「約束」と「仁義」
人と関わることの多い仕事のためか、法律家という仕事のためか、「約束」とか「仁義」とか大切だと思っています。
「約束」というのは当然、他人との取り決めや合意のことをいい、契約も一種の「約束」です。弁護士事務所への相談予約も「約束」と言えます。裁判所との関係では、指定された裁判の期日について、これを弁護士が了解すれば「約束」と言えます。
「約束」は当然、守るべきものです。約束に反すれば怒られたり、非難されたり、場合によっては損害賠償を請求されたりします(特に「契約」の場合)。
これに対して、「仁義」というのは分かりにくいし、何か音の響きや映画などのイメージからすると「ヤクザの世界の決まり事」のように感じるかもしれません。
しかし、私が言いたい「仁義」というのは「お互いに何かハッキリした約束、合意をしたワケではないが、これまでの人間関係や信頼関係に基づいて相手に対して自分から自然に配慮したり、果たしたりすべきもの」をさします。
具体的には、「Aさんにはこれまで世話になってるから今度何かご馳走しよう」とか「信頼できるBさんの頼み事だから自分の時間と労力を割いてでも力になろう」とか「Cさんが紹介しれくれた案件だからCさんの顔に泥を塗るようなことをしないようにしよう」とか、そういう自分の中での自然な配慮のようなものです。
この場合、決してAさんとの間で、何かご馳走することが「約束」されたワケでもないし、Bさんとの間で力になることを約束したワケでもないし、Cさんに対して泥を塗らないようにします、と説明するワケでもありません。
「約束」の場合にはカタチがハッキリしていますが、「仁義」の場合にはそうではありません。だけど世の中というのはなにもハッキリとした形のある「約束」だけで成り立っているのではなく、あいまいだけど個人個人の中にある「仁義」というものがあるからこそうまくいくのだと思っています。
しかし、最近は、ドライな世の中になってきたのか、こういう「仁義」が減ってきているようにも感じます。
そうすると、「約束をしていない以上は何も自分は果たすべき義務などない」となってしまい、大変ギクシャクした社会になってしまうと思います。
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