歳を重ねる
人の時間が24時間平等です。当然、毎年1歳ずつ歳をとります。ただ、人それぞれ歳のとりかたはバラバラです。
時に「若い」と言われることがありますが、それでもやはりそれなりの歳になりました。
そこで、、、
自分で感じる『歳をとったな~』と思う瞬間。
➀早起きが(まったく)苦にならない
→5時6時は当たり前
②長時間寝られない
→10時間寝たらかえって腰が痛い
③世間で活躍する人々(政治家、有名人、会社経営者、学者等々)が自分より若い
→仕事で使う文献など、奥書を見ると自分より若い人が増えました。
④以前ほど飲まない、食べない
→いわゆる「二郎系ラーメン」を爆食いしていたころが懐かしい、、
⑤少し小難しい言葉が口を突いて出る
→「言質」とか「本位ではない」とか(対して難しくないか、、、)
一番はやはり③ですかね。世間的には、様々な業界で私より若くて大活躍している人がいる。
以前は、自分より歳の上の人が活躍している世の中、社会に自分も飛び込んでいくのだ!そういう人に追い付き追い越すんだ!と思っていましたが、その年齢層をいつの間にか超えたんですね。
年齢は超えたけど、その人達の背中を越えられたのかはわかりません。
さらに、私のことを見ている「若い人たち」が私のことをどう見ているかはもっとわかりません。
何らかの形で、越えたい存在と思われているとありがたいところです。
時間の大切さ
ここ最近、時間の大切さを痛感します。
どんな人でも、一日は24時間で同じです。でも、人それぞれ、時間の流れ方や使い方はバラバラです。
一日がゆっくり過ぎる人もいれば、慌ただしく過ぎる人もいるでしょう。
働いている人で計算すると、
➀労働時間8時間
②睡眠時間8時間
③その他(食事、排せつ、入浴、余暇等)8時間
がひとつの大雑把な目安でしょうか。
ある意味で労基法の定める一日8時間労働の合理性が理解できます。
その8時間の労働時間も、職種や立場などによって時間密度が異なると思います。うちの事務所であれば、一日8時間働くとすると、電話10ないし20件、FAX5ないし10通、郵便10通弱、来客数件がほぼ毎日のルーティンになっており、これらと別に様々な業務があります。
なので、時間密度は濃く、あれこれも同時並行で多数の業務をこなします。
当然、一日が過ぎるのがあっという間に感じます。
私自身は日に約12時間働いていますが、やはりあっという間です。相当工夫して業務に要する時間を圧縮していますが、それでも日々だいたい12時間労働です。
結果、↑の例のように示すと
➀労働時間12時間
②睡眠時間8時間
③その他4時間
です。
結構大問題です。しかも、通勤時間計1時間は①に入らず、③に入るので、実質は3時間です。3時間のうちで何をしているかというと、食事と入浴で1時間はいります。朝起きての身支度や家の掃除で1時間です。なので、残る1時間が物凄く貴重です。
毎日、「貴重な1時間」をいかに濃密に過ごすか、必死です。
*②の睡眠時間を6時間にすれば2時間の余裕が持てる、というご指摘もあり得ますが、それだと➀の12時間労働に耐えられません、、、(涙)
奥が深い。
実は良くある?こんな話。
①出された料理がおいしかったので、
「これ、美味しいね!」と褒めたら
「それ、買ったヤツ。」とのご回答。
以下、沈黙の食卓。。。
②後日、やはり出された料理がおいしかったので、
(先日のような失敗はしまいと思いつつ)
「この料理、買った総菜じゃないよね?」と事前に確認。
「それ、作ったヤツ。」とのご回答。
なので、すかさず
「これ、凄く美味しいヨ!料亭の味みたい!」と褒め尽くす。
すると、、、
「それ、料亭の人が書いた本の通りに作った。いつもと違って美味しいでしょ?!(怒)」
以下、箸の進み具合が遅くなる。。。
③もう余計なことは言うまいと、日々、何を出されても「黙って食う。」
すると、
「うんともすんとも言わないから作り甲斐がない。」
うーむ。
奥深き手料理。奥深き人の心理。
*食事の前に、総菜購入のレシートがそこらに落ちていないかできればチェックしましょう。
*料理本が置いてないかも要注意です。
ただの勘違い
慌てん坊なためか、時に勘違いを引き起こします。
➀朝起きたらどうにも体の節々が痛い。
「風邪か?はたまたインフルエンザか?」
そう思い込み、マスクをして一日過ごす。
しかし、どうにも風邪でもインフルエンザでもなさそう。。。
はて、どうしてか?と考えてみると、前日にクライミングをしたことを思い出すに至る。
どうやら「筋肉痛」だったようだ。
②事務職員が帰宅した(はずの)時間帯に事務所に一人戻る。
靴を脱いで上がろうとすると、背後から居室のドアがガチャガチャいう音がする!
泥棒か?はたまた居残り事務職員か??
と早合点し、同時に驚きの声を上げる。
「ギャー!」
振り返ると、自分が肩に掛けていたカバンが、背後のドアノブに引っかかっていた。
どうやらカバンが引っかかってガチャガチャ鳴っていたようだ。
日々、勘違いと共に生きています。
寝るのが一番
久しぶりに昼寝をしました。
朝起きて、なんだかまだ眠いなー、と思ったのと、午前中、特に用事もなかったので。
だいたい一時間くらい寝たと思うのですが、おかげで頭も体もスッキリしました。
自分ではそれなりに睡眠時間を確保していると思っていたし、その日ももともと8時間は寝ていたのに。
インフルエンザが流行しているので、その対策を見ても「しっかりとした睡眠」と必ず書いてあります。
やはり睡眠がいかに大事か、自分の身をもって痛感しました。
今度から積極的に昼寝を取り込もうと思いました。
向き不向き
人には向き不向きがあります。
道具や物にも向き不向きがあります。
今日は、自分で食器を洗ったのですが、洗剤をつけてゴシゴシしてもいつまでもヌルヌルした感じが落ちませんでした。
気がついたのですが、ハンドソープで洗っていました。
それで思い出したのですが、大分前に、自分で郵便を出そうとしたことがありました。頑張って宛先を書いて投函したのですが、後日、戻ってきました。
見たら、郵便番号と名前しか書いていませんでした。
人にも物にも向き不向きがあります。なので、食器洗いは食器用洗剤で。私には郵便物の発送をさせないでください。
*本当のハナシです。ちなみに、事務所では郵便は職員が適式に処理してくださっているので問題ありません。
目標達成?の予感。
先日宣言したとおり、1月中に今年の目標をこっそり立てた私です。
いくつかの目標を文書化し、年末に振り替えられるようにしてあります。
それとは別に、文書化していない目標もいくつかあります。
嬉しいことに早速、今月にはそのうちの一つが達成できそうです!
こうして日々、月々、目標に向かって進み、その結果として目標を達成できると何とも言えない充実感があります。
やはり目標を立てて過ごすって大切です。
新しいこと
いつもなにか新鮮な物、見たことない物、目新しいことが好きです。
昨年もいろいろ新しいことに挑戦しましたが、今年も引き続き挑戦します。
昨日もさっそく弁護士会作成の弁護士マップ(毎年発刊)に掲載予定の内容でまだ誰もチャレンジしていないことに挑戦してみました。
おかげで弁護士会の事務局の方にはご負担をおかけしてしまいましたが、だからといって遠慮は無用です。
先日のブログにも関連しますが、新しいことに挑戦するというのは自分の我を通すことであり、他人には負担若しくは迷惑かもしれません。
ですけど、世の中が変化していくにあたっては新しいことに挑戦する人を応援し、これを理解し、支える周囲の存在が重要です。その時に、「周りに迷惑だからチャレンジを止めよう」となってしまってはいつまで経っても世の中は変わりようがありません。
これも先日のブログで書きましたが、「周りに迷惑をかけないこと」を美徳とするのではなく、「世の中に役に立つこと」を美徳とする風潮が広がらないことには新しい世界はやってこないのです。
自分を大切にする
人は、自分と他人との相関関係で生きています。
これは生まれてから死ぬまで、ずっと続きます。
赤ちゃんはそれこそ、自分が生きるために必死で周囲(他人)に「自分」をアピールします。赤ちゃんの時はそれこそ、「自分」がすべてです。
少し大きくなると、親、友達、保育園や幼稚園の先生などという他人と自分の関係やバランスを意識するようになります。時には自分を強く押し出したり、他人の気持ちを汲んで我慢したり。
思春期には、「自分が何か」で大いに悩みます。他人との違いや他人にどう見られているかでコンプレックスを感じたりもします。そうして「自分」を確立します。
そのうち大人になると、今度は上司や同僚、部下、取引先や見知らぬ多くの他人を気にして過ごします。
場合によっては、他人を気にし過ぎて自分を見失います。
余りにも他人を気にし過ぎると疲れます。でも、自分を出すのも疲れるようです。
例えば、お店の列に割り込んだ人に注意をするのに躊躇する人が多いようです。本当は、ルール違反をしている他人を注意したい自分がいるが、当該他人に注意すること、反発されることを気にして控えてしまうのでしょう。
他にも、会社の飲み会などで、自分はもうそろそろ帰りたいけど、まだ終わる気配もないので我慢して付き合ったりもそうです。
でも、こういう形で自分を我慢するのは、自分を擬制にしているだけです。今の時代、そこまでして自分を擬制にすべきでしょうか?もっと一人ひとりが自分の気持ちや考えを素直に周囲に伝え、一人ひとりが充実した日々を過ごした方がきっと良い社会だと思います。
ちょっとしたことかもしれませんが、もっと一人ひとりが自分を大切にする、できる社会になったら良いと思います。
当然のことですが、私は決して、「一人ひとりがワガママを言えばよい」と言っている訳ではありません。
一人ひとりがきちんと自分の考えを他人に伝え、それが尊重されるべきということです。そうしないことには個性も尊重されませんし、少数者の意見も同調圧力の中で埋もれてしまうということです。
せっかち
相変わらずせっかちな自分です。
最近のせっかちストーリー×3をご紹介します。
☆せっかち①☆
クリーニング屋さんにクリーニングを出して、お金を払い、預けていたシャツを受け取る。
店員さんはせっせと今回預けたシャツの伝票を用意しているのに、もう用は済んだと思い、退店しようとする。。。
店員さんが慌てて伝票を差し出す。
→きちんと受け取るものは受け取って帰りましょう。
☆せっかち②☆
寝床に入り、就寝する。もう朝だ!と思い、時計を見るとまだ2時30分だった。。。
→以前にもありました。しっかり朝まで寝ましょう。体に良くありません。。。
☆せっかち③☆
お客さんがまだ事務所に来ておらず、相談室も空なのに、事件記録等を持ってノックして入る。当然、誰もいないので自分の席に戻る。。。
事務職員は、唖然とする。。。
→お客さんが来たのを確認してから打ち合わせに入りましょう。誰もいなければ打ち合わせしようがありません。
さあ、今年もあと11カ月しかありません!思い残しのないようにがんばりましょう!