主観と客観
人はたいてい、自分の認識する「主観的事実」が「客観的にも正しい事実」と考えています。
そのような「主観的事実」について、他者から「それは客観的事実ではない」と批判されても容易に自分の考えを改めることはできません。
なぜなら、人間の脳が「主観的事実=客観的事実に違いない」と考えるようにできているからです。
このような脳の仕組みのために、交通事故の事故態様においても、離婚事件の夫婦ケンカの原因にしても双方の言い分は真っ向から対立します。
結果、お互いがお互いを非難し、責め立てることとなるのです。
こうなるとお互いの当事者同士での解決は不可能となるため、弁護士や裁判所と言った専門家や第三者機関が必要になるのです。
そして、裁判所では証拠に基づき確定できる事実をもって「客観的事実」とみなしています。これはあくまで神様の目で見た「真実」そのものではありません。あくまで、実在する「証拠」に基づき、裁判所が認定した「客観的事実」でしかありません。
その意味では裁判所の認定する「客観的事実」ですら、過去に起きた本当の「真実」そのものでないことが多々あります。
それでも、専門家の関与の下、中立公正な裁判所が証拠に基づき認定した事実である以上、その事実をもって争いを収束させよう、というのが我々近現代の人間の考えた紛争解決のための英知なのです。
なので、①人間の主観的事実と客観的事実には簡単に誤りが入り込むことを認識し、②お互いの認識が食い違う場合には、専門家、裁判所の関与の下で解決を図ることが合理的である、と人々が考える限りは、司法制度というものは健全な社会の構築になくてはならないものといえます。
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