旅は過程か、結果か
旅に出ると気持ちが解放され、非常にリフレッシュになります。
でも、あんまり遠い行先だと、行く前から長い移動時間が気になったりします。
かといって、せっかくリフレッシュのために旅に出るのですから、あんまり近いと盛り上がりませんし、あまり解放された感じにもなりません。
そう考えると、旅の道中は、決して単なる「移動」という意味だけでなく、私たちが
日常→非日常
にエスケープするための必要な作業なのだと思います。
時間に追われる日々の生活を離れ、ゆっくり時間をかけて旅に出ることが人にとっての最高の贅沢なのだと思います。
なので、このような過程を抜きにして、瞬時に目的地に着くことが出来ても(たとえば、超高速旅客機の実現や、どこでもドアのような装置など)、旅の楽しみは半減どころでない減少となると思います。
つい先日は、警察署から逃亡したまま自転車旅行をしていた被疑者がいました。
これはまさに、「時間をかけて日常(勾留中という身分)を脱し、非日常(自転車旅行者)という解放感」を満喫していたケースです。
当然、許されたことではありませんが、「犯人の逃走」というと、「偽名パスポートで飛行機で海外に高飛び」と思いがちですが、彼の中では「それでは日常からの解放感は薄い」とでも感じたのでしょうか。
時間をかけて非日常を満喫するという作戦に出ていたのでした。
とはいえ、非日常の解放感を味わうことは、日常を頑張っているからこそ許されるものだと思います。みなさんにも、頑張っている日常から解放されるために、ゆっくりと旅に出ることをお勧めします。
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