忖度~そんたく~
最近流行りの「忖度~そんたく~」についてです。
意味としては「他人の気持ちを推し量る」ということです。森友学園の問題で、「忖度があったかなかったか」みたいな報道が続いています。
実際に森友学園の問題で、「忖度」があったか否かは現時点では結局真相不明で、それこそ各関係者の気持ちを「忖度」する他ないのが実情です。
ところで、今回の報道を踏まえて久しぶりに「忖度」という言葉を使いましたが、実は弁護士の仕事では頻繁に「忖度」が行われています。
それは、依頼者の気持ち、本音を「忖度」しつつ主張や書面を作ったり、相手方の考えを「忖度」した上で和解案を提示したり、さらには裁判官の考えを「忖度」してその事件の行く末を見通してみたりするからです。
ある意味、毎日が「忖度に次ぐ忖度」といっても過言ではありません。
ですので、弁護士として一人前になるには、「忖度」する能力を伸ばすこともまた重要です。優秀な弁護士であればあるほど、「忖度上手」ともいえるでしょう。
違いの分かる人。
学校でテストがあると、
①「全然できなかった」と言いつつ、結構いい点数を取る人
②「そこそこできた」と言いつつ、そんなにいい点数でない人
に分かれます。
その理由は、
①の人は、テストで求められる答えや要求レベル、それに対して自分が具体的にどのように解答したかを冷静に客観的に把握できているからです。
すなわち、①の人は、ある問題において「A+BCD」が答えだとした場合、自分がその答えについてきちんと「A+BCD」という解答が出来たかどうかを客観的につかめているのです。
他方で②の人は、そもそもある問題の答えが「A+BCD」であると理解していなかったり、自分は実際には「A+BE」と答えていても「だいたい合っているから問題ない」と勝手に考えていることがあります。
しかしこれはあまりにも主観的過ぎて、客観的な正答とは離れるので、テストの点数は伸びません。
なので、テストの点数と、自分の予想した点数とが乖離している場合には、まだまだ「違いが分かっていない」ということなので、引き続き勉強が必要です。
得てして優秀な人は、物事の非情に細かい部分や概念、理屈などについても深く正確な知識を持っているものです。そのような知識があるからこそ、「全然できなかった」と言いつつ、良い点数を取るのです。
能力×24時間×〇〇年
「人の能力は千差万別だが、どんなに優秀な人間でも、一日の時間が24時間であることに変わりはない。」
「自分は決して優秀ではないが、自分より優秀な人間よりも早く、長く仕事に取り掛かる能力では負けない。」
「だから、24時間を懸命に働けば優秀な人間に勝ることも可能である。」
優秀な人が8時間働く間、優秀でなくても朝早くから、夜遅くまで懸命に働くことで優秀な人間を超える成果を挙げることも可能という話です。
この話には続きがあります。
「大した能力がなくても、一つの分野に長年懸命に取り組めば、いつの間にか第一人者になれる。そのころには誰も彼に追いつけない。」
なので、自分が優秀か否かを考える前にまずは行動し、研鑚し、最大の努力を重ねることです。そうすればきっと、いつか誰よりも前に立っていることでしょう。
大切なことは、自分の能力を過信せず、ひたすら一つのことに打ち込み、決して怠けないことだと思います。
目にはまつ毛
なぜか昔から目にまつ毛がよく入ります。
「なんか目が痛い!」
と思うとだいたいまつ毛が入っています。
酷い時には片目に2本入っていたり、両方の目に1本ずつ入っていたりします。
ご存じの方も多いと思いますが、どちらかというと私の目は細目かつ一重。。
まつ毛が特別長いワケでもない。。。
でも!
しょっちゅう↑のようなことが起きます。
本当にひどい時には寝ている最中にまつ毛が入ったりします。
どうして?ホワイ?
痛すぎて途中で起きてまつ毛を取り出したり、、、
いままで一番ひどかったのは、右目に入ったまつ毛を取ろうとしたらまつ毛の逆襲を受け、目にまつ毛が突き刺さった時です。
おかげで目が真っ赤に充血しましたとさ!
それにしても目もまつ毛もご近所同士なので仲良くしてもらいたいものです。
ストレス発散法
どんな人でも、普通に生活するだけでも、ストレスって溜まります。
そんなときに適切な発散法を持っているか否かで生活の質が異なるように思います。
そのストレス発散法についていろいろ考えてみましたが、おそらく答えは
「ストレスの原因をすべて吐き出すこと、そしてストレスの原因から遠ざかること」
だと思います。
日々溜め込んだストレスは何らかの方法で吐き出してしまうのがまず一番大切です。
たとえば人に聞いてもらうとか、ノートに書きだすとか。
次に、ストレスの原因から物理的、心理的に距離を置くことです。
たとえば、遠くに旅行に行くとか、マラソンなどの運動をすることで脳内からストレスの原因を遠ざけるとか(運動など夢中になれることをすると嫌なことを忘れられますよね)。ゆっくりと睡眠をとるとか、お風呂に入るとかもいいですね。
なので、ストレス発散のためには、自分の話を聞いてくれる人を見つけ、時には旅行や運動などをする時間をとることが大切だと思います。
もう続きはゴメン!
椎先日には続きが気になる夢を見たばかりだったのに、今朝はもう二度と見たくない嫌な夢を見ました。
。。。
1とある重要な裁判の期日のために遠方の裁判所に出向く。
2入り口付近の排水溝のスキマにスマホがキレイに落ちていく(完全水没)。
3泣く泣く玄関から入ろうとすると、いつの間にか履いていた靴が左右共に脱げている(スーツにハダシ)。
4スマホはあきらめたが、ハダシで法廷という訳にもいかず、近辺を探して回る
5裁判所の敷地で靴屋が革靴をたくさん売っていたので、「私の靴を知らないか?」と尋ねる。
6私の聞き方が靴屋を盗人扱いしたように思わせたせいで「あんたの靴なんて知るもんか!」と怒られる。
7再度、泣く泣く辺りを探すが見つからない。
8そうしているうちに今度は、重要な裁判の書類を一切持ってきていなかったことに気が付く。
9目が覚める!
。。。
本当に。。。
この夢の続きではきっと、「スーツにハダシの呉が裁判記録も持たずに誰にも連絡もできずに(スマホ故障中!)法廷で一人あたふたする。」という結末が展開されたことでしょう!
なーんにもおもしろくない夢ですね!あぁイヤだ。
夢の続き、、、
寝ている時に見ていた夢の続きが見たい、、、
たまにそんな時があります。
夢っていつも、やたら苦しんでいるものが多いのですが(高いところから落ちる夢とか、試験に落ちる夢とか、暴漢に襲われる夢とか、、、)、ごくたまにうれしい夢、楽しい夢を見ます。
先日は、現実世界では絶対に適わない内容の夢を見て、何とも言えない幸せな気持ちになりました。
でもそれはあくまで夢でした。夢で実現したあの出来事は現実世界ではありえないこと。
そうだとしたら、せめて夢で続きを見たいと願います。
せめての願いをかなえてくれるのが夢なのでしょうか??
それとも淡い希望を抱かせるだけなのでしょうか。。。
ノー反発
事務所開設時に購入した玄関マット。
低反発素材でできていて、靴を脱いで上がると、フワッと柔らかい感触がとても気持ち良いのです。イヤ、気持ち良かったのです。。。
おかげ様で開所から3年を過ぎ、たくさんの方々にご来所頂いています。
おかげ様で。おかげ様で。。。
ふと気が付いたら、低反発の玄関マットが、もはやまったく反発しないくらいペチャンコになっていました、、、
たくさんの方々を癒し続けてきた低反発玄関マットにそろそろ、別れを告げようと思います。
また何か皆様の癒しになるグッズを探し求めます。
思い出す!
あれこれいろいろ考えながら車で移動中、ちょうどとある用件をひとつ思い出し、
「そういえば!アレをこうしなくてはいけなかったんだ!早く事務員に指示しておこう!」
そう一人で決めました。
ただ、ちょうど12時も過ぎていてお昼休憩中だったし、自分もまったくもってお腹ペコペコだったため、お昼を食べてから伝えることにしたのです。
急ぎ、ギュギュっとお蕎麦屋さんに入り、ズルズルっとお蕎麦を頂きました。
お腹がパンパンになって車に戻ると、、、
さて?そういえばさっき後回しにしていた用件をスッカリ忘れてしまっています。
いくら思い出そうとしてもまったく無理で、結局、午後一杯、思い出せずにいました。
そうしたところ、夕方になって裁判所に来たら、、、
「そうだ!第三民事部に問い合わせの電話しなくてはいけなかったんだ!」と思い出すことができました。
で、自分の用件を思い出せた嬉しさの余り、電話ではなくもはやこの足で第三民事部に突撃して口頭で用件を伝えることとしました!
しかし、窓口を訪問し、用件を伝えたところ、こちらのテンションとは裏腹に、窓口の方からは冷静に「事件番号わかりますか~?」と言われ、私は思い付きで訪問しただけだったので「わかりませーん。」と答えました。
結局、「それでは出直してください~。」とのこととなり、ショボショボと立ち去ったのです。
一応、事務員にお願いし、用件は果たせましたが、それにしても忘れていたことを思い出した時のあの嬉しさは、なかなか他人には共有できないものですね。
目標を設定するのも自分、目標を乗り越えるのも自分。でもそこにはいつも支えがある。
人生日々、何か目標に向かって生きていくのか、そうではなく目標から逃げて生きていくのか。そもそも自分の人生に何らの目標設定すらしないのか。
目標を設定するのは自分しかいません。他人から設定された目標は本来あるべき目標設定とは異なるように、そう私は思います。
そして、設定した目標を達成するか否か、そのための努力をするか否かも自分しかいません。
仮に周囲で自分の目標達成のために協力してくれる人がいたとしても、それはあくまで「協力」に留まります。最終的には目標達成の場には自分しか立ちえません。
ただ、他人の「協力」なくして何事でも達成できることは稀で、世の中で偉大な目標にチャレンジし、それを達成している人にはいつも陰で大きな支えとなってくれている人がいます。
だからこそ、自分で立てた目標に向かって真っすぐ突き進み、それでも時には周囲の支えに頼りながら、人は目標を達成していくのだと思います。
私もまた、いつも自分で目標を立て、周りの力も借りながら達成目指して突き進んでいます。