迷う
日々生活をしていると、あらゆることで人はなにかを決断しています。
起きる時間、食べるもの、着る服、コンビニでのちょっとした買い物、仕事中のあれこれの選択。。。
一日のうちで無数のことを人は自ら決断しているのです。
そのような決断の際に、「すぐに決められる」かどうか、人それぞれですし、決断の対象によっても様々だと思います。
時にはいくら考えても、「どっちにしようか決められないこと」があると思います。
たとえば欲しい服があったとして、こっちにしようか、あっちにしようか、この色にしようか、あの色にしようか、それとも思い切って両方買おうか、、、
と迷うことはしょっちゅうです。
では、どうして人はこうも多くの事を迷うのでしょうか?
迷いなく決断をする人を見ていると、なんだかスカッとする気持ちになったりして、逆に決断できずいつまでも迷っている自分が嫌になったりもします。
いろいろ考えましたが、迷いの原因は「自分の決断に対する自身のなさ」にあると思います。
なので、迷いなく決断を出す人は、決断に対する自身があるのだと思うのです。当然、決断の前提となる情報をしっかりと持っているのでしょうし、決断の結果に対して十分に責任を取れるのだと思います。
さきほどの服の買い物の例で説明すると、結局、この色かあの色かで迷う場合、そもそも自分の本当に好きな色、欲しい色が決まっていない点に問題があるのでしょう。また、どの色が欲しいか判断がつかないのであれば、自分の身銭で両方買ってしまうという方法がありますが、そのような決断をする責任(=経済的負担)をとる自身がないのでしょう。
なので、何事においても、迷いなく決断をとるためには、まずは自分の考え、好み、希望を明確にしブレないようにすること、次にブレた場合でも自分で責任をとる覚悟を持つことだと思います。
その意味では、「迷うこと」=「自分と向き合うこと」だと思います。
ライバル
あなたにはいま、「ライバル」はいますか?
子どものころには、誰でも身近にライバルがいたはずなのに、大人になると案外、ライバルが少なくなる気がします。
子どものころなら、親、兄弟、いとこ、同級生など誰でも彼でもライバルだった気がします。
すぐにケンカして、取り合いし、競争し、負けては泣いていましたよね。
でも大人になると、そこまでライバルだらけではなくなる気がします。
当然、会社であれば、同期や部下がライバルになることもあると思います。それでも子どものころほど、「ライバルだらけ」ではないはずです。
理由は良く分かりませんが、大人になるときっと、自分の価値や立ち位置を理解し、他人とうまくやり合う能力が身に着くためかと思っています。
これが良いことかどうかはわかりませんが、それでもライバルはいないよりいた方が良いと思います。
なぜなら、その方が、切磋琢磨し、自分をより高めていけるからです。
なので、大人のみなさんも、身近な「あの人」「この人」を勝手にライバルとして見て、自分の中で競争していくと良いと思います。
好きな人が好きな物
自分の好きな人が好きな物は、自分も好きか?
その答えはきっと、「自分も好きな物もあるし、そうでないものもある。」だと思います。
自分が好きな人の好きな物なので、元々自分は好きでもなんでもなかったけど、徐々に好きになることもあるでしょうし、自分の好きな人が好きなものでも、いくら時間が経っても好きになれず、むしろ嫌いなものもあると思います。
前者のケースでは、自分がまさに自分の好きな人の影響を受けていること、その影響のため自分の幅が広がったことを意味するので、極めてポジティブですね。
後者のケースでは、自分の好きな人が好きなものでも自分はどうしても好きになれない感情が続き、場合によっては自分と自分の好きな人との間における距離や軋轢の原因ともなりかねません。
典型的には、「嫁、姑問題」でしょうか。
自分の好きな夫は、その母親(お姑さん)にベッタリだけど、自分はどうしてもお姑さんを好きになれない。そのため、夫とも距離ができてしまう(場合によっては離婚問題に、、、)。
そんなこんなで、自分が好きな人が好きな物は「全部好き」となると本当は一番良いかもしれませんが、なかなかそうはいかず、人間の好みや心理の複雑さを感じます。
意外と足りてる。
「野菜は一日400グラムとった方がよい」とどこかで読みました。
なるほどそうか。と思ったのですが、
「野菜400グラム」
がどれくらいか、イメージがわきません。。。
結果、よくわからないけどとりあえず野菜をたくさん食べています。
それでもやっぱり「400グラム」が気になっていました。
そうしたところ、先日入ったラーメン屋さんで食べたラーメンに、たくさん野菜が載っていたので聞いてみたのです。
「これって野菜、何グラムですか??」
自分の予想では、「せいぜい80グラムくらいでは?」と高をくくっていたのです。
しかし、店員さんの答えは
「200グラム」とのことでした。
正直驚きました。だって、200グラムって一日の半分です!このラーメン2杯食べたら一日はもう野菜OKですし!(明らかに糖質、脂質、塩分過多ですけど、、、)
驚きの野菜量に圧倒されて、お店を後にしました。
*いま調べてみたら、キャベツひと玉の可食部は約800グラムで、玉ねぎ1個(小)の可食部が150グラムとありました。なので、今後は、「一日でキャベツ半分もしくは玉ねぎ2~3個食べたら十分!」と思うことにします。
極端
極端な天気が続いています。
毎日のように猛暑、熱中症に関する報道が続いています。
お茶をいくら飲んでも足りません。
どうしてこんなに暑いのでしょうか。
しかし、思い出してみると昨年の夏は、東京では雨ばかりの夏でした(8月のうち20日も雨が降った。)。
中国地方では、今年の梅雨明け直前に例の大豪雨でした。
本当に極端な天気が続いています。今後もきっと続くのだと思います。
私たちは、このような「極端な天気」が「普通」であると受け止めた上で、その「極端な天気」にどう向き合うかが問われているようです。
色は色々
密かな楽しみ!
みなさんは、「自分だけの密かな楽しみ」をお持ちですか?
お持ちだとしたらいくつぐらいありますか?
人がひとらしく生きるためには「衣・食・住」だけではなく、「楽しみ」が必要です。その「楽しみ」こそが健康で、文化的な生活を成り立たせるのです。
音楽鑑賞、読書、映画、ジョギング、水泳、お酒、タバコ、スイーツ、カラオケ、、、
人それぞれ、その人なりの「楽しみ」が大切だと思います。
最近では、スマホが大変普及しているので、スマホで自分なりの「楽しみ」を実行している方も多いと思います。
時折、当ブログを「楽しみ」にしてくださっていると言ってくださる方もいて、私にとっては、そのような声を聞くことが「密かな楽しみ」です。そのような声を聞けた時には、元気が出ます。その意味では、人が元気に過ごすには「衣・食・住」だけでは不十分なのだとも思います。
この度の大災害では、そもそも「衣・食・住」自体が大崩壊してしまいました。そのため、「個人の『楽しみ』なんて言っていられない!」という声もあると思います。
しかし、復興には大変な労力も時間もかかります。乗り越えていくには、小さくてもいいから「楽しみ」がいると思います。芸能人が復興現場を訪れるのはそのような効果をもたらします。とても素晴らしいことだと思います。
そうして一人一人が「楽しみ」を見つけ、少しでも元気に復興に向かっていければ一番良いのではないかと思っています。
ひょっとしたら、災害に遭われた方がこのブログを「楽しみ」にしているかもしれないと思い、綴りました。。。
この人なら!
誰でも、「この人が言うことなら信じる!」「この人のやることなら任せて大丈夫!」と思ってその人のことを信用して任せるなどした経験があると思います。
逆に、「この人の言うことは信じられない。」「この人のやることは任せられない」という経験もあると思います。
このように、その人の言うことややることの本当の中身は別に、その信用性を判断することは、その人の地位や身分、外見や日ごろの言動などからもたらされるもので、「ハロー効果」と言われます。
要するに、その人の言うことややることが本当に信じられるかどうか、任せられるかどうかの判断に際して、その人の地位などが極めて大きな影響を与えているということです。
よく知られる話としては「オオカミ少年」ですね。嘘ばかりついていたら、本当にオオカミが来た時に誰も信じてくれなかったというものです。
他にも、自分が好意を寄せている人に対しては、その人の発言を信用し、その人の行動を善意的に解釈しがちです。自分が好意を持っている人であるため、「この人の言っていることは正しい」とか「この人は良いことをする」と判断する方向に作用するのです。
そして、ハロー効果が行き過ぎると、実際には嘘をついていてもその人を信用してしまったり、その人の行動を過剰に美化したりしてしまいます。詐欺師はこのような行動認知を悪用し、悪さを働きます。
このように、人の行動認知においては、ハロー効果が大きな影響を持つので、自分の発言や行動について、周囲から「信用」してもらおうと思った場合には、単に「言っていることが本当に正しい」とか「やっていることが本当に正しい」という問題とは別に、「この人の言うことは正しいに違いない」とか「この人のやることなら任せて問題ない」と思ってもらえるような工夫や努力が重要です。
「人は見た目が9割」という本もヒットしましたが、これもそのようなハロー効果の重要性を念頭に置いていると思います。
また、今回の西日本豪雨では、避難指示が多数でましたが、なかなか実際の非難行動につながらなかったという問題があります。これは今後、改めて検討が必要な重要な問題ですが、(今回の豪雨に限らず、それ以前の大雨の際にも)避難指示が多数出過ぎていて人々が、オオカミ少年を信用しなくなったのと同じ心理状況に置かれたともいえます。
人の発言や行動の真偽を判断する際には、自分が「ハロー効果」の影響を受け過ぎていないか、慎重に考えるクセを持つと良いと思います。
自分に出来ること
自分に一体何ができるか。
今回のような大規模災害があると特にそういうことを考えます。
しかし、あれこれ考えてみても思ったより、大したことはできないと気が付きます。
ただ、それではあまりにも虚しすぎるため、「何かできることはないか」と改めて考えます。
そうしてあれこれ考えてみて出た結論は、「自分は自分らしく、自分の能力で出来ることを淡々と取り組む。」ということです。
人は、自然に対してとても小さな存在でしかありません。
だけど、だからこそ、小さな力でもコツコツと重ねるしかないのだと思います。
多くの被害を目の当たりにして、できることを尽くして行きたいと思います。
想像力
とても便利なスマホですが、最近なんだかスマホのせいで人がおかしくなっている気がします。
スマホは電話、メール、ネット、音楽や動画など何でもできる便利グッズですが、あまりにも夢中になり過ぎな気がするのです。
歩きスマホは、人や自転車とぶつかる恐れがあり、当然駄目です。でも、本当に多いです。歩きスマホ。
動画の視聴は、イヤホンをするなど周囲に音が漏れないようにしませんか?どうして周りにも人がいることに気が付かなくなってしまったのでしょうか。
ネット予約もそうです。ポチっと予約したなら予約通りに行きましょう。予定の変更があったら必ず連絡すべきです。
各種匿名掲示板なんて、本当に酷いものです。昔はトイレの落書きが酷かったですが、今はネット上で書きたい放題です。書かれた本人のことをまったく考えていません。
このようなスマホやネットの状況ですが、たまに都心に出張に行くと、スマホの問題を余計に感じます。人が多く、ストレスも強いためか、非常にたくさんの人がスマホを大事に握りしめ、歩き、電車に揺られているのです。
世の中を便利にし、人を幸せにする道具たるスマホですが、みなさんはスマホでどう変わりましたか?スマホで幸せになれましたか?
スマホの影響で、自分の周りやスマホの先にいる人のことを考えられなくなってはいないでしょうか。。。
最近、そんなことを考えています。