講師と聴衆
時折、人前でお話しをさせてもらう機会があります。
多くは学習会や講演会です。
弁護士会の主催の会だったり、民間団体や公的機関からの依頼だったりします。
今日はこれから弁護士会の学習会の講師を担当しています。
聴衆はおそらく20~30人でしょうか。
今度の秋にはとある学校で講師の予定なのですが、その概要が今日届きました。
聴衆の数(予定)として約1000名とありました!!
いままで多くて300名程度だったと思います。それを大きく上回る数に、ちょっと驚きました。
人数が多いからといって緊張することもありませんが、「多くの聴衆に、どれくらい分かりやすく話をするか」はかなり工夫が要ります。
少ない場合には、その「目の前の人」だけを狙った話をすればよいのですが、人数が多くなると聴衆の反応を捉えるのが難しくなるからです。
なので、秋の講師までにいろいろ準備が必要になりそうです。
メダルの数
オリンピックが終わり、各国ごとのメダル獲得数やその分析などが新聞に掲載されていました。
今回、日本は大活躍で6位でしたね。
韓国は前より減って8位で、前回大会より減らしていますね。
アメリカはやはり強くて1位です。
中国も強いですね。
「人口が多い国はやはり強いのかな~?」
と思っていると日本より人口の少ない英国が2位です(日本の約半数の人口)。
たしかに、人口の多いインドなんかは実は銀×1、銅×1のみです。
へー。
国によってどれだけオリンピックに力を入れているかの違いでしょうか。
数字を見ていていろんな国への興味が沸きました。
「終わるまでする」ではなく「何時までに終わらせる」で行動する
仕事の〆切はいつも「その仕事が終わるまで」ではなく、必ず「何時までに終わらせる」で考えます。
そうしないと、自分の仕事の能率を上げる工夫をしなくなりますし、次々くる仕事を処理しきれないからです。
そう考え、いつも行動し、今も移動時間を使って9月の相談予定表をすべて更新しました。
加え、残り3分という中でこのブログを(簡単ですが)書いて、今日の仕事を「終わらせます」。
さて、そうすることで明日には明日朝いちばんから新しい仕事に取り掛かります。そうです。必ずリミットを設けて。
成長とは何か。
成長とは何か。ふと、夕食を食べながら考えました、
1 人の場合
人にとっての成長は、「できないことができるようになること」だと思います。
赤ちゃんは寝る、飲む、泣く、排せつするくらいしか最初はできませんが、徐々にハイハイする、食べる、笑うということができるようになり、大きくなっていきます。
大人の場合でも、昨日できなかった仕事が今日はできるようになった、という意味で成長といえます。
このような意味で、人の場合の「成長」は分かりやすいです。
2 会社の場合
では、会社の場合はどうでしょうか。人の場合と同じように、「できないことができるようになったら」成長というのでしょうか。
この点をしばらく考えてみたのですが、どうもしっくりきません。
例えば飲食店を経営する会社の場合、提供するメニューがあり、店舗があり、従業員がいると。そこでは、日々、できることが増えるかどうか、何とも評価し難い側面があります。
「新しいメニューを提供できるようになったら」成長といえるか、といえばそう言えそうな気もしますし、ちょっと違う気もします。
では、「以前より売上が増えたら」成長なのでしょうか?
経済活動のために存在する会社としては、至上命題ではありますが、売上だけを「成長」の指標としてよいのか、何となく私には迷いがあります。
まだはっきりした答えに至ってはいませんが、現時点では、「社会に貢献できることが増えたら」成長と言ってもよいのではないか?と考えました。
要するに、営利を目的とする会社といえども、社会の一員であることに変わりはないから、決して利潤のみを求めるのではなく、社会貢献を実現できて、その量と質を高めて初めて「成長」と評価する、ということです。
3 国の場合
では、国の場合はどうでしょうか。
人口の増加を持って「成長」というのは危険でしょうね。そんなことを言い出したら人口減少社会の日本は滅びゆく国かのうように感じてしまいます。
国のGDPで評価するのも違うと思います。
やはり、国の場合には、「どれだけの国民が幸福に過ごせるかどうか」で成長とみるべきと思います。
以前より、今の方が、「自分は幸福だ」と思っている国民総数が多い、そのことをもって国の成長、と評価するべきように思います。
当然、数値化などできないことですが、多くの国民の幸福を目指して国が動くべきことに間違いはないと思います。
4 まとめ
このように、ひとことで「成長」といっても、対象によってさまざまな「成長」があるように思います。
当然、私個人の今の考えでしかないので、なんとなくのつぶやき程度に受け止めてもらったらと思います。
みなさんは、「成長」をどう考えるのでしょうか。
再会
両親の事情により別居や離婚となり、その一方が子を監護、養育するケースが多々あります。
子を監護、養育していない立場の親としては、「一刻も早く会いたい。」「できるだけたくさん会えるようにしたい。」と強く願います。
しかし、不幸にも当事者間での面会の話し合いができない場合には、長期間に渡り、面会自体が実現しない=子と会えないケースがあります。
数か月から1年も我が子と会えないということもあるのです。
このような状況は、子にとってもあまりに不幸で、特に幼い子であればあるほど、親との愛着形成の機会を奪われることとなり、その子の人格形成にも悪影響です。
弁護士としては、子に早く会いたいと願う親の気持ちを汲んで、可能な限りの手段を尽くします。
それがうまくいき、久しぶりの再会となった時には、久しぶりの我が子との再会に涙する親の様子を見て、私自身も熱く込み上がるものを感じます。
みなさんも、もしお子様がいらっしゃる場合には想像してみてください。理不尽にも我が子とこの先1年間、まったく会えないという状況を。
豪雨
昨日から連続して突如の豪雨です。
お盆が過ぎて夏の終わりが近づいているのでしょうか、、、
今年は16日の今日から営業再開です。
新聞を眺めていたら、知人の会社の業績↑の情報を見かけたりして、ちょっとした刺激を受けました。
豪雨ではありますが、暑さは続くので引き続き夏バテしないよう、頑張ります。
思い通りにならない
自分の思ったとおりにならない。自分は絶対正しいのに、相手がそれを認めない。そのため、思ったとおりに話がまとまらない。
残念ながら、世の中ではそういうことが多々あります。
人はそれぞれ、自分の経験、価値観に基づき、行動します。
そのため、「同じ出来事を経験したはずなのに、互い認識や、言い分、評価が全く逆になる。」ことがあります。
典型的には交通事故の過失割合。
こちら;相手方=1:9と思っていても、相手に言わせると、
こちら;相手方=9:1。
それくらい、人の認識や価値観はバラバラです。
離婚についても同じです。
こちらは、「離婚の原因は相手のせい。」と思っていても、相手に言わせると、
「いやいや、あんたが原因。慰謝料ください。」と。
そんな争いごとを終わらせるための道具が「裁判」です。
お互いの言い分をきちんと聞いた上で、中立公平な裁判所が結論を出してくれる。
その際、自分の言い分をきちんと裁判所に伝えてもらい、有利な結論に導くために我々「弁護士」が存在します。
当事者間での話し合いが「思う通りにならない」時には、まずは弁護士へのご相談でしょうか。その上で、裁判の利用を検討するのがよいと思います。
自分の季節
夏が好きです。一年で一番。
夏生れだからでしょうか?
夏バテなんてしたことありません!暑くなればなるほど元気が出ます。
今年も夏本番といった感じで毎日ウキウキしながら働いています。
山に行ったり、海に行ったり、BBQしたりとそういう予定を立てたりしてとても楽しいですね。
あまりにも夏が好きなので、お盆が過ぎると逆にテンションは下降傾向です。もう夏が終わってしまう、、、そんな気持ちになるのです。
なので、今年も後悔しないよう、自分の季節を満喫しようと思っています。
勝つために必要なこと
裁判は民事であれば民事訴訟法がそのルールを詳細に取り決めています。
刑事であれば刑事訴訟法です。
いずれの裁判で勝つにもそれぞれの法律を熟知し、活用することが必要です。
その上で、これらの法律に違反しないように、しかし時には多少違反しつつも弁護士活動を行います。
この「時には多少違反しつつも」というのが実は大切です。
「弁護士なのに法律に違反してもよいのか?」
とおしかりを受けそうですが、あえて説明するならば
「サッカーにおいて、選手は詳細なルールに基づいてプレーをする。当然、違反の無いように務めるが、違反の有無の判断は非常に微妙な判断であるし、違反だとされてもそれだけで常に即退場となることばかりではない。レベルの高い選手ほど違反すれすれのプレーをするし、違反しているが主審が見逃してしまっていることもある。選手は主審がどう判断するかも含めてプレーをしている。」
ということです。
要するに、プレーの途中の違反の有無はそれだけで勝敗に直結しないということであり、違反が多くても最終的な得点が多いチームが勝利だ、ということです。
裁判においても、上記の各法律に違反スレスレ、時には違反していても、最終的に裁判官から勝訴判決をもらった方が「勝ち」なのです。
なので、法律はルールであり、守るべきであるが、あくまで訴訟の決着は判決で出る。その判決で依頼者に有利な結論をもぎ取るためには多少手荒なことも生じうる。
裁判とは戦いです。なので、勝ちがすべてであり、そのために必要なことを尽くすのが弁護士です。
熱い思い
熱い思いなくしてこの仕事はなし得ません。また、依頼者や当事者の熱い思いもとても重要です。
たしかに法律の世界の問題は、「法律や裁判例に基づく理論」がとても重要です。
しかし、その理論の前提として事件や事実があり、当事者がいます。
当事者は、当該事件を直に経験し、自分なりの思いを持っています。
そして、その思いが熱ければ熱いほど、周囲を動かし、相手方を動かし、最終的には裁判所をも動かします。
この度、法律やこれまでの裁判例や理屈によっては到底解決し得ないし、また相手方も頑なにこちらの希望する解決を拒否していた事件で、それでも屈しない当事者の思いが通じ、何とこちらの希望する内容での和解が成立することとなった案件があります。
やはり、法律の世界も「人」を前提としたものであり、その「人」がどのような思いで動くか、まったく予想もできない部分があります。
決して「理屈」だけで考えて結論を決めてしまわず、「思い」を大切に行動することも重要だと改めて感じました。