静かな時間
3位
偶然、60代のお二人、70代のお二人と一緒に昼食をとる機会がありました。
あれこれ話をしながら食べていると、私より先に60代のお二人が完食されました。
内心、その食事の早さに驚きつつ、70代のお二人に目をやると、おひとりはもうすぐ完食という状況で、もうおひとりは、食べ始めに席を立つなどしたためまだ途中。
食べる速度と年齢は関係ないと思いつつも、自分の倍近くの年齢の方々の食事スピードに改めて驚きました。
そうこうしているうちに結局、私は3番目に完食しました。そしてそのすぐ後に70代のおひとりが完食しました。
いずれの方もみな元気な方々だったので、
「食べるのが早いから元気なのか、元気だから食べるのが早いのか。」
などなどあれこれ考えながら昼食を終えました。
「自分に出来ること」と「自分にしかできないこと」
仕事を進める上で、いつも頭の片隅に
「自分にできることだが、他人でもできること」
と
「自分にしかできず、他人にはできないこと」
を置いています。
そして、できるだけ後者(自分にしかできないこと)に力と時間を割くよう、意識しています。
自分にできるが、他人にもできることはできるだけ周囲の力を借りて、その人たちにお願いするのです。
そうすることで、自分の能力を存分に発揮でき、よりよい仕事、よりよい成果を得られるからです。
同時に、日々常に意識し、「自分にしかできないこと」を一つずつでも、少しずつでも増やせるよう努力しています。
何パーセント愛せるか?
「あなたは、恋人や、配偶者を何パーセント愛していますか??」
と、問われたらどう答えますか?
「100%、いや、120%愛してます!」
などと答える方も多いと思います。
特に交際間もない時や、新婚の時にはそうかもしれません。
とりわけ、上記の質問が、恋人や配偶者の目の前でされた時には余計にそう答えるかもしれません。
でも、冷静に考えると、100%とか120%とかといった愛情表現は疑問もあります。恋愛や結婚生活は、将来に渡り長く続く可能性のある関係です。何年も、何十年もあり得る関係について、簡単に100%とか120%とか言ってしまってよいのでしょうか?
仮に、将来のことは置いておいても、現在目の前の恋人や配偶者について、実際、私たちはどれだけのことを知っているのでしょうか?
「自分は相手のことをよく知っている。」
と思っていても、全部を知っていることはありえません。
なので、やはり恋人や配偶者には自分の知らない部分もある。その部分についてはひょっとして自分は好きではないかもしれない(そう言えばこないだケンカしたけどなんだかまだ納得できてないし、、、ということもあるでしょうし)。
また、将来において恋人や配偶者が今と変化していくこともある(加齢に伴う心身の変化は避けられません、、、また、考え方や価値観の変化もあり得ます。)。
そう考えるとやはり100%なんて答えはない。ましてや120%なんてもっての外!せいぜい、60%~80%くらい愛しています、と答えるべきではないか?
と思うに至りました。
また、そうでもしないと、仮に恋人や配偶者から見限られた時が辛すぎます。しかも、そもそも120%の愛とはなんでしょうか?
100%がマックスのはずで、これを超える愛となると、その超えた部分の20%は本当は他に向けるべき愛を振り替えているか(愛情の横流し)、将来にとっておくべき愛を先取りして使っている(愛情の前借り)ことになります。
そうすると、120%の愛は、今は良くても早晩破綻することは明らかですね。
なので、くれぐれも(自分のためにも、相手のためにも)
「俺はお前を120%愛してる!」
などと言うのはやめるべきです。
「私はあなたを60%~80%くらい愛しています。」
と口説かれたら、即、交際開始もしくは結婚されることをおススメします。
(でもこんな口説き方する人、聞いたことありませんね。。。)
サイズアップ
だいぶ涼しくなってきたので、長そでワイシャツを出しました。
体格が体格なので、ワイシャツは市販品だとサイズが合わず、やむなくオーダーメイドなのですが、久しぶりに着てみると、どうにも窮屈です。
久しぶりの長そでだからそう感じるのか?
それともシャツがアイロンで固くなっているのか?
そんなことを考えつつ、数日を長そでワイシャツで過ごしました。
が。
それでもやはり窮屈です。
どうにも窮屈過ぎるので、オーダーしたお店に駆け込みました。
改めて採寸してもらったら、
腕周り、胸周りなどいずれも去年より+3センチのサイズアップだったことがわかりました。
体重は変わっていないので、どうやら日頃の筋トレの効果で、去年の自分から成長していたことになります。
筋肉が付いたのはうれしいのですが、新しくシャツを注文し、それはそれでお金がかかりました。
うーん。体が大きいとお金がかかる。食べる、着る、住む。どれに関しても。。。
怪奇現象
今日は朝からずっと雨が降りました。
ところで、雨のときにはレインセンサー付きのワイパーが非常に便利です。
べた褒め
とある方からベッタベタのベータベタに褒められました。
それなりの年の大人なので、日々、人様から褒められること自体、ほぼありません。
そんな中、
「これでもか!これでもか!!」
とべた褒めし続けてくれました。
そこまで褒めるのはむしろ何かあるのではないか?
そう思ってしまいそうなくらいでしたが、その方のお人柄上、
「裏はない」
と確信できるのです。
だからこそ。そこまでべた褒めされて、本当に、照れくさい>嬉しい 気持ちでした。
なおかつ、その方は「テノール歌手?」と言わんばかりのいい声、大声の方なので、ベタ褒めの最中、ずっと、周りにもよーく聞こえていました。
なので、今日は、、、
①ベタ褒め
②大きな声
③裏がない
という三拍子揃った非の打ち所がない「べた褒め」を浴びました。
みなさんも、人を褒める時は①とにかく褒める、②大きな声で、③本心で、すると効果的ですよ。
EVの次は何か?
ここ最近、自動車のEV化のニュースがとてもふえています。
フランス、イギリスでは2040年までにどうのこうの。
ボルボは20〇〇年までになんとかかんとか。
中国も云々。
トヨタと日産も提携したとかどうとか。
あまりにもたくさんのニュースが続いていて正確な中身を理解するだけで大変です。
ところでこの自動車のEV化ですが、環境面では優れていることは明らかですが、他方で自動車関連企業の雇用が不安視されています。
EV車はエンジン車と比べて部品が圧倒的に少ないのが理由です。
エンジンは当然積んでいない。ガソリンタンクも要らない。複雑なトランスミッションもいらない。
ということでいらないモノだらけです。
逆にいうと、「EV化されても必要な部品」に関係している部品会社はまだまだ安心、といったところでしょうか。。。
でも、そのうちEVよりさらに進んだ「未来の車」ができる時代が来ると思います。
それはきっと「空飛ぶ車」ではないか?個人的にはそう予想しています。
そして、その未来の車が普及すると、いよいよ「タイヤ」がいらなくなります。
そしてそして、さらにその次の「未来の未来の車」では、きっともはやシートもハンドルも不要になると予想します。
すなわち、そのころには、「瞬間移動」の技術が完成し、もはや「車に乗ってハンドルを操作してあちこちに行く」という作業自体がなくなるのではないでしょうか?
冗談みたいな話ですが、いつかきっと実現すると、そう思います。
ちょっと安心?
最近流行のAIですが、いわゆる士業にも普及が進んでいます。
今日新聞を読んでいたら難関とされる士業の多くがAIに代替されかねないとの記事がありました。
そして、この記事ではAIによる代替可能性を士業ごとに数値化してました。
行政書士については93.1%、税理士については、92.5%代替可能性があるとのことです。
この数字だけを見るとほとんどの仕事がAIによって成り立ってしまうかのごとくです。
不安になって弁護士の代替可能性を見てみたら1.4%とありました。
進化論
進化論で有名なダーウィンが以下のような名言を残しています。
生き残る種とは、
最も強いものではない。
最も知的なものでもない。
それは、変化に最もよく
適応したものである。
すごく深い言葉だなぁと思います。
今も昔もそしてどんな分野でも、常に強者が勝ち残る訳では無い。スポーツでも企業でもその他どんな競争でも同じことがいえます。
自動車のみならずあらゆる工業製品やサービス、そして法律業界においても最近では人口減少の問題それからAIの問題が話題となっています。
私もこれから先法律業界が、 AIにとってかわられるのではないか、日々気にしています。
それでも自分がこの先もこの業界で仕事をしていく以上、生き残るための工夫が必要です。
この点、私はダーウィンにならってこれからも変化にもっともよく適応していこうと考えています。
そんな中、今日は新たに自分のパソコンに音声認識ソフトを導入してみました。
今日のこのブログも、音声認識ソフトを使って書いてみました。
今日初めて使うにしては予想以上に使い勝手は良いです。
今後、 AIも含めた先進技術を使いこなせる弁護士こそが、あらゆる変化に適応し続けることが出来るのかもしれません。