悲惨な事件
相模原市の障害者施設で悲惨な事件が起きました。
「どうしてこんなことが起きたのか」
多くの人がそう思っていることだと思います。
私はちょうど昨日の午前には憲法の学習会で、小学生や保護者の方に向けて、
「日本には外国人や障害者、高齢者などいろいろ立場の人が生活している。みながお互いの立場を分かり合って生活することが個人を尊重するということだ。」
と話してきたところです。
また、夜には、障害者の方の裁判に関する会合に参加し、勝訴に向けての交流を深めてきたところです。
そんな中、どうしてこんなことが起きたのか。とても理解ができません。
しかし、私たちはこの度の事件を受け止め、自分たち1人1人の問題として考える必要があると感じています。
多くのお亡くなりの方々にご冥福をお祈り申し上げます。
おいしいキャッチコピー
車を運転していると様々な看板を目にします。
その中で、最近気になっている看板のキャッチコピーを二つ、ご紹介します。
一つ目は、
「しあわせになれる焼肉屋」
というキャッチコピーです。
妹尾にある牛長という焼肉屋さんのキャッチコピーです。
いいですね。もう「うちは○○が美味しい!」とか「△△がおススメ!」とかという味の話は完全に置いといて、
「食べたら幸せになれる」ことを売りにしているワケです。「幸せになれる」とまで豪語していますから美味しくないワケがなさそうです。
もう最近気になって仕方ないお店です。
二つ目は、これも焼肉屋さんで、
「あー!焼肉食べたい!左折スグ!」
というキャッチコピーです。
これは川入にある牛山というお店のキャッチコピーです。
これもこれでいいですね!やっぱり、具体的に何が美味しいとか、何がお勧めとか完全に無視して、
「とにかく焼肉!」という気分の人の胃袋を完全に鷲づかみです。看板見たらスグ左折してしまいそうです。
ということで、キャッチコピーというのも、そのお店のウリを真正面から謳うのもいいですが、少しヒネリを入れた方がかえって見る人の気持ちを引くようです。
ワタシは何歳?
私は誕生日が8月なんです。
来月でさらに一つ年齢を重ねることとなります。
ところで法律上の年齢の数え方なのですが、
「誕生日の前の日に増える」ことをご存じでしょうか。
例えば7月25日が誕生日の場合、法律上は7月24日に年齢が増えます。
その関係で問題となるが、4月1日生れの方です。↑のとおり、この場合、3月31日に年齢が増えるので、学年は3月31日の学年になるのです(2015年4月1日に6歳になる子は、2014年度の一年生として入学するのです。)。
実際の誕生日の前日に実は一つ歳をとっている、、、
この現実を突きつけられて、みなさんは「損した気分」でしょうか。
法律ってかなり細かいことまであれこれ決めているんです。
なぜか繁盛する店。
もう何年も前から、「どうしてこのお店は繁盛するのか?」がわからないお店があります。
通うたびに疑問で、通うたびにその答えを探すのですが、いまだに見つかりません。
立派な店構えで広い店内。県外にも進出し、すごいことです。
でも、どうしてここまで繁盛しているのかが分からないのです。
きっと、私には見つけられないようなお店独自の秘訣があるのでしょう。もしくは、私の知らない、気が付かない顧客ニーズをガッチリ掴んでいるのでしょう。
そのようなお店はきっといつまでも繁盛するのだと思いました。私も見習いたいのですが、いかんせん、そのお店が繁盛する秘訣が見つけられないので見習えないのです。。。
ウインクしない。
JAFが行ったアンケートの結果、右左折時にウインカーを出さない都道府県全国トップが岡山県との結果となりました。
ついで、香川県が二位で、どちらも私が日ごろから感じているとおりの結果です。
ウインカーは、他車に自車の動きを事前に知らせ、事故を未然に防止するためのものです(ちなみにウインカーという言葉は、ウインクという英語から派生した和製英語のようでして、英語ではブリンカーとかターンシグナルと言うのが正しいそうです。)。
で、そのウインクですが、これはまさに人と人とのコミュニケーションのために目をパチッとつぶるやつです。ウインクすることで言葉に出さずとも自分の意思を相手に伝えることができますね。
しかし、車でウインカーをしない人ということは、人同士でのコミュニケーションの時にはどうしているのでしょうか?「言わなくとも分かるだろう」で過ごしているようでしたら危険です。
ちなみに岡山地裁に赴任していたとある裁判官が、冒頭の件を踏まえて
「岡山の車はウインカーがオプションなんですよね?(だからウインカーのついていない車が多く、そのためウインカーを出さないで右左折する車が多い、という嫌味?ジョーク?)」
と言ったそうです。
。。。
こんな不名誉は早く払拭しましょう!
。。。
車も人も合図が大切です。適切に合図を交わすことで無用な事故やトラブルが防げます。積極的に「ウインク」をする生活を意識したいと思います。
自民党の憲法改正草案を叩き台にしてはイケナイ理由
自民党は、平成24年4月に「日本国憲法改正草案」を発表しています。
この草案が発表されてから、すでに4年が経ちますが、最近では自民党の議員は
「自民党の改正草案はあくまで議論の叩き台であり、憲法審査会において国民の意見も踏まえつつ、自由に議論していけばよい。議論のためには野党からもぜひ対案を出して頂きたい。」
と述べるようになっています。
一見すると、①自民党は自身の改正草案にさほどこだわりがないかのごとくであり、また、②対案を出さない野党は意固地で国民や国のことを考えない悪いヤツかのごとく言い分です。
しかし、そもそもこの自民党の改正草案は憲法改正の「叩き台」にするにはあまりにも内容がお粗末かつ危険です。
というも、改正草案は、国民の自由を過度に規制し、国民の多数が改正を要望していない9条の改正を内容とし、国家に強大な権力を集中させるものであり、近代憲法の基本をすべて覆すものだからです。
こんなお粗末かつ危険な「叩き台」などいくら叩いたところでろくな物に仕上がりません。
このようなお粗末かつ危険な改正草案になったのは、憲法の基本のキすら知らず、知ろうともせずに作ったのですからある意味当然かもしれません。
料理に例えると、和食のイロハもまったく知らずに、自分の好きな食材だけ買ってきてむちゃくちゃに料理をし、「さあこれをベースにもっと美味しく仕上げてみなさい。」と要求するようなものです。
こんなことをされてはどんなに腕のよい料理人でもお手上げです。
だから、繰り返し言いますが、
「自民党の憲法改正草案は、今後の憲法改正の議論の叩き台にしてはいけません。」
野党が対案を出さないことが悪いことのような指摘については、そもそも憲法改正の要否の議論をすっ飛ばすからこうなるのです。
議論の順序としては、
①現行憲法の改正の要否の議論
②必要だとして、どの規定をどう変えるのかの議論
となります。
自民党は、①の議論をすっ飛ばし、②について議論するのでもはや誤導も甚だしいです。野党が対案を出さないのはそもそも①の点で、「改正必要なし」と考えているからです。このことは、国民の世論調査でも明らかで、改正必要なしが多数を占めています。
安倍首相は、この度の選挙でも「アベノミクスでいくのか、否か」と勝手に議論の土台設定をし、二者択一を国民に迫りましたがこのような手法はヒトラーの大衆扇動の手法に同じです。ヒトラーは、「悪いのはユダヤ人である。」と決め付け、それに伸るか反るかを国民に選択させたのです。
このような時期だからこそ、国民にとって大切な憲法の問題を立ち止まってよく考える必要があると思います。
「できない」から「がんばる」
人は、「できない」からこそ「がんばって」できるようになる。
そういう側面があると思います。
なんでも最初から「できる」のもいいけれど、「できない」という過程を乗り越えていく、その努力が人を成長させるのだと思います。
サッカーの本田選手ですら、「自分は下手クソだと思う。だから失敗した理由を徹底的に考えて、次はうまくいくよう工夫する。」と言っています。
傍目には、天才で、最初からサッカーがうまかったように見えてしまいますが、そうではないと本人は自覚しているのです。
だから、「できない」ことは何にも悪いことではありません。問題なのは、「できない」といってすぐにあきらめることであり、大切なのは「できるようになるまで努力すること」です。
私も「できない」ことだらけですが、諦めずに頑張ろうと思うようにしています。
「分かりやすさ」の大切さ
法律相談でも、日々の自分の考えでも、事務所の相談料でも、なんでもそうですが、「分かりやすさ」を心がけています。
複雑な問題を、複雑な料金体系を、日々の自分の考えを、いかに分かりやすく伝えるか、表現するかを意識して工夫するのです。
いくら自分が正しい知識を持っていても、それが相手に伝わらなければ意味がありません。
たまに講演の依頼を受けますが、その時にも「分かりやすさ」をとにかく心がけます。その結果、感想で「分かりやすかった」と頂いた時には本当に嬉しいものです。
世の中、政治でも経済でも、お笑いでもドラマでも、どんな分野でも「分かりやすさ」は大切だと思います。
でも、その「分かりやすさ」の背景には、しっかりとした理念、価値観、法律の知識があることが前提です。
政治についても同じで、「分かりやすい」スローガンやキャッチコピーだけでなく、それを支える本当の政治理念や価値観が本当は一番重要です。
表面的な分かりやすさに加え、中身についてもしっかりと追及できる弁護士を目指します。
むちゃくちゃ漕ぐ
自転車を猛烈な勢いで漕いでいる少年に遭遇しました。
もう、「全速力」を絵に描いたような漕ぎ方でした。余りにも勢いが凄すぎて、自転車も体も、右に左に大きく揺れていて、なんだかかえって無駄が多いように見えます。
隣を並走しているお友達らしき女の子は、普通に漕いでいたので、やはりこの少年の漕ぎ方は明らかに無駄です。
坂道に差し掛かっても勢いは変わりません。少年の漕ぐ勢いは落ちないのです。
きっと青春が彼を駆り立てるのでしょう。自転車を猛烈に漕ぐことで、無駄とはわかっていても何か、彼の中で消化するものがあるのだと思います。
少年の持て余したエネルギーを感じつつ、私は車でスーッと横を通り過ぎました。
自分にもこういう少年時代があったなーと思い、懐かしい気持ちでした。
オレはブラック
「ブラック〇〇」という言葉があります。
ブラック企業、ブラックジョーク、ブラックサンダー(チョコレート菓子)、ブラックの綿棒やブラックのティッシュペーパー、ブラックラーメンなどなど。
ブラック、黒というのは悪い、ダーティなイメージでとらえられがちです。
そのイメージに沿うようにして使う場合は「ブラック企業」のような使われ方です。
逆に、ブラックと銘打ちながら実は別にダーティでもなんでもないのが黒い綿棒やティシューなどです。これらはむしろ汚いものをキレイにするための用品であり、ダーティどころかクリーンな品物です。
クリーンと言えば白、ホワイトが多いところ、あえて黒を選び消費者にインパクトを与える作戦ですね。
さらに面白いと感じたのは、↑のブラックサンダーです。
これは黒いチョコレート菓子で流行っていますが、なんと先日、「白いブラックサンダー」なるものを見つけました。ホワイトチョコで作ったブラックサンダーなのです。ブラックサンダーだけどホワイト。黒いイメージのブラックサンダーの逆張りをした商品です。
話題作りに持ってこいですね。売れそうです。
他には、弁護士業界でもブラック弁護士、ブラック事務所などという言葉が使われ出しており、これはこれで困ったものです。依頼者を食い物にする悪しき事務所ですから黒というダーティさそのものの事務所なので。
ところで私はコーヒーをいつもブラックで飲みます。コーヒーの黒はダーティでもなんでもなく、炒ったコーヒー豆から抽出された色そのものです。
今朝はよくいく喫茶店でコーヒーを頼んだら、ミルクを付けず、ブラックで出してくれました。
「ブラックでよろしかったですね?」
そうです。覚えてくれたようです。
ブラックコーヒーで朝からクリーンな気持ちになりました。「ブラック」という言葉にも色々な意味がありますね。