役に立たない弁護士
個人的には次のような弁護士は役に立たない弁護士だと思っています。
① やたらと物分りが良すぎる
② 全然理屈っぽくない
③ 気が弱い
依頼者の方からすると①のような弁護士は話をよく聞いて、よくわかってくれて良い弁護士と思うかもしれません。
しかし、本当は物分りが良すぎるのは問題です。なぜなら、相談者や依頼者の悩み痛み辛さなどは、弁護士といえどもそんな簡単に理解することはできないからです。
やたらと物分りが良い弁護士は、ある意味では相談者や依頼者の方のお話をわかったような顔をして聞いているだけにすぎないかもしれません。
むしろ、本当に相談者や依頼者の気持ちを理解しようと思えば、何度も何度も突っ込んで話を聞こうとするでしょうし、すぐにわかった顔はしないはずです。
物分りが良すぎることのもう一つの問題点は、弁護士が相手方や、相手方の弁護士から言われたことをすぐにうんうんと頷いてしまい、こちらの相談者や依頼者の意向に沿わない内容・結果でも安易に請け負ってしまう可能性があることです。
この場合、当然に不利なことですからやはりやたらと物分りが良すぎるのは本当に、本当に困りものです。
次に、②のような弁護士は法律の世界で生きていくには全く役に立たないと思います。
弁護士の仕事は法律や裁判例など、理屈を最重視される仕事です。
相手方との交渉や駆け引きにおいても理屈を伴わないやり取りは勝ち目がないと言っても過言ではありません。
当然、裁判をかけても理屈を伴わない裁判は勝ち目なしと言わざるを得ません。
なので、素人目にはこの弁護士は非常に理屈っぽいなぁと思ってもそのような弁護士の方が実は 駆け引きは有利に進めることができ、また、裁判所での受けもいいと言えます。
最後に、③のような弁護士はもはや依頼者、相談者の剣や盾となるべき存在である弁護士として全く機能していないと言えます。
交渉や裁判は、法律や証拠などの武器を使って、相手と戦い、相談者や依頼者の権利を勝ち取るものですが、いくら良い法律や証拠などの武器を持っていても、これらを使い、強い気持ちで相手方に向かって行くことができなければ当然勝ち目はありません。
なので③のような弁護士も、役に立たない弁護士と言わざるを得ません。
したがって、これらと逆の要素を持っている弁護士は役に立つ弁護士と言えますので 、弁護士選びの際の参考になさってみてください。
疲れたら甘いモノ
甘いモノをたくさん食べるタイプではありませんが、「嫌い」というわけでも、「苦手」というわけでもありません。
時に、食べたくなるし、実際に食べます。
特に、15時以降、夕食までの時間帯とか、仕事が立て込んだりして疲れた時とかは欲しくなりますね。
で、基本的には甘いモノ、なんでも食べますが、チョコレートとかは結構好きです。
それと、生クリームなんかも好きです。
なので、チョコバナナクレープとか最高ですね。
あとはココアとかカフェモカもいいですね。
最近は、スタバでカフェモカホットがマイブームです。ココアもありますが、スタバのココアはホイップオンではないのでカフェモカです。こっちはホイップオンなので、疲れた時に最高です。
今日は、尋問の期日後に、スタバでカフェモカ、頂きました。
みなさんは、疲れたら?やはり甘いモノでしょうか??
生産性とはなにか?
昨今、政界や経済界において、さかんに「生産性を高める」などという趣旨の言葉を聞きます。
改めてその意味を考えてみると、人が生み出す付加価値などと説明されたりします。
もうちょっと具体的には、人がある労働をした結果、生まれる価値とでもいえます。
【例】
時給単価900円のAさんが、600円のランチ(材料等原価を200円とする)を1時間で30人前作って顧客に提供した
→この場合、売り上げ=18,000円で、それに対する人件費と材料費の合計が6,900円です。結局、これら原価を用いてお店は11,100円の付加価値を生んだと言えます。
結局、生産性を高めるためには、安い賃金、安い原価で、高く売れればよいことになります。しかし、安い賃金、原価では、いい商品は提供できないので、今後は、高い賃金、高い原価でもよいので、従前の商品の枠を超えるような高額の商品を提供できるようにすることが目下の目標でしょうか。
もしくは、高い賃金、高い原価で、圧倒的多数の顧客が買い求める商品を世界中に販売するというのでもよいでしょう。
このような意味では、よく引き合いに出されるのがアメリカのビジネスです。
アップル、Google、アマゾン、FBなど世界中にサービスや商品を提供し、無数の顧客を持っており、その生産性の高さは比較になりません。
また、ドイツの、高額でも世界中で売れる高性能な車も付加価値の高い商品といえます。
日本でも、このような意味での商品やサービスを提供できるよう、今後の努力が必要だと思います。そのためには、今まで存在しなかったモノを作る、作れるような発想が必要で、その意味では教育や改革が必要なのでしょう。
しかし、国の政策に頼っているようでは、本当の意味での生産性向上は期待できないと思います。個人や企業が本当に必死になって生産性の向上に取り組むべきでしょう。
弁護士業界的には、ITの駆使が目下のところ生産性向上に非常に有益です。最近では、チャット、ファイル共有ソフト、音声入力ソフトなどを活用し、自分なりに生産性の向上に努めている次第です。
エサは先に与えろ
よく、
「今度のテストで100点とったら〇〇してあげる。」
というご褒美の設定の仕方があります。
これを聞いた子どもは、ご褒美が欲しくて100点とろうと頑張る。というものです。
一見、分かりやすく、効果がありそうな方法ですが、実はもっと効果があるご褒美の設定の仕方があります。
それは、
テストの前にすでに、子どもの欲しい〇〇をあげておき、「今度のテストで100点とれなかったら〇〇は返してね。」
という設定の仕方です。
これは、人はいったん手にした利益を失いたくないため、それを避けるため必死になるという「損失回避」という行動心理によるものです。
実際に両方の方法で実験をしたところ、後者の方が成績がよい傾向が確認できたとのことです。
人は誰でもいったん手にしたモノは失いたくない、という心理はどこでも応用できるので、覚えておくと便利ですね。
「今度の土曜日は△△に行こうね!」と予め約束していたのに、直前になってキャンセルになった場合のショックが大きいのも「損失回避」の心理です。
事前には何も約束せずに、土曜日になった時点で「今日は△△に行こう!」とした方が良いともいえます。
「センスがいい」ということの意味
日頃何気なく
「センスがいいね」
という表現を使います。
あまりにも浸透し過ぎた表現のため、これを日本語ではどう表現すればよいのか、考えてしまいました。
そもそもの「センス」という言葉自体は、「感じる」とか「感じ方」とかいう意味合いです。さらに発展させると「物事の微妙な違いを感じ取ること」などと説明されることもあります。
要するに、細かい物事を感じ分けることと言えそうです。
ちょっとした違いに気が付き、発見し、その良しあしを判断する力があるということですね。
いつの時代でも、どんな分野でも「センスが良い人」というのは、こうした物事の微妙な違いに気が付ける能力があるということだと思います。そして、こうした能力は、日ごろから様々な出来事や物事、いろいろな人たちの考え方や捉え方を注意深く観察し、分析することで培われると思います。
なので、優れた芸術家も、科学者も、音楽家も、こうした違いを発見する能力に長けており、なおかつその能力を生涯に渡り活かし、発展させ続けたのだと思います。
ちなみに、弁護士の場合には、法律の条文の違いに気づき、理解する能力が「センス」といえます。
しかし、これだけでは不十分で、やはり、人の心や気持ち、心境の微妙な変化に気が付けるようになることが重要です。
結局、いくらこれからAIの時代になっても、この「人の微妙な気持ちの違い」を理解する「センス」は人間でないと敵わないものと、そう思っています。
最後になりますが、「センスがいい」は日本語ならば「感性が優れている」という感じでしょうか。
でも、「君の今日の服は感性が優れているね」と言われるよりも「君の今日の服はセンスがいいね!」の方がピンとくるのが不思議ですね。
静かな時間
3位
偶然、60代のお二人、70代のお二人と一緒に昼食をとる機会がありました。
あれこれ話をしながら食べていると、私より先に60代のお二人が完食されました。
内心、その食事の早さに驚きつつ、70代のお二人に目をやると、おひとりはもうすぐ完食という状況で、もうおひとりは、食べ始めに席を立つなどしたためまだ途中。
食べる速度と年齢は関係ないと思いつつも、自分の倍近くの年齢の方々の食事スピードに改めて驚きました。
そうこうしているうちに結局、私は3番目に完食しました。そしてそのすぐ後に70代のおひとりが完食しました。
いずれの方もみな元気な方々だったので、
「食べるのが早いから元気なのか、元気だから食べるのが早いのか。」
などなどあれこれ考えながら昼食を終えました。
「自分に出来ること」と「自分にしかできないこと」
仕事を進める上で、いつも頭の片隅に
「自分にできることだが、他人でもできること」
と
「自分にしかできず、他人にはできないこと」
を置いています。
そして、できるだけ後者(自分にしかできないこと)に力と時間を割くよう、意識しています。
自分にできるが、他人にもできることはできるだけ周囲の力を借りて、その人たちにお願いするのです。
そうすることで、自分の能力を存分に発揮でき、よりよい仕事、よりよい成果を得られるからです。
同時に、日々常に意識し、「自分にしかできないこと」を一つずつでも、少しずつでも増やせるよう努力しています。
何パーセント愛せるか?
「あなたは、恋人や、配偶者を何パーセント愛していますか??」
と、問われたらどう答えますか?
「100%、いや、120%愛してます!」
などと答える方も多いと思います。
特に交際間もない時や、新婚の時にはそうかもしれません。
とりわけ、上記の質問が、恋人や配偶者の目の前でされた時には余計にそう答えるかもしれません。
でも、冷静に考えると、100%とか120%とかといった愛情表現は疑問もあります。恋愛や結婚生活は、将来に渡り長く続く可能性のある関係です。何年も、何十年もあり得る関係について、簡単に100%とか120%とか言ってしまってよいのでしょうか?
仮に、将来のことは置いておいても、現在目の前の恋人や配偶者について、実際、私たちはどれだけのことを知っているのでしょうか?
「自分は相手のことをよく知っている。」
と思っていても、全部を知っていることはありえません。
なので、やはり恋人や配偶者には自分の知らない部分もある。その部分についてはひょっとして自分は好きではないかもしれない(そう言えばこないだケンカしたけどなんだかまだ納得できてないし、、、ということもあるでしょうし)。
また、将来において恋人や配偶者が今と変化していくこともある(加齢に伴う心身の変化は避けられません、、、また、考え方や価値観の変化もあり得ます。)。
そう考えるとやはり100%なんて答えはない。ましてや120%なんてもっての外!せいぜい、60%~80%くらい愛しています、と答えるべきではないか?
と思うに至りました。
また、そうでもしないと、仮に恋人や配偶者から見限られた時が辛すぎます。しかも、そもそも120%の愛とはなんでしょうか?
100%がマックスのはずで、これを超える愛となると、その超えた部分の20%は本当は他に向けるべき愛を振り替えているか(愛情の横流し)、将来にとっておくべき愛を先取りして使っている(愛情の前借り)ことになります。
そうすると、120%の愛は、今は良くても早晩破綻することは明らかですね。
なので、くれぐれも(自分のためにも、相手のためにも)
「俺はお前を120%愛してる!」
などと言うのはやめるべきです。
「私はあなたを60%~80%くらい愛しています。」
と口説かれたら、即、交際開始もしくは結婚されることをおススメします。
(でもこんな口説き方する人、聞いたことありませんね。。。)
サイズアップ
だいぶ涼しくなってきたので、長そでワイシャツを出しました。
体格が体格なので、ワイシャツは市販品だとサイズが合わず、やむなくオーダーメイドなのですが、久しぶりに着てみると、どうにも窮屈です。
久しぶりの長そでだからそう感じるのか?
それともシャツがアイロンで固くなっているのか?
そんなことを考えつつ、数日を長そでワイシャツで過ごしました。
が。
それでもやはり窮屈です。
どうにも窮屈過ぎるので、オーダーしたお店に駆け込みました。
改めて採寸してもらったら、
腕周り、胸周りなどいずれも去年より+3センチのサイズアップだったことがわかりました。
体重は変わっていないので、どうやら日頃の筋トレの効果で、去年の自分から成長していたことになります。
筋肉が付いたのはうれしいのですが、新しくシャツを注文し、それはそれでお金がかかりました。
うーん。体が大きいとお金がかかる。食べる、着る、住む。どれに関しても。。。