお互いの責任割合を踏まえた求償の場面では、BとCのいずれの責任が大きいかを検討、判断し、負担割合を決めることとなります(その結果、BとCの責任割合が6:4となればBは120万円、Cは80万円を負担することとなり、差額を回収できる。)。

 

【考え方②】

不貞行為の当事者のうち主たる責任はBにあることから、特段の事情の無い限り、Bの責任を大きいものとみる立場です。

 

この考え方に従うと、上記ケース➀、②ではCが支払うべき金額はBが支払うべきそれよりも減額されることとなりえます(たとえばケース③では、BはAに200万円を支払えとなるような事例でもケース②においては、CはAに180万円を支払えとなるに留まる。)。

 

そのため、とりわけケース②の場合には、Aにとっては、考え方➀の場合よりも損をすることとなります。

 

 

現在、BとCの責任の軽重に関する最高裁の判例はなく、かつ地裁では判断が分かれる傾向にあります。他方で東京高裁では考え方②を採用したものがありますが、必ずしもこれが一番有力な考え方とも言い切れない状況だと言えます。

 

したがって、不貞慰謝料の請求に際しては、これらの問題点を考慮の上で解決に向けて進める必要があります。

 

 

 

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混乱

2021-5-12 17:57

ここ最近、世の中が非常に混乱しているように感じます。

オリンピックの開催の是非を巡って選手自体に対して向けられた言葉、ワクチン接種の予約のために早朝から病院に並ばざるを得ない高齢者、「人流」なる言葉で扱われる個人の移動、具体的スケジュールの見えない収束へのプラン。

 

どれもこれも新型コロナウイルスが原因ですが、その原因に対して効果的対策が打てていないことは明白です。

繰り返される「自粛要請」「休業要請」「徹底した対策」で解決しようとすることはもはや限界を超えています。

 

それゆえ、人が人としてあるべき冷静さを保てず、混乱しているとしか思えません。

 

この混乱の中、少なくとも他人を傷つける言動だけはしないようにと意識を強めています。

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変な夢~津山でスケート~

2021-5-10 17:33

変な夢を見ました。

津山でスケートをする夢です。スケートリンクにたくさん人が集まっていて、みなこぞってスケートに興じていました。

なぜか、リンクの中央に座り込みをしたり、寝転んだりしたりする人々がたくさんいて、リンクの周りしか滑れませんでした。

物凄い密で、物凄い熱気の中で、私もスケートをしました。

でも、何度もコケそうになり、本当に変な夢でした。

 

 

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現地に赴き得られるもの

2021-5-6 15:17

みなさま、今年のGWはいかがお過ごしになりましたでしょうか。

私は、今年のGWには普段できないことや普段行けない場所に行くことが出来てとても充実な時間を過ごせました。

とりわけ、仕事に大いに役に立ちそうな情報を得ることが出来たのが大きな収穫です。

やはりせっかくのGWには普段経験できないことをするのが一番だと感じます。

 

いろいろと制約が多い日々ではありますが、その中でも出来る限り様々な経験を積んでいきたいと強く思います。

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職業選択について

2021-4-28 11:57

家裁の待合室で順番待ちの際、置いてあった書籍が気になり、開いてみました。村上龍さんの「新13歳のハローワーク」という書籍です。

初版は2003年で、置いてあったのは2010年の新版の方でした。

ベストセラーになったこともまったく知らなかったのですが、内容がとても面白かったので自分用にも購入してしまいました。

 

特に面白かったのは、はしがき。

村上さんが、職業選択について思いを綴っています。

 

自分に向いていることを職業にするべきであり、それが見つかるのはだいたい28歳前後。それまで、13歳から数えると15年という十分な時間があるからその時間を有効に使って自分にとって向いている職業を選んで欲しい。

とのことです。

ご自身も28歳のころに、作家として生きていく決意が出来たとあります。

 

また、ご自身は、作家という仕事が「好きか」と聞かれると「そうではない。ただ、向いているとは思う。作家として長時間、長期間文章を書き続けたり、調べたりすることはまったく苦にならない。」とのことです。

とても興味深い言葉です。

 

一般的には、好きなことを職業に出来たら幸運だと言われたりしますが、村上さんは好きかどうかではなく、「向いているかどうか」で考えています。

 

その「向いている」仕事をいかにして見つけることができるか、出会えるかが非常に大切なことだということです。

 

私も弁護士という仕事をしていますが、向いているかどうかで言われると、「向いている」とは思います。好きかどうかでいうと、確かにどう答えようか考えます。

 

なるほど、職業選択の在り方について深く考え直しました。

 

 

結局、あるべき職業選択の流れは、

➀自分に向いているかどうか(かつ好きであればなお良い)

②その職業をこなすだけの能力があるかどうか(どんなに向いている仕事でも、どんなに好きな仕事でも能力が不足すれば職業としては成り立たない)

③生活するに十分な収入(もしくは自分が望むくらいの収入)となるかどうか

が大切ですね。

 

③を最初に考えてしまうと長続きしなかったり、仕事に対する不満ばかりが出るかもしれません。

やはり、➀において、ふさわしい職業を選択できていれば、その人にとって長い目でみて充実した人生になると思います。きっと、➀において、自分に向いている職業を見つけた人は、その職業に就くことを目指してきっと努力することでしょう。

そうすればおのずと、②の能力についてもついてくることでしょう。

 

私自身は、中学生のころに弁護士を志すようになりました。不条理が嫌いだったからです。ある意味で➀を満たしています。その後、必死で勉強をしました。受験勉強は約10年です。毎日10時間以上、歩いている時も電車に乗る時も、お風呂でもトイレでも勉強をしました。やはり、(勉強は大変でしたし、楽ではありませんでしたが)向いていたのだと思います。

 

その結果、何とか②能力が備わって、弁護士になることができました。

 

職業選択というのはとても奥が深いと感じます。

 

 

 

 

 

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慣れないパソコン上の電卓

2021-4-22 16:17

最近、電卓を止めて、パソコン上の電卓を使うようにしました。

↑ちょっと分かりにくいですが、いわゆる物理的な電卓を止めて、パソコン内のアプリで使う計算機を使うようにしたということです。

物理電卓を使わないようにしたのは、何でもパソコンやタブレットで出来ることはそちらに移行することを検討しており、物理電卓についてもその方法で全く問題がないと分かったためです。

 

ただ、まだ慣れていないため、何か計算をしようとした際、デスク上の(もうしまっており、存在しないが)物理電卓を探してしまいます。

 

でも、いったんパソコンの電卓になれれば、きっと将来的には物理電卓を使うこともほとんどなくなってくることでしょう。すでに、スマホで電卓を使うのは当たり前ですし、昨年購入したiPadでもアプリの電卓で本当に便利なものがありました。

なのでこの度、パソコンでも電卓を使う癖をつければもはや物理電卓は完全に無用の長物になることでしょう。

 

きっと、ずっと先の将来には、物理電卓もまたそろばんと同じように、「昔使われていた計算のための道具」として懐かしまれたりすることでしょう(ただし、そろばんは今でも計算能力を高めるために非常に有益な道具であり、全国多くのそろばん教室の存在がこれを物語っていますね。そうなると物理電卓もまた、きっと、その有用な面を活かした活用が残ることでしょう。)。

 

 

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気の利く「予測変換」

2021-4-20 11:04

毎日使うパソコンでの文書作成。

とても便利ですが、時に「予測変換」で予想だにしない変換候補が上がります。

 

今朝は、一生懸命、依頼者の方への連絡文書を作っていました。

「これでいかがでしょうか?」

という文章を入力しようとしたところ、変換候補に、

 

「これでいいのだ」

「これでいいのだ!」

と立て続けに上がりました。

 

うーん。明らかに天才バカボンです。

 

マイクロソフトさん。このような予測変換が需要が多いということでしょうか?それとも、私の頭の中を予測して、このような予測を候補に上げてくださったのでしょうか。。。

 

とても不思議です。

 

 

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越えられない壁

2021-4-15 9:47

 

弁護士の仕事は、勝った負けたが付き物です。多くの弁護士は、日々、勝つか負けるかを意識しながら活動しています。

 

当初の見立てのとおり、勝つこともあれば、予想外に負けることもあります。

 

その原因にはいろいろあります。

 

主張立証が功を奏さなかったとか、不利な証拠が顕出されたとか、はたまた裁判官の判断が偏っていたとか。

 

いずれにしても、負けたということは越えるべき壁を越えられなかった結果に他なりません。

 

弁護士として悔しい気持ちで一杯になります。

 

 

また、越えられなかった壁は結局、どこにあったのか、どうすれば越えられたのかも考え直します。

 

自分自身なのか、相手方なのか、裁判所なのか。

 

その上で不服申し立てに出て、納得のいかない結論を覆すよう最善を尽くします。

 

 

裁判に限らず、世の中には壁を越えることのできた勝者と、越えることのできなかった敗者がいます。スポーツ競技でもそうですし、あらゆる受験もそうです。

 

個人的にはボルダリングを趣味としていますが、自分自身で楽しむ限りでも、自分の中で「今日はこの課題を登ることができたが、あの課題はできず悔しい。」という気持ちになったりします。

 

 

スポーツでも何でも人は常に目の前に立ちはだかる壁を乗り越える努力と工夫をします。その壁は決してひとつとは限りません。また、あちこちに、次々と現れることもあります。

 

そして、最終的にはそれらの壁をすべて乗り越えた人が勝者です。

 

ひとつでも乗り越えることが出来なかったり、逃げたりした人は敗者です。

 

その意味では、勝者になるにはまずは逃げないことだと思います。その上で乗り越えるべき壁を一つ一つ乗り越えることしかありません。

 

それでも乗り越えることのできない壁はきっとあります。そのことを自覚した時の悔しさは一生忘れることはできないと思いますが、勝負の世界はそういうものです。

 

厳しいようですが、乗り越えるべき壁を乗り越えた者のみが唯一、勝者となるのです。

 

 

 

 

(最近の池江選手の活躍ぶりを見て、勝負の世界について改めて考え直してみました。

 

彼女は病気という大きな壁に打ち勝ち、その上で競泳に復帰し、大会で素晴らしい結果を納めました。敗者となった選手からすれば、「池江選手」という壁を越えることが出来なかったと言えます。

 

池江選手という壁は、「自分自身にはない才能」なのでしょうか。

 

スポーツにおいては、単に体格や筋力によって勝敗が決まるのではなく、運動神経やセンスによって結論に違いが出ます。きっと池江選手にはこれらが相当優れているのでしょう。)

 

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「財布は別」な夫婦の財産分与について考える

2021-4-14 12:59

今日、テレビを観ていたら、夫婦それぞれの収入と支出の在り方について、いろいろなやり方が紹介されていました。

今どきは、お互いの収入や貯蓄は知らない、家計の支出については共通の口座にお互いが決めた額を入金し、それでまかなう、というやり方が割と多いとの事でした。

共働きが増えた現在、このやり方は必要以上に相手方に干渉をしないという意味でとても合理的です。また、以前はとても多かった、夫の収入に頼って生活をする家庭において、妻に経済力がないがために夫に意見をできない、離婚をしたくても切り出せないという問題も生じにくいというメリットもあります。

 

ところで、このような完全に財布は別な夫婦において、離婚問題が生じると、その財産分与はどうなるのかが気になります。

というのも、法律的には、婚姻期間中に夫婦で形成した財産は基本的にすべて夫婦共有財産とされ、お互いで半分ずつを取得することになるのが大原則だからです。

ただし、お互いで何を財産分与の対象に含めるかとか、財産分与の割合を半々ではなく4:6にするとかという合意は可能です。

 

そのため、財布は別世帯においては、離婚問題が生じた際に

➀離婚に際しても財布は別を貫き、お互いの貯蓄はお互いが取得し、相互に口出しをしないという合意をして解決する

②上記大原則に遡って、これまで維持してきた財布は別システムを放棄し、すべての財産を開示した上で財産分与の話を進める

の二択になると思います。

 

婚姻期間中は財布は別でもお互い納得していたところですが、いざ離婚になると相手に対する不満や不信感ゆえ、

「実は自分よりも相手の方が収入があって、貯蓄もしっかりしているのではないか?そうすると離婚になる以上は財布は別を維持しなくても良いのではないか。どうせならとれるお金はとってやりたい!よく考えたらそもそも財布は別を言い出したのは相手から出し、何か隠したいお金があったのではないか?」

との考えが生じてもおかしくありません。

 

さぁ、こうなると本当に大変です。

婚姻期間中に維持していた財布は別システムを放棄し、いざこれまでの収入や貯蓄を洗い出そうとしても、これを求められた相手方が素直にすべてをさらけ出すとも考え難いですし、仮に財産を開示しても、それまでの使途や隠し財産の有無などを巡り、紛争は激化する一方でしょう。

 

一番最悪なパターンは、財布は別システムを導入し、一方は一生懸命貯蓄をした(たとえば3,000万円)が、他方はほとんどしていなかった(たとえば100万円)場合です。

この場合に、上記大原則に照らして財産分与をすると、3,000万円+100万円=3,100万円となり、これを折半すると1,550万円ずつです。当然、3,000万円を貯蓄した側はたまったものではありません(念のためですが、審判例では、夫婦の一方が多額の貯蓄に努め、他方が散在しまくったケースで財産分与の割合を調整することで結論の妥当性を維持するケースもなくはないです。)。

 

それゆえ、財布は別システムは、婚姻期間中にうまくお互いを尊重しつつ生活をしていく際には有益ですが、離婚問題となり、上記➀の方法での折り合いがつかなかった場合には本当に血みどろの争いになりそうです。

 

なので、現在、財布は別システムを採用し、離婚を検討中の方は、財産分与の在り方についても事前に十分に検討されることをお勧めします。

 

 

 

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男女間の金銭トラブルと法的解決について

2021-4-13 11:42

交際中や婚姻中の男女が、関係を解消するに伴い金銭のトラブルになることがままあります。

 

具体的には、交際中や婚姻中のお金のやりとりについて、「貸したお金」なのか「あげたお金」なのかを巡り、双方の意見が対立することで紛争が顕在化することが多いです。

 

時には、お互いで借用書を作成していることがあり、その場合には借用書の内容にしたがって貸金を弁済してもらうこととなります。

 

しかし、ほとんどのケースではこのような借用書は存在せず、貸したのかあげたのかはお互いの認識違いや、言った言わないの問題になってしまいがちです。

 

このようなケースでよく尋ねられるのは、「同棲中の生活費はほとんどすべて私が支払ってきた。半額、返してもらえないのか。」というものです。

 

この点、たとえば定職につかない男性を女性が養っていたような場合でも、生活費について貸したことの明確な約束や書面がない限り、女性が負担してきた生活費は男性に対する援助や支援であり、法的には贈与とみるほかありません。

 

これは婚姻のケースでも同じです。たとえば、女性が専業主婦で男性の稼ぎだけで生活をしていたようなケースでも、婚姻期間中の生活費の半分を女性に求めることはできません。

 

このように、男女間でのお金のやりとりは、多くのケースでは「あげたお金」と見られるのが実情です。これを覆そうと思うのであれば、できれば借用書の作成をし、これが無理でも貸したお金についてメモやLINEに残しておくことが重要です。

 

とはいえ、多額の金銭を長年支出してきた側の立場に立つと、これをすべて贈与とされてしまうことに納得のいかないことも多く、それゆえ、後になってトラブルに発展してしまうのだといえます。その際、支出を受けてきた側としても、そのこと自体は事実であるがゆえに、なかなか強い姿勢で「もらった金だから返す理由はない。」と言い切ることもし辛く、事の解決を難しくしてしまう側面があります。

 

そのため、大切なことはお互いで、お金を貸す趣旨なのか、もらう趣旨なのかを当初から明確にしておくことだといえます。

 

なお、お互いの認識の相違から生じた紛争を解決するために、一方が他方に「解決金」を渡すことはその手段として十分にあり得ることです。その場合、示談書の取り交わしをし、以後の金銭の請求を一切しないことを明確にすることが大切です。

 

 

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