働かない働きアリ
よく働くことの代名詞、「働きアリ」ですが、研究によると、その働きアリの中には常に一定割合で「働かないアリ」がいるそうです。
働きアリなのにどうして?
と思いますが、どうしてもそうらしいです。
でも、その「働かない働きアリ」ですが、ずっと働かないかというとそうではないようです。
一生懸命働いていた働きアリが疲れて休憩したり、人手(アリだけど)が足りなくなると、働かない働きアリも働き出すようなのです。
へー。
そして、疲れた働きアリは働かない働きアリが働いている間、休憩をとるようです。
へー。
そうすることで組織全体の適正が保たれているのですね。すなわち、働く働きアリが働いている間、一定割合で働かない働きアリがいることで、組織全体の体力の均衡を保ち、働き過ぎた働きアリが休憩している間、いままで働かなかった働きアリが働き出し、それによって組織としては常にだれかが働く状態を保てるのです。
うーん。すでに相当、働くとか働かないとかたくさん打ったな。。。
続き。
人間の世界でも、会社とかで「働かない人」っていると思います。でも、いざという時、急にフットワーク軽くなるパターンがあると思います。
これって、↑の働かない働きアリと同じパターンですね。
すなわち、働かない働きアリが組織維持に重要なのと同様、会社でも働かない人もある程度、大切だったりするんです。
さて、そうすると自分が普段から働く働きアリタイプか、普段は働かない働きアリタイプかよく見極めた方がいいかもしれません。
ちなみに私は間違いなく普段は働かない働きアリタイプです。
でも、その意味は、「組織ではまったく働かないが、一人になれば(自分でやるしかないので)めっちゃ働く」とご理解ください。
人は、活躍する場を与えられると頑張ったりするものです。
お金持ちになりたい!
誰もみな「お金持ちになりたい。」
そう思っていることでしょう。
私も、そう思っている一人です。
そう、お金持ちになりたいんです!
もはや、いったいどれくらいからが「お金持ち」なのかもわかりませんが、「お金持ち」という響きに憧れます。
で、最近はお金持ちを目指し、していることがあります。
それは、、、、
「お金持ちの(行動の)マネをする。」ということです。
お金持ちの行動をマネすればいつか、ひょっとして、何かのきっかけでお金持ちになれるかもしれない?
そう勝手に信じています。
具体的には、日経新聞を読むようになりました。
「きっとお金持ちは日経新聞を読んでいるハズ!」
勝手な思い込みですが、、、
それでも、日経新聞を読んでいると色々なことに気が付かされます。
例えば、掲載されている広告がいずれも高級であること。
マンション、車、時計、その他。なんでもかんでも他紙には掲載されていないような商品が掲載されています。(かといってどれもこれも私には手が届きませんが。)
他にも、企業の業績や、世界での動向など詳細に記事になっており、非常に勉強になります。
日経以外には、たまに「プレジデント」を買って読むようになりました。
これは言わずもがないろんな社長(=お金持ちに違いない)が出てくるので、非常に勉強になります。
昨日読んだプレジデントでは、ある社長が「本や雑誌はたくさん読む。30ページ読んで面白くなければ捨てればよい。私は面白いと思って完読した本もすぐ捨てるがね。本や雑誌はさして高いものではないから。」という記事がありました。
ふむふむ。お金持ちはたくさん本や雑誌を読むのか~(マネしよう)。それですぐに捨ててしまうのか~(もったいないなー)。本や雑誌は高くもなんともないのか~(安くもないけど!)。
と大変な衝撃を受けました。私なんて、その「プレジデント」すら「買おうか買うまいか」じっくり立ち読みしてから決めたのに。。。
やはりお金持ちへの道のりはまだ遠いようです。
ちなみにその時買った「プレジデント」は、端から端まで読みつくしてから捨てました。
一歩、お金持ちに近づいた気がしました。
朝型生活
長いこともう朝型生活が続いています。
夜は9時から10時ころには寝ています。
朝は早くて5時、遅くても6時半に起きます。
早寝早起きで快適です。
早目に起きると一日がとても有意義です。午前中にはその日のタスクを集中的にこなし、昼食をとると午後はプラスαの仕事に力を割けます。
そのため、以前よりも一日にこなせる仕事量が倍増したようにすら感じます。
次の日に仕事を残すこともありませんし、ほぼ毎日、仕事し尽くして帰宅します。
前日のやり残しが(ほぼ)ない状態でまた翌日を迎えるので、その日はまた新しいことにチャレンジできます。
この調子で朝型生活を続け、毎日新しいことにチャレンジし続けたいと思います。
豪雨時々晴れ
今年の梅雨は、ザーッと降りますね。
昨夜も、目が覚めるくらいの大雨でした。
ところが朝になるとすっかり止んでいて、日中は真夏のような日差しです。
梅雨というとなんだか「ジメジメシトシト」というイメージですが、そんなイメージももはや過去のことなのでしょうか。
なぜこのタイミング?~三菱自動車の補償について~
6月17日に三菱自動車は、今回不正の発覚した軽自動車4車種につき、一台10万円の補償を発表しました。
その内訳は以下のとおりとのことです。
1 燃料代の差額
2 今後の車検時等に想定される税差額
3 ご迷惑をおかけしたお詫び
この報道を受けて、先の見通しが立ったとして前向きに評価する方も多いようです。
しかし私はむしろ「???」な気持ちです。
というのも、まずそもそも国交省による燃費再測定の結果がまだ公表されていないからです。
次に、上記補償の内訳に、車両時価額が減少した点について何ら含まれていない点も疑問です。
さらに、一律10万円とし、一応の誠意を見せているかのごとくですが、燃料代の差額だけで通常3万円程度の差は出そうとの見通しですから、お詫び代として本当に充分なのかも疑問です。
むしろ今回の報道は、三菱自動車側が、早期の事態収束のために急いで結論を出したものと思います。ちょうど今月24日には株主総会もありますので、どうしてもそれまでに補償の見通しを公表する必要があったのでしょう。
そして、車両代金の差額については、上記補償と引き換えに放棄することとなるでしょうから、消費者に対しても二者択一を迫るもので、本当に今回のような不祥事を起こした企業の責任の取り方として正しいのか、慎重に判断すべきと思います。
顔で選ぶ
弁護士を依頼する際に、最近では「顔で選ぶ」というケースもあるようです。
ネット情報が増え、弁護士会の発行する弁護士マップにも顔写真が掲載されるようになり、また一部の弁護士はTV等のマスコミにもよく出ています。
そのため、弁護士の顔も、昔に比べ、よく目にするようになってきたのでしょう。
弁護士を顔で選ぶというのは、顔が見えることで信用できそうかどうか、頼れそうかどうか、話しやすそうかどうかなどを感じ取るということだと思います。
逆に言うと、弁護士の顔が見えないと、その弁護士は選ばない方向に人間の心理は働くかもしれません。
よく、農家の顔写真の載っている野菜なんかが人気だったりしますが、あれと同じ心理かもしれませんね。
野菜も弁護士も、顔が見えた方が信用できる、といったところでしょうか。
おそまつな処理
こちらから書類を提出したのに、1か月近く何ら連絡もないし、書いた内容に対する処理がされた痕跡もない件がありました。
しびれを切らし、電話をすると、送った書類に対し、まだ何らの対応もされていなかったことが分かりました。
そこで、急ぎ対応をお願いしたところ「1週間くらいかかる」とのことでした。
そこから1週間、待ったのですが、連絡がなかったので、さらに数日待ってから再度、電話しました。
すると今後は、「対応するのに必要なメールを送信したと思ったら送信できていなかった。これから送信するのでそこからやはり1週間くらいかかる。」とのことでした。
。。。
もう呆れました。
送られてきた書類にきちんと目を通し、必要な処理を適切に実行する、ただそれだけのことなのに、何一つとしてまともに処理できておらず、怒る気力すらなくなりました。
医者に例える
弁護士の仕事を分かりやすく説明するとき、医者の仕事にたとえることがあります。
たとえば、
「弁護士にいつの時点で相談に行けばよいかわからない」と聞かれたら
「何か問題が起きたらすぐ相談に来てください。風邪でもケガでもすぐに病院に行った方が早く良くなりますよね?」と。
また、
「弁護士に依頼したら必ず勝てますか?」と聞かれたら
「勝てるかどうかはやってみないとわかりません。医者の手術もやったら必ず病気が治るという保障はないですよね?」と。
相談者の方からすると、弁護士への相談など人生で初めてのことが多くても、病院に行ったことのない方はほとんどいません。そして、弁護士と医者のいずれも、特殊な経験や技術に基づき人を助けるという意味で似ています。
なので、医者に例えるとよく理解しやすいと思います。
弁護士と医者はある意味、似ています。
心遣い
土曜日出勤で事務所に来ました。
朝から相談や打ち合わせの予定が詰まっているので、忙しい予定の一日です。事務員は休日なので弁護士自身であれもこれも対応する必要があります。
相談者の方が来る前に相談カードを用意してテーブルに置いておこうと思い、相談カードを置いてある場所を見ると、見当たりません。
「あれ?」
と思い、テーブルに目をやると、すでにカードとペンがテーブルに用意されていました。
昨日、事務員が土曜日の私の予定を確認し、事前に用意してくれていたようです。。。
ちょっとしたことなのですが、その少しの心遣いが嬉しく感じました。
「ありがとうございます。」
親しい人
ごく親しい人が自宅に遊びに来てくれました。
一日泊まり、ゆっくりといろいろ話をしました。
さっき別れましたが、親しい人との時間はとても貴重です。
次、いつ会えるか、また楽しみになりました。