事実を見ることの大切さ
弁護士という職業柄、「事実に着目する」ことの大切さを常日頃、強く強く意識しています。
どんな法律も、前提となる「事実」がなければ適用の余地がありません。
どんな裁判官も、被害者の受けた酷い被害実態という「事実」を目の当たりすれば、被害者救済に意識が向かざるを得ません。
その意味でとにもかくにも弁護士たる者、「事実」を疎かにすることはできないのです。
そんな職業柄か、この度の新型コロナウイルスについても「事実」を丁寧にしっかりと落ち着いて見つめることが重要だと認識し、日々接しています。
とりわけ、いたずらなパニックの原因の一つとして、感染者数のグラフや数字が頻繁にマスコミなどで報道されますが、その事実を見つめる際に重要なことは、
➀累積感染者数ばかりではなく、日々の新規感染者数をもきちんと把握すること、
②「感染者」の定義や、感染者と認定する前提としての検査がどの程度実施されているのかということ、
③感染した人々の予後はどうなのか、どの程度の期間でどの程度の退院すなわち回復に至っているのかということです。
➀については、すでに中国において、日々の新規感染者数は圧倒的に減少しています。これは韓国でも同様です。日本については爆発的には増えていないと見てよさそうですが、まだどうなるかはっきりと断定はできなさそうです。
②前提としての検査数についてはどうやら日本は絶対数が少ないように見受けられます。検査数が少なければ当然、感染者数は増えません。
③については、日本では不幸にもお亡くなりになられた方も多数生じていますが、退院者数は今日の時点で427人となっています。
このように考えた際、確かに未知の病気ではありますが、対処すべきことを対処していけば、いつものような「日常」に戻れる日も遠くないものと私は信じています。
平常心
ここ最近、いつでもどこでも新型コロナウイルスに関する報道や出来事ばかりで、日々の生活がそれこそ新型コロナウイルスに感染してしまっている。
マスクやトイレットペーパーが品薄になり、臨時休業や時短営業の店舗、会社が増え、学校については一斉休校状態。
隣の人が咳をすると「コロナか?」と疑い、子どもが街中を歩いていると、「自宅にいろ」と叱られる。
世界中で毎日増え続ける感染者数や死亡者数。
国民の多くはこれら報道に不安を駆られ、自分の家族、自分の子どもを守ることで必死になる。
しかし、やはり大切なことは、
➀新型コロナウイルスがどのような病気なのか、どのようにして感染するのか、感染した場合の症状や対処方法はどうなのかをしっかり理解すること、
②日々流れてくる報道や情報、噂について、何が真実で何が虚偽なのかをきちんと冷静に見極めること、
③単に受け身ではなく、自ら積極的に情報を収集し、学習すること
だと思う。
特に、③に関しては、
④各報道において「日々の感染者数、死亡者数」を積算した情報を流してばかりだが、そもそもその感染者数のカウント方法には疑問の余地がある(検査を実施しないとカウントされない。その意味では日本の今の検査実数は少なすぎないか。)。
⑤感染後の治癒した人数をきちんと報道していないことが多すぎて、いたずらに国民の不安をあおっている(厚労省HPやNHKのニュースサイトでは明らかにされているのでそこをよくチェックするとよい。)。
なので、こういう時こそ普段通りの平常心で落ち着いた対処が解決のための最善策だと思っている。
しわ寄せ
一斉休校のため、各方面へのしわ寄せが酷い。
小中高の保護者のうち、共働きでない世帯は保護者が子らを見れる。
共働き世帯のうち、子らが留守番できる年齢や、成育状況であればまだまし。
共働き世帯のうち、小学生が学童にもともと通っていた場合にもまだまし。
学童に通っていなかったとしても、自治体判断で学校などを使っての一時預かりをしてくれる場合にもまだまし。
共働きだったとしても、会社が理解を示してくれて、休暇をとりやすければ少しはまし。
そうではなく、片親世帯、自分以外に親族や学童などで子らを見てもらうことができないとか、仕事も休めないもしくは休んでも十分休業補償をしてくれないもしくはもともとフリーランスであり、補償がないなどという場合、本当に深刻な状況に陥る。
障害児の世帯においても負担は大きい。
学校というのは、子どもの毎日の居場所であり、生きる場そのものである。
それを、合理的根拠もなく一方的に奪い、他方で学童に朝からすし詰めにしたり、学校を解放しつつも授業はしないというやり方が理解できない。
今回の件では、保護者の収入にも大きな影響が出るし、子どもの健康への影響も大きい。学校との取引関係にある業者も、とんでもない大損失である。
いったいどうしてこのような判断がされたのか、安倍政権は「子育て支援」に力を入れていたのではないのか。
まったくもって納得がいかない。
何に恐れているのか
日々、新しい情報、報道に気が気でない状況です。
感染者数、死亡例などまた中国や諸外国での新型コロナウイルスへの対応策の内容などとても刺激的で人々の恐怖心、不安感を募る情報がそれこそ蔓延しています。
ただ、改めて、「私たちはいったい何に、恐れを抱いているのか」冷静に考えてみることも必要だと思います。
そのためにはそもそも今回の新型コロナウイルスがどういうものなのかを知ること、過去の似ている事例と比較することです。
そこで、情報を整理してみると、新型コロナウイルスは
➀飛沫感染、接触感染により感染する(空気感染はしない)
②致死率は、2~3%程度ではないか(SARSの約10%、MERSの約34%には程遠く、他方でインフルエンザの0.1%以下という数値よりは高い)
③感染力としては、一人の感染者から、1.4人~2.5人とされる(SARSは多くて4人、MERSは多くて1人、インフルエンザは多くて2人とされている。ただし、幅のある数値であるから参考程度と考えた方が良いと思う。)
④ワクチンはない。(この点はSARS、MERSも同様で、インフルエンザのみワクチンがある。)
⑤予防法としては、手洗い、マスクであり、SARSなどと同様。
以上のとおり、整理してみると、私たちが現在の新型コロナウイルスに対して恐れるべきことは果たして本当にそこまでの脅威と言えるのか疑問に思う。
十分に、手洗い、うがいをし、咳が出るならマスクをし、体調管理を万全にすることで今回の新型コロナウイルスに対する対処は十分である。
当然、基礎疾患がある方、高齢の方、体力のない方は外出を控えるなども必要とは思う。
しかし、見えないウイルスに過剰反応し、あらゆる行動を制限したりする必要はないと思っている。
また、政府や自治体として果たすべきは、新型コロナウイルスに対する脅威を煽るような対応ではなく、上記のような過去の事例との比較に基づく適切な情報の開示に他ならない。
突然の休校要請など、国民市民の不安を強めるばかりで到底納得のできることではない。
年に一度の、、、
年に一度の、、、
「健康診断」
に行って来ました。
数年前からは、欠かさず「胃カメラ検査」を含めており、非常に負担のある年に一度のイベントです。。。
身長体重、血液その他、いろいろ検査しますが、
採血と胃カメラが嫌です。
それでも毎年通うと慣れてくるのと、(おそらく)医療器具や技術の向上のため、体に対する負担は小さくなっているように思います。
今回も、採血の際の注射は本当に痛くなく、すぐに終わりました。
懸案の胃カメラも、大変は大変でしたが、それでも大分負担感は小さいです。
おかげ様で後は後日検査結果が届くのを待つばかりです。。。
検査は楽になっても、結果が最悪では意味がないので朗報を待とうと思います。
レゴは凄い!
子どものころ、夢中で作ったレゴ。
最近、久しぶりにやってみました。
子どものころに夢中になっていたのが30年ほど前ですので、久しぶりにやってみての感想は「懐かしい!」にとどまらず、レゴの進化や素晴らしさに対する「驚き!」でした。
子どものころは、バラバラのレゴを思い思いに好き勝手に組み上げたりすることが多く、時折、「お城」などのセット物を一から組み上げたりすることが多かったです。
このセット物も当時の子ども心に本当に良く出来ていると感心しながら一生懸命、説明書に従って組み上げたものです。
そして、この度大人になってから購入してみて感じたことは、このセット物のスケール感の壮大さや、一つ一つのレゴの質感の高さ、細かい部品に至るまでの精密さ、それらを言語によらず、カラーの説明書にて小さな子どもでも容易に分かるよう説明している説明書のレベルの高さなどです。
私は、車が好きなので、MINIの車のレゴを購入したのですが、実写のイメージそのままにレゴ化されており、質の高さに驚きました。細かい点では、なんと、車両のダンパーも輪ゴムを用いて再現されており、ダンパーがきちんと上下動するのです。
これはまさに30年の進化。
しかも、MINIのオシャレ感については、ボディカラーの色見で非常にうまく再現されており(塗装が綺麗で、かつMINIのイメージカラーにもあっている)、かつホイールキャップが2種類入っていて、「好きなホイールキャップを選択できる」のです(ホイールキャップが計8個、袋に入っていたのを見た時には、無くした時の予備かと思ったのですが、デザインが異なるのでそうではないと気付きました。)。
もはや単なるレゴ車として侮ることなどできません。本当の意味で小さな「MINI」を感じることができるのです。
そうして、感動や驚きと共に説明書を1枚ずつめくりながら指示に従って小さなレゴを組み上げていき、完成した時には30年間の自分の成長と、レゴの成長を感じることができました。
ところで、説明書にはいわゆる「言語」は99%なくて、あるとしても部品のパーツのサイズが実寸であることを示す「1:1」という表記くらい。
かといって、言語的説明がないために「分かりにくい」ということも一切ないのです。
レゴには言葉は要らない!体で感じてくれればよい!と言わんがばかりのレゴ社のセンスと意気込みも素晴らしい。
これぞ世界トップレベルの実力とセンスですね。きっとどこの誰もレゴを越えることはできないでしょう。
最高品質の商品は、世代、世界を越えて普及し、未来永劫残っていくのだと痛感しました。
弁護士の特徴~7類型~
みなさん利用されている「LINE」のサービスで最近は「LINE弁護士相談」というものがあります。私も登録していますが、その中で↓のような記事がありました。
http://ask-lawyer-mag.line.me/archives/5360092.html
弁護士業界あるあるみたいな感じで、弁護士の私からすると、面白く、そうそうと思うような内容です。
この記事の内容で気になったのは、
【2】高圧的態度がデフォルトの弁護士
です。
弁護士に相談、依頼をしたことがある方なら分かるかもしれませんが、弁護士の中には「常に」攻撃的な態度の方がいます。しかも、「相談者」や「自分の依頼者」に対しても!
なので、そのような態度の弁護士を好まない方は要注意です(攻撃的な態度の弁護士は、相手方に対しても攻撃的なので、相手方への攻撃的な態度を望む依頼者さんにはメリットもあるといえます。。。)。
どうして攻撃的な態度になるか、ですが、それはもともとのその弁護士の性格という側面と、弁護士という仕事がどうしても他人との紛争であり、攻撃を伴うためと言えそうです。
もともと穏やかな人でも、日々、他人との紛争、勝った負けたの中でもまれると、いつしかいつでも攻撃的になってしまう、、、ということです。
ただ、基本的には攻撃的な態度の弁護士は得てしてもともとの性格が攻撃的ということが多いと思います。
。。。
それにしても、記事では、7タイプに分けて紹介されていますが、この中だったらみなさんはどのタイプの弁護士を希望されますか?ひょっとすると、「こんな弁護士、どれも嫌!」とならないでしょうか、、、
悪いことは続く?
先日のブログでは、良い結果も悪い結果もトータルで見れば半々、という内容の投稿をしました。
その考え自体は変わっていません。
ですが、ここ最近はいろいろとしんどいことが続きます。
身の回りの品々につき、故障、破損が続いています。
どうして?
と言いたくなるような故障や破損が次々と生じています。
人に言わせると
「身の回りの品々が悪い運気を吸い取ってくれている」
などと、何やら私が怨霊や悪霊に憑りつかれそうなところを、身の回りの品々が身代わりになって私を護ってくれているかの如く、ひいては身代わりの品々に感謝せよと言わんが如くの説明です。。。
不承不承、そう思うことにしたは良いものの、最近では何やら突然の腰痛にも悩まされ始めています。。。
こうなると、もはや「周りの品々が護ってくれている」理論は成り立たず、ひたすら悪霊に憑りつかれていないことを祈る他ありません。
「きっと気のせい」
そう信じながら、日々、身の回りの品々が壊れるのを受け入れ、突如の腰痛にもめげず、毎日を過ごしています。
そう。
きっと、次は良いことが起きるはず!
結果
良い結果が出れば嬉しい。
悪い結果が出れば悲しいし辛い。
当然のことですが、人は日々、「良い結果」「悪い結果」に揉まれながら生きていると思います。
良い結果が続くこともあれば、悪い結果が続くこともあるし、その逆もあると思います。
時には悪い結果ばかりが延々と続き、非常に辛い時を過ごすこともあるかもしれません。
それでも諦めずに前に進むことを止めなければ、きっといつか「良い結果」が待っていると、私は信じています。
そうして人生はいつしか終わりを迎えるのですが、最終的には良いも悪いもきっと半々。その上で、悪い結果は早く忘れ、「気持ちの上では」良い人生だったと、そう思いながら終えることができたらと考えています。
まだまだきっと人生は続きますが、そんなことを考えながら日々生きています。
落ち着くこと
ここ数日、新型コロナウイルスを原因とした感染拡大とその被害の報道が多くされている。
死者が出ていること、感染拡大の勢いがあること、国内事例が出たことなど報道が過熱する理由は良く分かる。
早急に感染拡大を阻止し、早く収束すること、感染した方が早く症状改善することを希望することは当然である。
しかし、そのために私たちが出来ることは、事実を正確に把握し、まずは自分自身が手洗いうがいという基本的な対処をしっかりすること、それと過剰に騒がない、デマに惑わされない、ましてやデマを拡散しないということだと思う。
過去の新型ウイルスの時もそうだったが、「誰でもが簡単に感染する」というようなものではないし、感染しても「ほとんどの人が死亡する」ものでもない。また、そもそも肺炎は日本における死亡原因の常に上位を占めている(年間10万人を超す)。
その意味で、私たちがいま一番にすべきことは、「落ち着くこと」に他ならない。