直感
おかげ様で弁護士人生、10年目を迎えております。
人から依頼を受け、人と相対する仕事ゆえに、これまで多くの人と接してきました。
しかも、トラブルを前提として、示談や訴訟をお受けするため、依頼者や、相手方と長期間に渡り接触するため、おのずと人の「深い」部分まで見てきました。
おかげで言葉にならない気持ちや、感情を推知する能力が身に付きました。
依頼者の方から
「そうそう。それが言いたかったんです!先生が文章にしてくれたとおりです!!」
と言ってもらえることも増えました。
また、全くの初見でも、お電話だけでもその方の気持ちや考え、行動様式などが「見える」ようにもなりました。
このような経験に基づき、時には「直感」を働かせることもできるようになりました。
そして、その「直感」は多くの場合的中します。
結局、人を抜きにできない仕事である以上、人の「心理」の探求がかかせません。これからも経験を重ね、「直感」を研ぎ澄ませ、「鋭い」弁護を心掛けます。
漢字の一
「漢字の『一』を、世界で一番上手に書けるのは誰なのか??」
昨日、一人でずっと考えてみました。
きっと、名だたる書道家の誰かが世界で一番上手に『一』を書くと思います。
でも、どの『一』が一番上手か、その判断を任された人はきっと、苦悩することと思います。
非常に単純な漢字なので、私も必死で『一』だけを練習すれば、世界で一番になれるでしょうか?
「世界一『一』選手権」みたいな大会とかは開催されていないのでしょうか?
そんなことを延々と、考えた休日でした。。。
気になったので今朝、事務所に来てからいろいろ検索したら
・世界で一番難しい漢字は何か?をまとめたが、当該漢字が難し過ぎて、漢字変換で表示されないためか、ノートに手書きして表示したサイトがある。
・漢字の『一』の書き順を説明したサイトがある。
ということが分かりました。
うーん。漢字。奥が深い。
いま読んでいる本
同時並行的に複数の本を読むことが多いですが、ちょうどいま読んでいる二つの本が「コンビニ」繋がりです。
1つは「コンビニ外国人」という本で、昨今、増えているコンビニでの外国人労働者ないし日本の外国人労働者の実情について書いた本です。
読むと、現在、大手コンビニでは全国で4万人もの外国人が働いているとのことです。
私も昔コンビニでバイトをしましたが、当時の私のバイト先では外国人従業員が多かったということはありませんでした。
それが今は時間帯によっては店員皆、外国人ということも増えてきているようです。
もう1つは「コンビニ人間」です。しばらく前に芥川賞を受賞し、話題になりましたが、読むことなく今日に至っていました。
しかし、毎日読む新聞のコラムで、著者の記事があり、とても面白かったので、著作も読んでみようと思った次第です。
まだほとんど中身を読み進めていませんが、楽しみにしています。
コンビニは、社会情勢や人間模様を反映しています。偶然にも、いずれの著作も「コンビニ〇〇」の〇〇の部分が、「人」についての言葉となっており、コンビニを通じて人間模様などが理解できる様が伝わります。
最近、そのようなコンビニを背景にした二つの本を読みながら、現在、過去、未来の日本の姿を考えています。
H←こんな形のアイツの取り扱い方。
衣類などを買った時にほぼ必ずついてくる、白くてHの形をしたあのプラスチックでできたタグを留めるアイツ!
タグが外れないためにどうしても必要なのだと思いますが、どうしてアイツは白いのか。
どうしてアイツは小さいのか。
せっかくルンルン気分で服を買っても、家に着いてからアイツに苦労させられます。
まず一つには小さいからそもそもハサミで切りづらい。場合によって、Hの橋渡し部分が短くて、ハサミを差し込むと服を傷つけそうな時があります。
つぎに、何とかHの橋渡し部分を挟みで切ったはいいけど、衣類側の⊥がどこにいったか、行方不明になることがしょっちゅうです。
Hのアイツを大量につくっている業者の方へ。。。
どうか、今度から色をもっと目立つようにしてください。
どうか、橋渡し部分をもっと長く、長くしてください。
そうしてくれたら私のイライラが少し、大分減ってくれるはずです。。。。
才能の作られ方
人はそれぞれがそれぞれの才能を持っています。
その才能は、生まれ持ってきた「素質」を前提に、その素質を伸ばすことのできる「環境」と、素質を伸ばす努力を続ける「集中力=継続する力」によっていくらでも可変します。
なので、人の才能を伸ばそうと思ったら、まずもってどの分野の「素質」があるかを見極めます。素質のないことについて、いくら「環境」を整えて「続けさせて」も絶対に伸びません。本人からすれば苦痛なだけです。
次に、その人がその分野を集中して突き詰め続けられる「集中力」の有無や程度を見極めます。いくらか「素質」が見込める分野であっても、本人が興味関心を持たず、「続けられない」ならやはり成長はありません。
最後に、「素質」と「集中力」が見込める分野について、適切な「環境」を整えてあげます。環境がなければ、どんなに得意な分野でもそもそも取り組みようがないし、どうせなら、より良い環境の方が良く伸びるからです。
特に指摘したいことは、世の中のトップクラスで活躍する人々は、分野を問わず誰でも「異常なまでの集中力=継続する力」を持っている点です。
スポーツ選手であれば、幼いころから長時間のトレーニングをこなしていますが、これを続けられること自体、物凄い集中力です。
画家であれば、一日中、絵を描き続けてもへっちゃらです。
発明家や研究者も同じです。成果が出るかどうかは別にして、毎日長時間、何年にも渡り研究を続けます。有名なエジソンも、ファーブルも一日中発明や研究に取り組んだに違いありません。
最近ブームの将棋でもそうですよね。一流棋士は一日中、棋譜を眺め、分析し続けます。
「継続は力なり」とか「好きこそものの上手なれ」と言いますが、これらはいずれも、「素質や環境はともかくとして、継続する集中力があればこそ、成長や成果が期待できる」ことを意味していると思います。
たしかに「素質」が高いに越したことはありませんが、それよりも何よりも、「自分はこれだったら夢中になっていつまでも取り組むことができる!」という分野を見つけることの方が重要だと思うのです。
その意味では、たとえば自分の子どもにあれこれ習い事をさせてみて、夢中になることを見極めてあげると良いと思います(逆に言うと子どもが夢中にならない習い事は意味がなく、単なる親の自己満足に過ぎない)。
ちなみに、私は、過去を振り返みると、迷路遊び(画用紙に延々と迷路を描き続ける)、レゴ、ファミコン、将棋、落語(の本を読む)、バイク、クラブ音楽、ボルダリング、車などなら延々と続けられてきたと思います。これらのことであれば飽きることなくいつでも、いつまでも、続けられてきました。そして、司法試験もそうです。10年かかりましたが、毎日、延々と勉強し続けてきて今があります。
反対に、サッカー(中学で断念)、ダンス(高校で流行ったので自分もやったがすぐ断念)、スノーボード(これも同級生と行ったし、ボードも買ったがいまはまったく)、ダイビング(ライセンスをとったきり)などいくつもいくつも続かなかったものがあります。
でも、いろいろ試したことによって、自分の適否が分かるので、これはこれで良かったのではないでしょうか。
いずれにしても、今後は、弁護士として延々と弁護士としての仕事を続ける気がしています。
売っているのは「時間」です
世の中に多く存在する商品や、サービスですが、見方を変えると、「時間を買っている」と表現することが可能です。
レストランでは、自分で食材の購入、下ごしらえ、調理、後片付けをしなくともお金を払うことで食事のみを楽しむことが可能です。これはまさに自分でやる代わりに人にやってもらう、という意味で「時間を買っている」と言えます。
また、シェフのこれまでの経験、修行という時間の上に食事が提供されるので、このような意味での「時間」を買っているとも言えます。
タクシーなどの交通機関も同じです。移動のためには徒歩でも良いところ、お金を払うことで早く目的地に到着できます。その差の時間を「買っている」といえます。
同時に、タクシードライバーの経験という時間も「買っている」と言えます。
最近、普及著しいオンラインショッピングも、忙しくて買い物に行く時間を「買っている」と言えます。まさに多忙な現代人にはピッタリの商売だったことから、ここまで普及したと言えそうです。
宝飾品などの「ブランド」では、創業○○年と謳い、宣伝していることもありますが、これなどまさに「時間」がブランド価値を作り上げている代表です。長年積み上げてきた信頼と実績のある「ブランド」だからこそ高値で人は買うのです。
さて、弁護士の場合はどうでしょうか。
裁判や調停、示談交渉はいずれも当事者本人が自ら行うことも可能です。
ただし、自己に有利な結論を得ようと思うと、専門的知識や経験が要ります。日中仕事で忙しい人は自ら調停や裁判に行く時間も惜しいでしょうから、その場合には弁護士に行ってもらった方が得かもしれません。そして、弁護士になるには長年の勉強期間や研修期間を要します。さらに、弁護士になってからの経験は、事案の解決のために非常に重要な意味を持ちます。
なので、やはりいろいろな目で見ても弁護士に依頼することも「時間を買っている」と言えそうです。
弁護士になるまでの勉強という時間、研修期間の時間、弁護士になった後の経験という時間。さらに、自分の代わりに相手方と交渉したり、文献調査や現地調査に行く時間、裁判に出頭する時間。
あらゆるサービスや商品を「時間」という尺度で分析してみるとまた違う物の見方ができるといえます。
目が覚めない
朝型タイプのこの私ですが、今日はどうにも目が覚めません。
というのも昨夕、髪を切りに行った際、
「新しい炭酸シャンプーやりますか?血行が良くなったりしていいですよ。これをやるとよく眠れるって方も多いんです!」
と勧められ、試したのです。
たしかに頭がスッキリサッパリ。
帰宅後は、いつもの時間に横になりました。
すぐに寝つき、朝までグッスリ。
でも。余りにも効き過ぎたのか、まだ眠いのです。
きっと炭酸シャンプーで血行が良くなり過ぎているのでしょう。
もう朝9時をとっくに過ぎていますが、眠気満点でブログを書いています。
何かの方法で頭皮の血行を悪くしないことにはいつまでも眠いままなのでしょうか???
それにしても本当に良く効きます。
目標を立てずに結果は出ない?
何事を成し遂げるにも、「目標」と「プロセス」が大切です。
何かしら成し遂げたい、乗り越えたい目標を設定し、その目標達成に必要なプロセスを積み上げます。
そのプロセスをひとつひとつクリアしていくと、いつかきっと目標を達成できます。
なので、何かを実現したければ、まずは「目標設定」です。
そして次に「プロセスの構築」です。
その際、大切なのは、目標は漠然曖昧ではダメで、とにかく個別具体的かつ明瞭である必要があります。
「いつかお金持ちになりたい!」
では明らかに駄目です。
仮にお金持ちになりたいなら
「20年後に貯金1億貯める!」
とかでないといけません。
このような明確な目標を立てたら次はプロセスです。プロセスについてもやはり細かければ細かいほど良いです。
↑の例でいけば、20年で1億ですから、
100,000,000円÷20年=5,000,000円/年
5,000,000円÷12月=416,666円/月
416,666円÷30日=13,888円/日
という細分化したプロセスを組みます。
そして、こうして立てた目標とそのプロセスを一度冷静に検証します。
↑の例では、毎日13,888円も貯金しなくてはならないので、実現可能性に疑問が生じます。
そこで、当初の目標を再設定し、併せてプロセスも組み直すのです。
この作業を繰り返すと、いつか自分にちょうど良い目標とプロセスが見つかるので後は実行です。
大切なことは、とても大きい目標に見えたものも、プロセスを組み立てる過程で案外と小さなことの積み重ねと気が付けるという点です。
やはり、どんな偉大な成果も、小さな努力の積み重ねでしかないということだと思います。
ちなみに、タイトルでは「目標を立てずに結果は出ない?」と?マークを付しました。これは、目標を立てずとも世の中には結果が出ることもある、という意味合いです。
↑の例だと、別に1億欲しいと思っていなかったが、たまたま宝くじが当たったという場合です。そこには何ら明確な目標も、細分化されたプロセスもありませんが、1億という結果が生じています。
ただ、これは単なる偶然でしかありませんから、その結果について、特段、人に自慢できることでもありません。
言いたいことは、素晴らしい成果を挙げている人は常に見えない努力を積み重ねているということです。
相通じる
以前から、とある作家のコラムがとても面白くて、いつも楽しみに読んでいました。
物事の捉え方や、人物評価、深層心理の分析の仕方がとてもユニークで、何となく私自身の感覚にも似たものを感じていました。
あまりにも気になったので、ふとその人の名前でググってみたところ、偶然にも私と生年月日が1日違いでした。
ただそれだけのことですが、何か相通じるものを感じました。
でも、同時に「そういえば自分とまったく生年月日が同じアイツがいたな。」と、とある人物を思い出しました。その方も有名人なのですが、自分とは方向性も違う人だったので、やはり生年月日だけでは何とも言えないですね。
自動運転車は道を譲ってくれるか?
近い将来、普通に自動運転車が街中を走行するようになる、と言われています。
各地で各社がその研究や実験に力を注いでいます。
そんな自動運転ですが、個人的には「自動運転車は道を譲ってくれるのか?」
という疑問があります。
自動運転車は、道路状況や交通規則、通行人などをカメラやレーダーで探知して走行します(詳しく調べた訳ではありませんが、たぶんそういう仕組みでしょう。)。なので、それらの条件が自車の走行に支障があるかないかのみを判断しているはずです。
そうすると、自車が走行可能な状況で、あえて他車に走行を「譲る」ようなことはプログラムされていないのではないかと思います。仮にそのようなプログラムをしようと思うと、かなり「人間的」なプログラムであり、困難を極めるのではないでしょうか。そのようなプログラムを組めたとしても、どうやって、他車に自動運転車側の「道を譲る」という意思を伝えるかも問題です。
そのため、私の予想では、今後、自動運転車が街中を普通に走行するようになっても、(当面の間は)他車を譲ることはないと思います。
ですから、自動運転車が街中を走行していると分かった際には、「譲ってくれない」ものとして自分は運転した方がよさそうな気がします。普通の車両であれば(暗黙のルールで)当然に譲ってくれるような箇所でも要注意です。
変わって、もう一つの疑問は、「自動運転車に道を譲ったらどうなるか?」です。
道を譲る際にはアイコンタクトやパッシング、クラクションをちょっと鳴らす、手を上げるなどして相手車両に「譲る意思」を伝えます。
しかし、自動運転車にいくら目くばせしてもきっと伝わりません(たぶん)。なので、相手方が自動運転車だと思ったら譲るのは止めましょう。無意味です(おそらく)。
そんな疑問をあれこれ一人で考えていたところ、一昨日にはGoogleの自動運転車が、「他車が譲ってくれる」と判断したが、違ったために事故を起こしたケースがあることを知りました。
どうやら、Googleの自動運転車では、上記のようないわゆる「運転に必要な形式的判断」以外にも、「他車が道を譲るかどうかなどの実質的判断」もしていたようなのです。
うーん。驚きです。
この調子だと私の予想するよりも格段に「質の高い」自動運転車が実現するかもしれません。
でも、個人的には自動運転車が走行する際には、車両に「自動運転車走行中」と分かるステッカーか、点滅表示をして欲しいです。
さらに、自動運転車であっても、運転席にはマネキンのような人形を置くことをルール化し、そのマネキンがアイコンタクトで道を譲ってくれたり、手を上げて道を譲ったことの謝意を示してくれるといいなぁと思っています。
(マネキンが自動運転車を「運転」していたりアイコンタクトしている様子は、想像してみるとちょっと笑えますね。)