思い出す!
あれこれいろいろ考えながら車で移動中、ちょうどとある用件をひとつ思い出し、
「そういえば!アレをこうしなくてはいけなかったんだ!早く事務員に指示しておこう!」
そう一人で決めました。
ただ、ちょうど12時も過ぎていてお昼休憩中だったし、自分もまったくもってお腹ペコペコだったため、お昼を食べてから伝えることにしたのです。
急ぎ、ギュギュっとお蕎麦屋さんに入り、ズルズルっとお蕎麦を頂きました。
お腹がパンパンになって車に戻ると、、、
さて?そういえばさっき後回しにしていた用件をスッカリ忘れてしまっています。
いくら思い出そうとしてもまったく無理で、結局、午後一杯、思い出せずにいました。
そうしたところ、夕方になって裁判所に来たら、、、
「そうだ!第三民事部に問い合わせの電話しなくてはいけなかったんだ!」と思い出すことができました。
で、自分の用件を思い出せた嬉しさの余り、電話ではなくもはやこの足で第三民事部に突撃して口頭で用件を伝えることとしました!
しかし、窓口を訪問し、用件を伝えたところ、こちらのテンションとは裏腹に、窓口の方からは冷静に「事件番号わかりますか~?」と言われ、私は思い付きで訪問しただけだったので「わかりませーん。」と答えました。
結局、「それでは出直してください~。」とのこととなり、ショボショボと立ち去ったのです。
一応、事務員にお願いし、用件は果たせましたが、それにしても忘れていたことを思い出した時のあの嬉しさは、なかなか他人には共有できないものですね。
目標を設定するのも自分、目標を乗り越えるのも自分。でもそこにはいつも支えがある。
人生日々、何か目標に向かって生きていくのか、そうではなく目標から逃げて生きていくのか。そもそも自分の人生に何らの目標設定すらしないのか。
目標を設定するのは自分しかいません。他人から設定された目標は本来あるべき目標設定とは異なるように、そう私は思います。
そして、設定した目標を達成するか否か、そのための努力をするか否かも自分しかいません。
仮に周囲で自分の目標達成のために協力してくれる人がいたとしても、それはあくまで「協力」に留まります。最終的には目標達成の場には自分しか立ちえません。
ただ、他人の「協力」なくして何事でも達成できることは稀で、世の中で偉大な目標にチャレンジし、それを達成している人にはいつも陰で大きな支えとなってくれている人がいます。
だからこそ、自分で立てた目標に向かって真っすぐ突き進み、それでも時には周囲の支えに頼りながら、人は目標を達成していくのだと思います。
私もまた、いつも自分で目標を立て、周りの力も借りながら達成目指して突き進んでいます。
「弁護士」とは?
私の仕事は弁護士です。
弁護士の意味を調べてみると
「当事者の依頼によって、訴訟に関する行為その他一般の法律事務を行うことを職務とする者」
とあります。
うーん、、、
辞書的にはこれでも良いのかもしれませんが、何だかピンときません。。。
私が思う弁護士とは、読んで字のごとく、
「依頼者の権利を言葉のチカラでまもる仕事」
だと思います(そもそも弁護士の「弁」=「理屈を立てて話す」、「護」=「まもる」という意味です。)。
そして弁護士の言葉にチカラが伴うのはそれが法律や裁判例、世の常識、経験則に裏打ちされた言葉だからです。
さらに私はこれに加え、弁護士には情熱や熱意が必要だと思っています。情熱や熱意なくして他人をまもることなど到底できないからです。
そうして、法律や経験則に基づく言葉が熱意をもって論じられた場合には、それはどこの誰に対しても強い説得力を持つものとなります。結果、弁護士の弁論によって、依頼者はその権利をまもることができるのです。
だからこそ、私はいつも熱意をもって働くのです。
ちから自慢
突然ですが!
床にタテに置いた350mlビール24缶入り段ボールケース(=約9キロ!)を右手片手で鷲掴みにして持ち上げることができます!
、、、
だからなんだって?
、、、
単なるちから自慢です。。。
結構重いのでみなさん試しにやってみてください。。。
ちなみに左手では出来ません、、、